第48話 「今度は私を置いていかないで」と、紬を美緒と呼ぶ少女が泣きました
「今度は」
少女は言った。
「私を置いていかないで」
紬の顔から。
血の気が消えた。
俺は。
少女を見る。
紬を見る。
新八さんを見る。
小十郎さんを見る。
もう一度。
少女を見る。
「……誰です?」
誰も答えなかった。
仕方ないので。
もう一回聞いた。
「誰です?」
少女が。
俺を見た。
泣いている。
頬。
汚れている。
髪。
ぼさぼさ。
年齢は。
千代と同じくらい?
十五。
そのくらいに見える。
「美緒」
少女は。
また呼んだ。
紬の昔の名前。
紬が。
一歩。
後ろへ下がった。
「呼ばないで」
声。
低い。
「美緒」
「呼ぶな!」
少女が。
びくっとした。
俺も。
少し。
驚いた。
紬は。
昔の名前を。
嫌っている。
知ってる。
でも。
こんなに強く。
拒絶するのは。
久しぶりに見た。
「私は紬」
言う。
「美緒じゃない」
少女が。
泣きながら。
首を振る。
「でも」
「違う」
「美緒」
「違う!」
紬の声が。
山道に響いた。
新八さんが。
そっと。
俺の前へ出る。
少女。
怪しい。
当然だ。
急に現れた。
俺たちのことを。
知っている。
紬の昔の名前まで。
「名は」
新八さんが聞いた。
少女は。
少し。
震えながら答えた。
「鈴音」
「どこの者だ」
「……分からない」
新八さんの眉が。
動く。
「分からぬ?」
「ずっと」
鈴音は。
自分の服を握った。
「いろんなところにいたから」
その言葉。
嫌だった。
何となく。
分かる。
家がない。
売られる。
移される。
逃げる。
誰かに拾われる。
また捨てられる。
そういう。
いろんなところ。
なのかもしれない。
「紬を知ってるんですか」
俺が聞いた。
「知ってる」
鈴音は。
すぐに答えた。
紬も。
すぐに言った。
「知らない」
二人。
目を合わせる。
「私はあんたを知らない」
紬が言う。
鈴音の顔が。
さらに。
歪んだ。
「知ってる」
「知らない」
「前もそう言った」
俺は。
止まった。
「前?」
鈴音が。
俺を見る。
目。
赤い。
「前」
「いつです?」
答えない。
「鈴音」
俺は。
なるべく。
優しく聞こうとした。
たぶん。
失敗した。
「前って、いつです」
鈴音は。
長く。
黙った。
それから。
言った。
「一度目」
風が。
吹いた。
誰も。
すぐには。
何も言わなかった。
俺は。
正直。
もう。
嫌になった。
一度目。
二度目。
未来人。
写真。
俺が紬を斬る。
紬が頼む。
そして。
今度は。
一度目を知る少女。
「ちょっと待ってください」
俺は。
額を押さえた。
「本当に」
全員が見る。
「一回、整理させてください」
新八さんが。
「お前が一番混乱させておる」
と言う。
「俺のせいじゃないでしょう!」
「大体お前が来てからだ」
「言い方!」
でも。
否定。
できない。
俺。
疫病神?
嫌だ。
考えたくない。
「鈴音」
小十郎さんが。
静かに呼んだ。
少女が。
少し怯える。
「一度目とは、何です」
「一度目」
「何の?」
鈴音は。
紬を見る。
「美緒が死んだ時」
紬の肩が。
揺れた。
俺も。
息を止めた。
「見たんですか」
思わず。
聞いた。
鈴音は。
頷いた。
「見た」
「どこで」
「山」
「どこの山」
「分からない」
「誰がいた」
「いっぱい」
「俺も?」
鈴音が。
俺を見る。
じっと。
長く。
そして。
頷いた。
「いた」
背中が。
冷たくなる。
「俺は」
聞きたくない。
でも。
聞いた。
「何してました」
鈴音が。
黙った。
紬が。
「言わなくていい」
と言った。
俺は。
紬を見る。
「何で」
「聞きたくないでしょ」
「でも」
「聞いてどうするの」
「知らないままの方が嫌です!」
紬が。
怒った顔をした。
「知って傷つくくせに!」
俺も。
腹が立った。
「それでも知らないままよりましです!」
「嘘」
「何が!」
「田中って人の時も、知らないまま逃げた!」
刺さった。
本当に。
痛かった。
紬も。
言った瞬間。
顔を変えた。
しまった。
という顔。
でも。
もう遅い。
俺は。
何も言えなかった。
鈴音は。
怯えている。
新八さんが。
ため息をついた。
「喧嘩なら後にしろ」
「……すみません」
紬は。
何も言わなかった。
俺も。
見なかった。
◇
鈴音を。
道端に立たせたままにはできない。
でも。
信用もできない。
結局。
少し開けた場所まで移動した。
水。
食べ物。
渡す。
鈴音は。
最初。
食べなかった。
ずっと。
紬を見ていた。
「食べないんですか」
俺が聞く。
鈴音は。
首を振る。
「毒?」
「入ってません!」
新八さんが。
「お前が言うと怪しいな」
「何で!」
「騙されやすい」
「それは認めますけど!」
鈴音が。
ほんの少し。
笑った。
初めて。
年相応に見えた。
でも。
すぐ。
また紬を見る。
「美緒」
「紬」
「でも」
「紬」
「……紬」
やっと。
言い直した。
紬は。
少しだけ。
肩の力を抜いた。
「私」
鈴音が。
食べ物を持ったまま言う。
「置いていかれた」
紬が。
黙る。
「前も」
「私は知らない」
「うん」
「本当に知らない」
「知ってる」
「何が」
「前もそう言った」
紬の顔が。
固くなる。
「やめて」
「でも本当」
「やめて!」
鈴音が。
泣きそうになる。
俺は。
間に入った。
「待ってください」
紬が。
俺を見る。
「何」
「鈴音が嘘をついてる可能性もあります」
鈴音の顔が。
曇る。
でも。
続けた。
「逆に、本当にそう思い込んでる可能性もある」
紬が。
黙る。
「だから今は」
俺は。
言葉を選ぶ。
「誰が本当で、誰が嘘とか、決めない方がいいです」
「拓真らしい」
紬が言う。
「何が」
「分からない」
「悪かったですね!」
でも。
今回は。
本当に。
分からない。
分からないものを。
分かったふりする方が。
怖い。
「鈴音」
俺は聞いた。
「あなたは未来人ですか」
「違う」
即答。
「未来って言葉の意味は」
「分かる」
「何で」
鈴音が。
黙った。
「誰かに教わった?」
また。
沈黙。
紬が。
鈴音の腕を見る。
「それ」
俺も見る。
袖。
少し。
ずれている。
腕。
傷。
古い。
細い。
何本も。
そして。
手首。
赤い。
跡。
まるで。
何か。
巻いていたみたいな。
「赤い糸」
俺が言った。
鈴音の顔が。
変わった。
「誰に巻かれたんです」
答えない。
「志乃?」
びくっ。
動いた。
全員。
気づいた。
新八さんの顔が。
険しくなる。
「志乃を知っているな」
鈴音は。
唇を噛んだ。
「答えろ」
新八さんの声。
怖い。
鈴音が。
縮こまる。
「新八さん」
俺が言う。
「何だ」
「もうちょっと優しく」
「お前が聞け」
「俺?」
「得意であろう」
「何が!」
「役に立たぬ話を長くすること」
「褒めてない!」
紬が。
少し笑った。
さっきの空気。
まだ。
完全には戻らない。
でも。
少しだけ。
息ができた。
◇
俺は。
鈴音の前に座った。
「志乃を知ってます?」
「……うん」
「どこで」
「夢」
「夢?」
「夢で会った」
分からない。
また。
分からない。
「夢の中で、志乃が何をしたんです」
「教えた」
「何を」
鈴音は。
紬を見る。
「一度目のこと」
俺の背中が。
冷える。
「それは」
俺は聞く。
「本当にあなたの記憶ですか」
鈴音が。
困った顔をする。
「分からない」
「夢?」
「夢みたい」
「でも覚えてる?」
「うん」
「自分で見た感じ?」
「うん」
「でも本当に見たかは分からない?」
「うん」
頭が。
痛い。
でも。
たぶん。
鈴音も。
同じなんだ。
自分の記憶なのか。
誰かに見せられたものなのか。
分からない。
「一度目の紬は」
俺が聞く。
「あなたに何か言いましたか」
鈴音の目から。
涙が落ちた。
紬が。
少し。
体を固くする。
「言った」
「何て」
鈴音は。
すぐには。
答えなかった。
長い。
沈黙。
それから。
震える声。
「次の私に会ったら」
紬が。
息を止める。
「拓真を」
俺も。
動けなくなる。
「信じるなって」
誰も。
何も言わなかった。
俺は。
鈴音を見る。
「誰が」
「美緒」
「一度目の紬が?」
鈴音は。
頷く。
紬が。
俺を見る。
一瞬。
本当に。
一瞬だけ。
でも。
分かった。
怖がっている。
さっきより。
もっと。
俺を。
俺は。
何も言えなかった。
言い訳も。
できない。
だって。
一度目の紬が。
そう言ったのなら。
理由がある。
たぶん。
大きな。
理由が。
「それだけ?」
紬が。
鈴音へ聞く。
声。
かすれている。
「他には」
鈴音は。
泣きながら。
頷いた。
「ある」
「何」
「美緒は」
俺を見る。
嫌だ。
聞きたくない。
でも。
逃げたくない。
「言ってください」
俺が言った。
紬が。
俺を見る。
「拓真」
「いいです」
よくない。
でも。
言った。
「聞きます」
鈴音が。
俺を見る。
そして。
言った。
「拓真が」
声。
震える。
「美緒を殺した時」
心臓が。
鳴る。
「泣いてなかった」
俺は。
何も言えなかった。
鈴音は。
続けた。
「怒ってもなかった」
「……」
「悲しそうでもなかった」
「……」
「何も」
鈴音が。
自分の胸を。
押さえる。
「何もない顔だった」
俺の喉が。
乾いた。
紬が。
俺を見る。
俺も。
紬を見る。
何も。
言えない。
一度目の俺。
紬を斬った。
しかも。
泣かなかった。
無表情。
今の俺とは。
違う?
いや。
本当に?
もし。
追い詰められたら。
人は。
そこまで。
変わる?
「俺」
やっと。
声が出た。
「本当に」
笑おうとした。
無理だった。
「俺だったんですかね」
誰も。
答えなかった。
鈴音だけが。
小さく。
言った。
「顔は」
「……」
「今と同じだった」
それが。
一番。
怖かった。




