第62話 田中美月は、神谷拓真を全部殺すために来たそうです
「これで」
田中美月は笑った。
俺の記憶にある。
あの。
優しい笑い方で。
「神谷拓真を、全部殺せる」
古い鐘が。
鳴った。
誰も触れていない。
なのに。
ごぉん。
低い音。
本堂。
床。
壁。
腹の奥まで。
震える。
俺は。
一人目の俺を見る。
今の紬を見る。
一度目の紬を見る。
新八さん。
そして。
美月さん。
「……あの」
声が出た。
情けない。
でも。
聞かないと。
もっと気持ち悪い。
「一つ、いいですか」
美月さんが。
俺を見る。
「何?」
「四人とも揃ったって」
俺は。
自分と。
一人目を指差す。
「俺、二人しかいませんけど」
沈黙。
紬が。
ぼそっと言った。
「そこ?」
「大事でしょう!」
俺は叫ぶ。
「人間、人数を間違えたら話がややこしくなるんですよ!」
新八さんが。
「すでに十分ややこしい」
と言った。
「だからですよ!」
一人目の俺が。
ため息をつく。
「うるさい」
「お前にだけは言われたくない!」
美月さんが。
笑った。
本当に。
少しだけ。
「変わらないね」
俺は。
その言葉で。
止まった。
「……いつの俺と比べてるんです」
美月さんの笑みが。
少し。
薄くなる。
「全部」
また。
鐘。
鳴る。
ごぉん。
「神谷拓真を数える時」
美月さんが言う。
「身体だけ数えても意味がないの」
俺は。
嫌な予感がした。
「やめてください」
「何を?」
「また難しいこと言おうとしてるでしょう」
「言うけど」
「やっぱり!」
もう。
勘弁してほしい。
一人目。
二人目。
三人目。
四人目。
一度目の紬。
今の紬。
俺の頭は。
戦国武将の名前を覚えるだけでも。
精一杯なんですよ。
「今ここには」
美月さんが。
俺たちを見る。
「四人の神谷拓真がいる」
「だから二人です!」
「一人目の肉体を持つ神谷拓真」
一人目を見る。
「四人目の肉体を持つ神谷拓真」
俺を見る。
「二人」
俺が言う。
美月さんは。
無視した。
「一度目の紬に残った、神谷拓真」
俺は。
一度目の紬を見る。
彼女も。
眉を寄せた。
「私?」
「そう」
「何が残ってるの」
「記憶」
本堂が。
静かになる。
一人目の俺が。
顔を上げた。
「何を言ってる」
「そのままよ」
「紬の中に、俺の記憶がある?」
「一部だけ」
一度目の紬が。
自分の頭を。
触る。
「知らない」
「思い出せないだけ」
「またそれ?」
今の俺が。
思わず言った。
「忘れてるだけ、思い出せないだけって、何にでも使えて便利すぎません?」
美月さんが。
俺を見る。
「そうね」
「認めるんですか」
「私も嫌い、その言い方」
少し。
驚いた。
全知全能の人みたいに。
思っていた。
でも。
違う。
この人も。
嫌いなものがある。
困る。
敵なら。
もっと。
分かりやすく。
嫌な人でいてほしい。
「それで」
俺は聞く。
「四人目は?」
美月さんが。
今の紬を見る。
「まだ生まれていない拓真」
「……は?」
今の紬の顔が。
険しくなる。
俺も。
固まる。
「待って」
声が。
変になる。
「紬の中に?」
「いる」
「何が!?」
「未来の神谷拓真」
「意味が分からない!」
本気で叫んだ。
「俺、紬の中から生まれるんですか!?」
紬が。
俺を殴った。
「痛い!」
「気持ち悪いこと言わないで」
「俺が言ったんじゃない!」
美月さんが。
少しだけ。
吹き出した。
俺は。
その顔を見る。
現代。
会社。
非常階段。
『兄のこと、覚えていてくれますか』
本当に。
同じ人。
なんだろうか。
◇
「美月」
一人目の俺が。
低い声で呼んだ。
美月さんの顔から。
笑みが消える。
「何」
「二度目の紬を殺したのは」
一人目の声。
震えている。
「お前か」
美月さんは。
一秒も迷わなかった。
「そう」
一人目の俺の拳が。
握られる。
俺も。
息を止めた。
今の紬が。
一度目の紬を見る。
誰も。
何も言えない。
「何で」
一人目の俺が聞く。
「俺を止めるため」
「それだけか」
「それだけじゃない」
「なら何だ!」
声。
大きい。
美月さんは。
動かない。
「二度目のあなたは、政宗を殺した」
「……」
「その後も歴史を直そうとした」
「……」
「紬を救おうとした」
「当たり前だ!」
「その当たり前が」
美月さんの声も。
初めて。
少し強くなった。
「何度、世界を壊したと思ってるの!」
一人目が。
黙る。
美月さんの呼吸。
少し。
荒い。
「あなたはいつもそう」
「……」
「目の前にいる誰かを助けたいって言う」
「……」
「紬を」
「……」
「政宗を」
「……」
「田中さんを」
俺の胸が。
痛む。
「そして」
美月さんが。
俺を見る。
「そのたび、見えないところで誰かが消える」
俺は。
何も言えなかった。
美月さんは。
一人目へ戻る。
「だから殺した」
「紬を?」
「そう」
「それで」
一人目の声。
低い。
「お前は何を救えた」
美月さんの顔が。
止まった。
「世界か?」
「……」
「兄貴か?」
「……」
「自分か?」
美月さんが。
何も言わない。
「答えろよ」
一人目の俺が。
一歩。
前へ出た。
「二度目の紬を殺して、お前は何を救えた」
長い。
沈黙。
やがて。
美月さんが。
小さく。
言った。
「何も」
俺は。
止まった。
美月さんが。
笑う。
今度の笑いは。
優しくない。
疲れている。
「何も救えなかった」
誰も。
何も言わない。
「兄も」
「……」
「未来も」
「……」
「私も」
目が。
赤い。
「何一つ」
◇
俺は。
聞いた。
「田中さんを助けたいんですか」
美月さんが。
俺を見る。
「違う」
即答。
「え」
「兄はもう助からない」
「でも」
「何度やっても駄目だった」
声。
平坦。
だから。
余計に。
怖い。
「何度?」
「数えてない」
「じゃあ」
俺は。
喉が。
乾く。
「何のために」
美月さんは。
俺を見る。
まっすぐ。
「誰かのせいにしたいから」
俺は。
何も言えなかった。
「兄が死んだのを」
「……」
「神谷さんのせいにしたい」
「……」
「会社のせいにしたい」
「……」
「佐々木課長のせいにしたい」
一瞬。
ものすごく。
同意しそうになった。
危ない。
「自分のせいにもしたい」
「美月さん」
「だって」
声。
震えた。
「誰のせいでもないなんて、一番困るでしょう」
胸。
刺された。
分かる。
分かってしまう。
誰かが悪いなら。
怒れる。
殴れる。
恨める。
でも。
誰も悪くない。
ただ。
間に合わなかった。
ただ。
気づかなかった。
ただ。
疲れていた。
そんなの。
どこへ。
怒ればいい。
「私は」
美月さんが言う。
「兄を救いたいんじゃない」
「……」
「兄が死んだことを、誰かのせいにしたいだけ」
一人目の俺が。
目を閉じた。
俺も。
何も言えなかった。
責められない。
でも。
許せない。
そんな感じ。
◇
「でも」
今の紬が言った。
美月さんが。
そちらを見る。
「だからって」
紬は。
一度目の自分を見る。
「人を殺していいの」
美月さんは。
答えない。
「二度目の私を殺した」
「そう」
「今度は一度目の私を殺す?」
「必要なら」
一人目の俺が。
前へ出ようとする。
俺は。
反射的に腕を掴んだ。
「離せ」
「嫌です」
「拓真」
「あなたが今行ったら話が終わる!」
「美月は紬を殺すと言ってる!」
「分かってます!」
「なら!」
「だからって殴りかかってどうするんです!」
「お前なら黙って見てるのか!」
刺さった。
俺は。
言葉に詰まる。
一人目が。
俺を見る。
「お前は紬を救うのか」
俺は。
今の紬を見る。
一度目の紬を見る。
美月さんを見る。
そして。
答えた。
「救います」
一人目の俺の顔が。
揺れる。
美月さんが。
小さく笑った。
「そう」
「……」
「やっぱり今回も同じ」
腹が立った。
「同じじゃない」
「同じよ」
「決めるな!」
「一人目も言った」
「知ってますよ!」
「二人目も」
「知ってる!」
「三人目も」
「知らないけど、たぶん!」
思わず叫んだ。
新八さんが。
「そこは知らぬのか」
と冷静に言う。
「今そこ!?」
美月さんが。
ほんの少し。
笑った。
でも。
次の瞬間。
本堂。
揺れた。
「何だ!」
新八さんが。
刀へ手をかける。
床。
俺の足元。
ひび。
走る。
「下がれ!」
一人目の俺が叫ぶ。
遅い。
床板が。
大きな音を立てて。
崩れた。
俺は。
転んだ。
「拓真!」
紬が。
俺の袖を掴む。
「こういう時まで転ぶな!」
新八さん。
怒鳴る。
「今は床が悪いでしょう!」
でも。
俺は。
言葉を失った。
床の下。
土。
石。
じゃない。
金属。
銀色。
扉。
俺は。
知っている。
見たことがある。
何百回も。
会社で。
「嘘だ」
立ち上がる。
近づく。
扉。
灰色。
傷。
小さな窓。
緑色の標識。
そして。
日本語。
『株式会社東都システム』
その下。
『非常口』
俺は。
息を止めた。
戦国時代。
山奥。
古い尼寺。
その床の下に。
俺がいた会社の。
非常階段へ続く扉が。
埋まっていた。
「美月さん」
俺は。
ゆっくり。
振り向く。
美月さんは。
笑っていない。
「これは」
声が。
震える。
「何です」
美月さんが。
答えた。
「始まり」
「何の」
「全部の」
その時。
扉の向こうから。
音がした。
三回。
こん。
こん。
こん。
俺は。
動けなかった。
そして。
扉の向こう。
俺と同じ声が。
言った。
「開けて」
一人目の俺が。
顔色を変えた。
「開けるな!」
でも。
扉の向こうの俺は。
続けた。
「田中さんが」
少し。
間。
「まだ生きてる」
俺の手が。
勝手に。
扉の取っ手へ伸びた。




