第65話 最初の神谷拓真は、紬が扉を通ることで生まれるそうです
『やっと』
『僕が生まれる』
俺は。
反射的に。
紬の腕を掴んだ。
「戻って!」
強く引く。
紬の体が。
俺の方へ倒れた。
「痛っ!」
「すみません!」
「何するの!」
「今のは仕方ないでしょう! 俺が生まれそうだったんですよ!」
「もう生まれてるでしょ!」
「そういう意味じゃない!」
本当に。
何を言っているんだ、俺は。
戦国時代の古い尼寺で。
会社の非常口を挟んで。
二人の俺。
二人の紬。
二人の美月さん。
田中さん。
新八さん。
鈴音。
そして。
扉の奥から。
赤ん坊の泣き声。
もう。
一度。
全部紙に書き出した方がいい。
新八さんの言う通りだった。
「紙あります?」
俺が聞く。
新八さんが。
「何のために」
「人数整理です」
「今やることか?」
「今だからですよ!」
その時。
また。
扉の向こうから。
声。
今度は。
赤ん坊じゃない。
小さな。
子供の声。
『お母さん』
全員が。
止まった。
俺は。
聞いたことがある。
いや。
当然だ。
自分の声。
幼い頃の。
記憶の中でしか聞けないはずの。
俺自身の声。
『お母さん』
もう一度。
呼んだ。
俺は。
震えながら。
扉を見る。
「……母さん?」
でも。
扉の奥の声は。
続けた。
『紬』
隣の紬が。
固まった。
俺も。
固まった。
「待って」
紬が言う。
「何」
「今」
「はい」
「私?」
「ですね」
「何で」
「俺に聞かないでくださいよ!」
紬が。
本気で嫌そうな顔をした。
「私、子供なんて産んでない」
「知ってます!」
「本当に?」
「何で俺を疑う!」
今の紬が。
俺を睨む。
俺も。
何となく。
一歩下がった。
「いや、本当に俺は何もしてませんからね!」
「当たり前!」
「だったらそんな顔するな!」
一度目の紬が。
少しだけ。
笑った。
その隣で。
一人目の俺は。
笑えなかった。
ずっと。
扉を見ている。
「美月」
一人目の俺が言った。
どちらの美月さんを呼んだのか。
分からない。
すると。
扉の向こうの。
最初の美月さんが答えた。
「産むんじゃない」
今の紬が。
眉を寄せる。
「じゃあ何」
「作るの」
俺は。
嫌な顔をした。
たぶん。
かなり。
嫌な顔。
「もっと嫌なんですけど」
美月さんは。
俺を見る。
「私も最初はそう思った」
「そういう慰めいらないです!」
「でも本当」
「何をどうやったら俺を作るんです!」
扉の向こうの美月さんは。
少しだけ。
迷った。
「記憶」
「誰の」
「紬の」
今の紬が。
黙る。
「一人目の神谷拓真の」
一人目の俺の顔が。
変わる。
「それから」
美月さんは。
扉を見る。
「ここに残った時間」
俺は。
何も言えなかった。
「それが混ざって」
美月さんが。
静かに言う。
「最初の神谷拓真が生まれた」
俺は。
笑った。
笑うしかなかった。
「何です、それ」
誰も。
答えない。
「俺、人じゃないんですか」
「神谷さん」
「記憶を混ぜて作った?」
喉が。
痛くなる。
「じゃあ」
自分の頭を指差す。
「小学生の時の記憶も?」
「……」
「親父に怒られたことも?」
「……」
「母さんが作ったカレーも?」
「……」
「初めて自転車に乗れた日も?」
美月さんは。
何も言えない。
俺は。
笑った。
「全部?」
一人目の俺が。
口を開く。
「やめろ」
俺は振り向く。
「何を」
「それ以上聞くな」
「何で」
「俺も」
一人目の声が。
震えていた。
「俺も普通に生まれた」
「……」
「両親もいる」
「……」
「子供の頃の記憶もある」
「……」
「学校も」
「……」
「会社も」
一人目の俺が。
苦しそうに。
言う。
「全部あった」
扉の向こうの美月さんが。
静かに答えた。
「その記憶ごと作られたのかもしれない」
一人目の俺が。
黙った。
俺も。
何も言えない。
そんなの。
どうやって証明する。
俺が。
本当に。
母親から生まれた。
どうやって。
今ここで。
証明する。
戸籍?
写真?
記憶?
全部。
作られたと言われたら。
終わりだ。
「俺」
声。
小さくなった。
「偽物なんですかね」
隣で。
紬が。
ため息をついた。
「またそれ?」
俺は。
見る。
「またって」
「前にも言った」
「何を」
「偽物でも」
紬は。
俺を見る。
「私と喧嘩したのは拓真でしょ」
胸が。
止まった。
前にも。
同じようなことを。
言われた。
俺が。
本当に神谷拓真なのか。
分からなくなった時。
紬は。
言った。
偽物だから消えていいとは思わない。
今の拓真が。
千代を助けた。
小鈴を心配した。
私を拾った。
それは。
なくならない。
「でも」
俺が言う。
「それも作られた俺がしたことかもしれない」
「だから何」
即答。
「だからって」
「私が腹立ったのは本物」
「そこ?」
「うん」
「もう少し良い思い出ないんですか!」
「たくさん喧嘩した」
「それも良い思い出みたいに言わないで!」
紬が。
ほんの少し。
笑った。
「でも」
言う。
「拾ってくれたのも拓真」
俺は。
何も言えなくなる。
「飯くれたのも」
「……」
「馬鹿なこと言ったのも」
「……」
「私が怖がってるのに、分からないって言ったのも」
「それはすみません」
「でも嘘つかなかった」
俺は。
目を伏せた。
「本物か偽物かなんて」
紬が。
少し。
言葉を探す。
「私には分からない」
「……」
「でも」
俺を見る。
「今うるさいのは拓真」
「最後に台無し!」
一度目の紬が。
声を出して。
笑った。
一人目の俺が。
その笑い声を聞いて。
泣きそうな顔をした。
◇
「じゃあ」
新八さんが。
腕を組んだまま言った。
「一つ聞く」
全員。
見る。
「何で増える」
俺は。
「言い方!」
と突っ込む。
新八さんは。
無視した。
「神谷拓真が増え続ける理由だ」
扉の向こうの美月さんが。
少し。
顔を曇らせる。
今いる美月さんも。
目を伏せた。
「同じ時代に」
扉の向こうの美月さんが言う。
「同じ神谷拓真は、本当なら一人しか存在できない」
「でも二人います」
俺は。
隣の一人目を指差す。
「見れば分かる」
「じゃあどうなってるんです」
「重なってる」
「説明が雑!」
「私も全部は分からない!」
美月さんが怒った。
俺は。
少し驚いた。
でも。
ちょっと安心した。
やっぱり。
この人も。
人間だ。
「ただ」
美月さんが続ける。
「増えすぎると」
「……」
「世界から見えなくなる拓真が出る」
俺の背中が。
冷える。
田中さんが倒れた日。
床に。
もう一人。
倒れていた。
誰にも見えない。
誰にも触れない。
三人目の俺。
「それが」
俺は聞く。
「会社で死んだ俺?」
「たぶん」
「また、たぶん」
「断言できないものはできない!」
美月さんが。
少し怒る。
俺は。
頷いた。
「それはそう」
一人目の俺が。
何とも言えない顔で。
俺を見る。
「何です」
「お前」
「はい」
「美月には素直なんだな」
「あなたよりは話が通じるので」
「腹立つな」
「自分でしょう」
今の紬が。
「やっぱり同じ」
と呟いた。
やめて。
◇
赤ん坊の泣き声。
まだ。
聞こえる。
扉の向こう。
白い光。
会社。
非常階段。
そして。
子供の声。
『紬』
今の紬が。
少し。
身を固くする。
『今度は』
俺は。
息を止めた。
『僕を拾って』
紬の指が。
震えた。
俺も。
何も言えなかった。
逆だ。
最初。
道端で。
俺が。
紬を拾った。
『飯、食います?』
そう聞いた。
紬は。
『知らない男から飯をもらうほど落ちぶれてない』
そう言った。
俺は。
飯を置いた。
欲しくなったら勝手に取ってください。
そう言った。
でも。
最初は。
逆?
紬が。
俺を拾った?
「何なんです」
俺は。
誰に聞いたのか。
分からない。
「俺が先に紬を助けたんじゃないんですか」
誰も。
答えない。
「紬が先に俺を作った?」
頭が。
おかしくなる。
俺が紬を助ける。
紬が俺を作る。
その俺がまた紬を助ける。
終わらない。
輪。
「違う」
一度目の紬が。
言った。
全員。
そちらを見る。
一度目の紬は。
泣いていた。
静かに。
本当に。
静かに。
「私が」
声が。
震える。
一人目の俺が。
息を止める。
「何を」
一度目の紬は。
自分の手を見る。
「最初に願った」
今の紬が。
眉を寄せる。
「何を」
一度目の紬は。
一人目の俺を見る。
自分を斬った男。
自分が殺してと頼んだ男。
許してはいない。
でも。
会いたかった。
たぶん。
ずっと。
「拓真を」
一度。
息を吸う。
「もう一度、作ってって」
一人目の俺の顔が。
崩れた。
「……紬」
「だって」
一度目の紬が。
泣きながら笑う。
「死んじゃったから」
俺は。
止まった。
「誰が」
一度目の紬が。
俺を見る。
「拓真」
「でも」
俺は。
一人目を見る。
「一人目は生きてる」
一度目の紬が。
首を振った。
「違う」
俺の胸が。
冷たくなる。
「何が」
「一人目じゃない」
一度目の紬は。
一人目の俺を見る。
そして。
泣きながら。
言った。
「この拓真は」
長い。
沈黙。
「私が作ってもらった、二人目」
俺は。
何も言えなかった。
一人目の俺も。
動けない。
じゃあ。
本当の一人目は。
どこにいる。
俺は。
ゆっくり。
扉を見る。
向こう。
暗い非常階段。
そこから。
男の足音が。
聞こえた。
一歩。
また。
一歩。
そして。
闇の中から。
俺と同じ顔の男が。
現れた。
でも。
今までの俺たちとは。
違った。
右目。
眼帯。
俺は。
息を止めた。
男が。
笑う。
そして。
言った。
「遅かったな」
その声は。
俺だった。
でも。
着ているものは。
伊達政宗と。
同じだった。




