第50話 今ここにいる俺は、本当に神谷拓真なんでしょうか
「今、俺の前にいるお前は」
政宗は俺を見た。
「本当に神谷拓真なのか」
俺は答えられなかった。
いや。
答えなんて決まっている。
俺は神谷拓真だ。
二十八歳。
元会社員。
株式会社東都システム営業第二課。
上司は佐々木課長。
同僚に田中さんがいた。
会社を辞めた。
宮城へ行った。
雷に遭った。
気づいたら戦国時代だった。
全部覚えている。
だから。
俺は俺だ。
――本当に?
「……嫌なこと聞きますね」
やっと、それだけ言った。
政宗は悪びれない。
「思ったから聞いた」
「人間、思ったこと全部口にしていいわけじゃないんですよ」
「なぜだ」
「傷つく人がいるからです!」
「お前か」
「今まさに!」
政宗が笑った。
腹が立つ。
でも、その笑い声が少しだけありがたかった。
誰も笑わなかったら、俺はたぶん、本当に自分が消えてしまいそうだった。
「俺」
自分の手を見る。
五本の指。
傷。
小さな古傷。
右手の親指の付け根には、現代で段ボールをカッターで開けようとして失敗した時の傷がある。
俺の手だ。
たぶん。
「俺、神谷拓真ですよ」
言ってみた。
誰も答えない。
「ですよね?」
新八さんを見る。
「知らん」
「ひどい!」
「お前と会った時から、お前は拓真と名乗っておった。それ以上は知らぬ」
正論だった。
「小十郎さん」
「申し訳ありません」
「謝られる方がつらい!」
小十郎さんは少し困ったように笑った。
「我々が知るのは、この時代へ来てからの拓真殿です」
「はい」
「それ以前のあなたが、本当にあなた自身の記憶なのか。それを証明する術はありません」
「怖いことを冷静に言わないでください」
「ですが」
出た。
ですが。
「逆も同じです」
俺は顔を上げた。
「逆?」
「あなたが偽物である証拠もありません」
俺は黙った。
そうだ。
証拠がない。
三人目。
鈴音はそう言った。
でも。
それだけだ。
夢の中で。
もう一人の未来人に。
そう言われた。
「じゃあ」
俺は無理に笑った。
「俺、量産型なんですかね」
誰も笑わなかった。
ものすごく気まずかった。
「いや、そこは少し笑ってくださいよ!」
新八さんが眉を寄せる。
「笑うところだったのか」
「俺なりに場を和ませようと!」
「失敗したな」
「分かってます!」
紬が小さく息を吐いた。
笑ったような。
呆れたような。
それだけで少し救われた。
でも。
俺は紬を見た。
聞きたくない。
でも。
聞きたかった。
「紬」
「何」
「俺」
言葉が止まる。
「もし」
「うん」
「偽物だったら、どうします?」
紬が黙った。
即答しない。
それが怖かった。
でも。
即答で「関係ない」と言われるより、本当はよかったのかもしれない。
紬は俺を見る。
じっと。
長く。
「嫌」
言った。
俺は。
少し笑った。
「ですよね」
胸が痛い。
でも。
まあ。
当然だ。
「だって」
紬が続ける。
俺は顔を上げた。
「今まで話してた拓真が」
少し考える。
「本当は誰かに作られた偽物で」
「……」
「本当の拓真が別にいて」
「はい」
「今の拓真が、その人の記憶を入れられただけとか」
「はい」
「気持ち悪い」
「そこまではっきり言う!?」
本気で傷ついた。
紬が少し眉を寄せる。
「拓真が気持ち悪いんじゃない」
「もう遅いですよ!」
「話を聞いて」
「はい」
聞く。
聞きます。
「怖いってこと」
紬は自分の膝を見る。
「私が知ってる拓真が、本当はいないかもしれないのが」
俺は何も言えなかった。
「今まで」
紬が続ける。
「うるさかったり」
「はい」
「転んだり」
「それ必要?」
「馬鹿だったり」
「悪口が増えてる!」
「聞いて」
「はい!」
「そういうのが全部」
紬は少しだけ言葉に詰まった。
「誰かに作られたものだったら、嫌」
胸の奥。
変なところが痛くなった。
悲しい。
ような。
嬉しい。
ような。
自分でもよく分からない。
「じゃあ」
俺は聞いた。
「偽物だったら」
喉が乾く。
「消えた方がいいですか」
紬が。
ものすごく嫌な顔をした。
「何でそうなるの」
「いや」
「また」
「何が」
「すぐ消える方に行く」
俺は黙った。
確かに。
どこかで聞いた話だ。
紬が自分から消えようとした時、俺は怒った。
なのに。
自分のことになると。
同じだ。
「でも」
俺は言う。
「本物の神谷拓真が別にいるなら」
「だから?」
「俺は」
言葉を探す。
「何なんですかね」
紬はしばらく黙っていた。
そして。
「知らない」
と言った。
「知ってました」
「でも」
俺を見る。
「偽物だから消えていいとは思わない」
俺は息を止めた。
紬は少し困った顔をした。
「だって」
「はい」
「偽物でも」
「はい」
「今ここで、私と喧嘩したのは拓真でしょ」
「……はい」
「千代を助けたのも」
「はい」
「小鈴を怒ったり、心配したりしたのも」
「はい」
「私を拾ったのも」
「……はい」
「だったら」
紬が言う。
「それまで偽物になるの?」
俺は答えられなかった。
「分かりません」
「また」
「でも本当に」
俺は笑った。
「分からないんですよ」
紬も少し笑った。
「知ってる」
◇
「一つ、分からぬ」
政宗が言った。
俺はそちらを見る。
「一つだけですか?」
「斬るぞ」
「すみません」
最近、この流れが増えた。
よくない。
「鈴音は」
政宗が少女を見る。
「今の拓真を三人目と申した」
鈴音が小さく頷く。
「うん」
「ならば」
政宗の片目が細くなる。
「二人目はどこだ」
俺は黙った。
確かに。
一人目。
紬を斬ったらしい俺。
未来へ帰った?
では。
二人目。
誰だ。
何をした。
どこへ行った。
死んだ?
未来へ帰った?
それとも。
「まだ」
自分で言って。
嫌になった。
「この時代にいる?」
部屋が静かになった。
小十郎さんが腕を組む。
「可能性としては否定できません」
「待ってください」
俺は立ち上がる。
「同じ顔した俺が二人いるとか嫌ですよ!」
新八さんが言う。
「一人でもうるさいのに」
「そこ!?」
「二人は困る」
「戦力的な話をしてくださいよ!」
紬まで。
「二人は嫌」
「お前も!?」
「喧嘩が増える」
「俺同士が喧嘩する前提なの!?」
でも。
笑えなかった。
本当に。
もう一人の俺が。
どこかにいる?
この奥州。
城。
町。
山。
俺と同じ顔。
同じ声。
同じ記憶?
いや。
違う記憶?
「殿」
小十郎さんが言う。
「仮に二人目の拓真殿が生きているなら」
「うむ」
「もう一人の未来人と行動を共にしている可能性もあります」
俺の背中が冷える。
「でも」
俺は言う。
「それなら何で出てこないんです」
誰も答えない。
「俺を止めたいなら」
続ける。
「自分で来ればいいでしょう」
政宗が言う。
「お前に会いたくないのではないか」
「傷つく!」
「あるいは」
政宗は笑わなかった。
「会えば困るのかもしれぬ」
俺は黙る。
「何が」
「知らぬ」
「知らないんかい!」
思わず。
現代の言葉が出た。
政宗が眉を寄せる。
「今のは何だ」
「忘れてください」
◇
その日の夕方。
事件は起きた。
偽田中。
俺の会社。
田中さん。
佐々木課長。
缶コーヒー。
俺しか知らないはずの言葉を並べた男。
そいつが。
牢の中で死んでいた。
「何で」
俺は牢の前に立っていた。
男は。
壁にもたれるように。
動かない。
外傷。
目立つものはない。
「毒かもしれません」
小十郎さんが言う。
「また」
小鈴。
毒。
志乃。
思い出す。
俺は奥歯を噛んだ。
「見張りは」
「異変を見ておりません」
「誰か入った?」
「それも」
分からない。
また。
分からない。
俺は。
嫌になる。
「拓真」
紬が呼んだ。
「何です」
「紙」
牢の隅。
男の手の近く。
紙。
置かれている。
俺は。
嫌な予感しかしなかった。
拾う。
現代日本語。
「何て」
新八さんが聞く。
俺は。
読んだ。
――三人目の拓真へ。
心臓が。
鳴る。
続きを見る。
――二人目のあなたは、まだ生きています。
俺は。
息を止めた。
「拓真?」
紬が。
俺を見る。
俺は。
声に出した。
「二人目の俺は」
喉が。
乾く。
「まだ、生きてるそうです」
誰も。
何も言わなかった。
でも。
紙には。
まだ続きがある。
俺は。
読みたくなかった。
本当に。
嫌だった。
でも。
読んだ。
――そして今。
次の一行。
俺の手が。
震えた。
――伊達政宗の、すぐそばにいる。
俺は。
ゆっくり。
政宗を見た。
小十郎さん。
新八さん。
紬。
愛姫様。
兵たち。
城の者。
誰だ。
誰が。
二人目の俺?
いや。
そもそも。
どうやって。
俺と同じ顔じゃない?
顔を変えている?
名前を変えている?
それとも。
「殿」
小十郎さんの声が低くなる。
「すぐそば、とは」
政宗が。
静かに笑った。
でも。
目は。
全く笑っていなかった。
「面白い」
俺は。
紙を握りしめた。
「面白くない!」
今までで。
一番。
本気で。
そう思った。




