第52話 俺の枕元に、一人目の神谷拓真が座っていました
「俺が、一人目の神谷拓真だ」
男はそう言った。
俺の顔で。
俺の声で。
でも、俺では絶対にしないような、疲れきった笑い方で。
その時。
戸の向こうから。
「拓真?」
紬の声がした。
俺は息を止めた。
男の顔から、笑みが消えた。
「開けるな」
低い声だった。
俺と同じ声なのに。
怖かった。
「何でです」
俺も声を落とす。
「いいから」
「よくないでしょう」
「開けるな」
「拓真?」
また。
戸の向こう。
紬。
「起きてる?」
俺は男を見る。
男は、じっと戸を見ていた。
その顔。
何だ。
怖い?
違う。
もっと。
苦しそうな。
「……今の紬に」
男が言った。
「俺の顔を見せたくない」
俺の背中が冷えた。
「何で」
答えない。
「あなた」
俺は男の右手を見る。
長い傷。
写真の。
一度目の奥州、最後の日。
そこに写っていた俺と同じ。
「本当に、一人目なんですか」
男が俺を見る。
「そう言った」
「一人目は未来へ帰ったんじゃないんですか」
「帰ったよ」
「じゃあ、何でここにいる!」
思わず声が大きくなった。
外で。
「誰と話してるの?」
紬が聞いた。
男の顔が歪んだ。
ほんの一瞬。
本当に。
ほんの一瞬。
でも。
俺は見た。
「帰った」
男は言う。
「未来へ」
「はい」
「それから、また来た」
「そんな簡単に!」
「簡単じゃない」
「じゃあどうやって!」
「言えない」
「何で!」
「お前が知ると」
男は俺を見る。
「また同じことをするからだ」
俺は黙った。
また。
同じ。
何を。
「拓真?」
外から。
紬。
俺は。
「ちょっと待ってください!」
と答えた。
「何で」
「え」
「何で待つの」
面倒だ!
ものすごく。
今。
俺が。
俺と話してるんです!
って言いたい。
言えるわけない。
「着替えてます!」
咄嗟に言った。
沈黙。
紬が。
「寝てたのに?」
と聞いた。
「寝起きでも着替えることあるでしょう!」
「今?」
「今です!」
男が。
俺の顔で。
呆れた顔をした。
腹が立つ。
「何です、その顔」
「昔から嘘が下手だな」
「誰のせいだ!」
「俺だな」
「認めるな!」
外で。
「やっぱり誰かいるでしょ」
鋭い。
本当に。
嫌になるくらい。
「いません!」
「嘘」
「何で分かるんです!」
「顔」
「見えてないでしょう!」
「声」
もっと駄目だった。
俺は頭を抱えた。
一人目の俺が。
小さく。
笑った。
初めて。
普通に。
俺みたいに。
その笑い方を見て。
余計に。
気持ち悪くなった。
◇
「聞きます」
俺は小声で言った。
「何だ」
「あなたが」
喉が乾く。
「紬を斬ったんですか」
男の顔から。
笑いが消えた。
外の紬は。
まだ戸の向こうにいる。
たぶん。
座って待っている。
最悪だ。
本人が。
すぐそこにいるのに。
一人目の本人へ。
紬を殺したのかと聞く。
「斬った」
答えは。
短かった。
俺は。
息を止めた。
「本当に」
「ああ」
「政宗様に命じられて?」
男は。
黙った。
紙には。
そう書いてあった。
――政宗の命令を受けた、神谷拓真です。
でも。
男は。
しばらくして。
言った。
「違う」
「……え」
「政宗に命じられたからじゃない」
俺は。
男を見る。
「じゃあ何で」
「俺が決めた」
何を。
言ってる。
「あなたが」
「そうだ」
「紬を殺すって?」
「ああ」
「何で!」
思わず叫んだ。
外で。
「拓真?」
紬。
俺は。
「何でもないです!」
「絶対何かある」
「今だけは信じて!」
「嫌」
「何で!」
「怪しいから」
正しい。
困る。
俺は。
一人目を見る。
「説明してください」
「できない」
「何で!」
「何度言わせる」
「何度でも聞きますよ!」
俺は。
声を抑えながら。
男を睨んだ。
「一度目の紬は、自分から頼んだんでしょう?」
男の顔が。
ほんの少し。
動いた。
「布紐に書いてあった」
俺は続ける。
「私は頼んだって」
「……」
「紬が、あなたに殺してくれって頼んだんですか」
答えない。
「そうなんですか!」
「声を落とせ」
「じゃあ答えろ!」
男が。
俺を見る。
同じ顔。
でも。
目だけは。
全然違った。
俺より。
ずっと。
疲れている。
「頼まれた」
やっと。
言った。
「何を」
「殺してくれと」
胸が。
冷たくなった。
「何で」
「言えない」
「またそれか!」
「言えば、お前は助けようとする」
「当たり前でしょう!」
俺は即答した。
男の目が。
細くなる。
「俺もそう言った」
俺は。
何も言えなかった。
「最初はな」
一人目が言う。
「絶対助けるって」
「……」
「何があっても」
「……」
「誰が死んでも」
俺は。
唇を噛んだ。
「それで?」
男が。
少し笑った。
「失敗した」
「何が起きたんです」
「言えない」
「紬がどうなったんです!」
「言えない」
「政宗様は!」
「言えない」
「じゃあ何しに来たんです!」
とうとう。
言ってしまった。
「何も言わないなら、何で俺の前に現れた!」
男が黙る。
俺も。
息が荒い。
外の紬まで。
静かになった。
聞いてる?
いや。
どこまで。
聞こえた。
「止めに来た」
男が言った。
「何を」
「お前を」
「何から」
「同じことをするのを」
「だから何を!」
「紬を助けることだ」
俺は。
理解できなかった。
「……は?」
男は。
はっきり。
言った。
「お前は紬を助けられない」
何かが。
腹の底で。
燃えた。
「ふざけるな」
「俺も同じことを言った」
「一緒にするな!」
「同じだ」
「違う!」
「顔も」
「……」
「名前も」
「……」
「記憶も」
「……」
「最初に紬を拾った時の言葉まで同じだった」
俺は。
息を止めた。
「何て」
聞きたくない。
でも。
聞いた。
男が言う。
「飯、食います?」
俺の背中が。
凍った。
あの日。
道端。
倒れていた紬。
俺が。
最初に。
言った言葉。
「……どうして」
声が。
出ない。
男は。
続けた。
「紬は俺に言った。知らない男から飯をもらうほど落ちぶれてないって」
同じ。
「俺は言った。じゃあ俺がここで食うから、欲しくなったら勝手に取ってくださいって」
同じ。
「それで」
男が。
苦い顔をした。
「最後には、俺が斬った」
俺は。
何も言えなかった。
同じ。
最初は。
同じ。
じゃあ。
どこで。
変わった。
いや。
変わらなかったから。
同じ最後になった?
「拓真」
戸の向こう。
紬。
「本当に誰と話してるの」
一人目の俺が。
目を閉じた。
その顔。
苦しそうだった。
「開けますよ」
紬が言う。
男が。
俺を見る。
「開けるな」
「もう無理です」
「駄目だ」
「何で!」
「今の紬に」
声。
震えた。
本当に。
少しだけ。
「俺を見せるな」
「だから何で」
男が。
拳を握る。
右手。
傷。
古い。
深い。
「俺は」
言う。
「もう一度、紬に会うために戻ってきた」
俺は。
何も言えなかった。
「じゃあ」
「だが」
男が。
俺を見る。
「今度は、あの子を救わない」
その瞬間。
戸が開いた。
「誰を救わないって?」
紬が。
立っていた。
俺を見る。
そして。
枕元の男を見る。
止まった。
俺と。
同じ顔。
同じ声。
右手に。
長い傷。
一人目の神谷拓真。
紬は。
しばらく。
何も言わなかった。
男も。
動かなかった。
ただ。
紬を見た。
まるで。
幽霊を見たみたいに。
そして。
一人目の俺は。
小さく。
本当に小さく。
言った。
「……生きてる」
紬が。
眉を寄せる。
「誰?」
男の目から。
一滴。
涙が落ちた。
泣かなかった男が。
一度目の紬を斬った時にも。
泣かなかったと。
言われた男が。
今の紬を見ただけで。
泣いた。
俺は。
何も。
言えなかった。




