第44話 もう一人の未来人は、俺と同じ会社の社員でした
「これ」
俺は写真を持ったまま言った。
「社員証です」
政宗が俺を見る。
「しゃいんしょう?」
「会社で、その人がそこで働いてるって証明する札みたいなものです」
「身分証か」
「まあ、そんな感じです」
政宗が。
写真へ顔を近づけた。
「読めぬ」
「俺もです」
「未来人なのに?」
「写真がぼやけてるんですよ!」
何でも未来人なら解決できると思うな。
本当に。
俺は写真を。
窓から差す光へかざした。
女性。
若い。
長い髪。
顔の半分は。
影と。
何かの布で隠れている。
そして。
首から下がっている。
四角い社員証。
そこに。
見慣れた文字。
全部は読めない。
でも。
会社の印。
色。
形。
間違いない。
「東都システムです」
俺は言った。
「俺と同じ会社」
部屋が。
静かになる。
紬が。
写真を覗き込んだ。
「知ってる人?」
「分かりません」
「また?」
「だって!」
俺は少し。
苛立った。
「社員が何人いたと思ってるんです!」
「知らない」
「俺も正確には知らない!」
「じゃあ怒らないで」
「ごもっともです!」
言い返せない。
小十郎さんが。
静かに聞いた。
「拓真殿と同じ部署でしょうか」
「それも分かりません」
営業第二課。
俺のいた場所。
女性もいた。
他部署にも。
もちろんいた。
総務。
経理。
人事。
営業一課。
三課。
技術。
受付。
顔を知ってる人。
名前だけ知ってる人。
挨拶だけした人。
それすら。
したかどうか覚えてない人。
たくさん。
いた。
「拓真」
紬が言う。
「未来でも、人の顔覚えるの苦手だったの?」
少し。
胸に刺さった。
「……違います」
「じゃあ何」
俺は。
すぐには答えられなかった。
人に興味がなかった。
そう言えば。
簡単だった。
でも。
たぶん。
少し違う。
「余裕がなかったんです」
紬が。
俺を見る。
「余裕?」
「朝起きて。会社行って。怒られて。謝って。仕事して。帰って。寝る」
「うん」
「次の日も同じ」
「うん」
「その繰り返しで」
俺は。
写真の女性を見る。
「人の顔を覚えるとか、誰が何を好きとか、そういうことまで考える余裕がなかった」
言ってから。
少し。
嫌になった。
言い訳みたいだ。
「まあ」
俺は笑う。
「本当に人に興味なかっただけかもしれませんけど」
「またそれ」
紬が。
少し怒った顔をした。
「何が」
「すぐ自分を悪く言う」
「事実かも」
「かも、でしょ」
「はい」
「なら決めつけない」
俺は。
少し黙った。
「……紬に言われると腹立ちますね」
「何で」
「自分もやるからです!」
紬が目を逸らす。
やっぱり。
似てるのか。
嫌だ。
認めたくない。
◇
「それより」
新八さんが言った。
「写真の場所はどこだ」
俺は。
もう一度。
背景を見る。
山。
林。
古い建物。
寺?
いや。
お堂?
瓦。
壁。
一部。
崩れている。
「分かりません」
「役に立たんな」
「写真一枚で場所を特定できると思うな!」
「未来人なのに」
「新八さんまで!」
最近。
全員。
これだ。
小十郎さんが。
写真を受け取る。
しばらく。
じっと見ていた。
「……見覚えがあります」
俺は。
すぐに近づいた。
「どこです!」
「おそらく」
少し。
考える。
「南西にある古寺です」
「今も?」
「はい」
「この建物も?」
「あります」
俺は。
写真を見る。
でも。
小十郎さんの表情。
少し。
変だ。
「何です」
「ただ」
ほら。
また。
ただ。
この人の「ただ」は嫌いだ。
「写真では、今より壊れております」
俺は。
止まった。
「今より?」
「はい」
「古いんじゃなくて?」
「逆です」
小十郎さんが。
写真の壁を指す。
「ここは現在、まだ崩れておりません」
俺は。
何も言えなかった。
つまり。
この写真。
現代日本じゃない。
でも。
今の戦国時代でもない?
少し先?
一度目の。
未来?
「待ってください」
俺は。
写真を奪うように受け取った。
「じゃあこれ、本当に」
「この時代に撮った可能性がありますね」
小十郎さんが言った。
「でも」
俺は。
自分を見る。
写真の俺。
現代服。
いや。
よく見る。
上着。
汚れてる。
袖。
破れてる。
顔。
今より。
少し痩せている。
「……俺」
紬が言った。
「何」
「この写真の拓真」
「はい」
「今より痩せてる」
「それ今言う!?」
「顔も疲れてる」
「今も結構疲れてますよ!」
「今より」
そんなに?
嫌だ。
そこ。
詳しく見ないで。
紬が。
写真へ指を伸ばした。
「右手」
俺も見る。
傷。
ある。
手の甲から。
手首まで。
細く。
長い。
「俺」
自分の右手を見る。
ない。
傷なんて。
ない。
「今はないですね」
「うん」
「じゃあ」
喉が乾く。
「この写真の俺は、これから傷を負う?」
誰も。
答えない。
当然だ。
そんなの。
分かるわけがない。
でも。
嫌な気持ちが。
また。
胸の奥に溜まった。
未来。
決まってる?
俺は。
また。
この傷を負う?
この女と会う?
奥州の最後の日を迎える?
そして。
未来へ帰る?
「拓真」
紬が呼ぶ。
「はい」
「また顔」
「禁止って言いましたよね!」
「でも」
紬が。
写真の俺を指差す。
「これ」
「何です」
「手首」
俺は。
見る。
右手首。
布。
小さな。
細い。
紐。
色褪せている。
どこかで。
見たことがある。
俺は。
自分の腕を見る。
ない。
でも。
紬の腰元。
袋。
そこから。
同じような布が。
少し。
覗いていた。
「それ」
俺が言う。
紬も。
気づいた。
「私の?」
「何です?」
「前に」
紬が。
少し。
嫌そうな顔をする。
「余った布」
「はい」
「拓真の荷物をまとめるのに使った」
「ああ」
覚えてる。
俺の荷物。
散らかるから。
勝手に。
布紐でまとめられた。
「それと同じ」
紬が言った。
部屋が。
静かになった。
俺は。
写真を見る。
写真の俺。
未来の俺?
一度目の俺?
その右手首に。
紬の布。
「……気持ち悪い」
俺が言う。
紬が。
「私の布が?」
と聞く。
「違う!」
「じゃあ何」
「全部です!」
俺は。
写真を机へ置いた。
「俺が一回来てたとか!」
声が。
少し大きくなる。
「この人と同じ会社だったとか!」
写真を指す。
「紬の布を俺がつけてるとか!」
「嫌?」
紬が聞いた。
俺は。
止まった。
「何が」
「私の布」
「いや、そこは別に」
「じゃあいい」
「よくない!」
話。
全然。
進まない。
政宗が。
面白そうに。
写真を見ている。
「拓真」
「何です」
「お前」
嫌な顔。
している。
「一度目も、ずいぶん楽しそうだな」
俺は。
写真を見る。
写真の俺。
確かに。
笑っていた。
疲れて。
痩せて。
傷があって。
それでも。
少し。
笑っていた。
隣の女性も。
顔は見えない。
でも。
肩が。
近い。
腕を。
掴んでいる。
「……楽しそうに見えます?」
俺が聞く。
政宗は。
「少なくとも、嫌そうではない」
と答えた。
俺は。
何も言えなかった。
一度目の俺。
何を知ってた。
誰を好きだった。
誰を守れなかった。
誰を失った。
そして。
この女は。
誰なんだ。
◇
もう一度。
社員証を見る。
小さすぎる。
読めない。
でも。
目を細める。
文字。
一文字。
何か。
見える。
「待って」
俺が言う。
全員。
黙る。
「何です」
紬が聞く。
「名前」
「読める?」
「少し」
本当に。
少し。
一文字。
たぶん。
「田」
俺は。
息を止めた。
田。
田中?
「まさか」
声が。
震える。
「田中さんの」
家族?
妹?
姉?
娘?
いや。
年齢が合わない?
分からない。
「田中って人の身内?」
紬が聞く。
「分かりません」
また。
それ。
でも。
本当に。
分からない。
政宗が。
横から言った。
「名の最初とは限らぬ」
「え?」
「田の字が、途中にあるだけかもしれぬ」
俺は。
政宗を見る。
「正論!」
「何だ」
「あなたが正論言うと腹立つ!」
「失礼だな」
本当に。
その通り。
田中とは限らない。
山田。
吉田。
岡田。
藤田。
いくらでもいる。
考えれば。
考えるほど。
分からない。
その時。
写真の端が。
少し。
浮いた。
「ん?」
俺が触る。
紙。
いや。
何か。
裏に。
貼りついてる。
小十郎さんが。
「待ってください」
と止める。
慎重に。
剥がす。
小さな。
紙片。
折られている。
現代の文字。
俺は。
受け取る。
読む。
そして。
体が。
動かなくなった。
「拓真?」
紬が呼ぶ。
俺は。
口を開く。
声。
出ない。
もう一度。
読む。
間違いない。
――神谷拓真を未来へ帰したのは、私です。
部屋が。
静かになる。
俺は。
紙を。
握った。
「……この人」
写真の女を見る。
「俺を」
喉。
乾く。
「未来へ帰した?」
政宗が。
目を細める。
小十郎さんも。
黙っている。
俺は。
写真を見る。
ずっと。
敵だと思っていた。
俺を止める女。
政宗を天下人にするなと言う女。
田中さんを知っている女。
でも。
もし。
一度目の俺を。
未来へ帰したのが。
この人なら。
「助けた?」
俺は呟く。
紬が。
「何」
と聞く。
「俺を」
紙を見る。
「助けたんですかね」
誰も。
答えなかった。
そして。
紙の裏。
もう一行。
あった。
俺は。
ゆっくり。
裏返す。
読む。
今度こそ。
息が止まった。
――だって、あの時のあなたは。
――紬を失って、生きるのをやめようとしていたから。
俺は。
何も。
言えなかった。
隣で。
紬も。
黙っていた。
一度目の俺は。
紬を。
失った。
その言葉だけが。
頭の中で。
何度も。
何度も。
繰り返された。




