第41話 未来から来たと名乗る田中さんは、俺の知っている田中さんではありませんでした
「田中さんは、どこにいるんですか!」
俺は叫んだ。
自分でも。
驚くくらいの声だった。
兵が一歩下がる。
「城下の詰所にて、拘束しております」
「案内してください!」
俺は立ち上がる。
すぐに。
走った。
「拓真!」
後ろで新八さんが叫ぶ。
でも。
止まれなかった。
廊下を走る。
曲がる。
外へ出る。
そして。
石段で。
転んだ。
派手に。
「痛っ!」
膝。
手。
肩。
全部痛い。
「お前は!」
新八さんの怒鳴り声。
「こういう時まで転ぶな!」
「好きで転んでるんじゃないですよ!」
立とうとする。
でも。
手が震えていた。
うまく。
力が入らない。
新八さんが。
俺の腕を掴んだ。
乱暴に。
引き起こす。
「落ち着け」
「無理です」
「落ち着け」
「無理だって言ってるでしょう!」
俺は。
思わず。
その手を振り払った。
新八さんが黙る。
しまった。
と思った。
でも。
謝る余裕がなかった。
「田中さんかもしれないんですよ」
声が震えた。
「俺が」
喉が詰まる。
「生きてるかも、死んでるかも、確かめもしなかった人が」
新八さんは。
何も言わなかった。
そこへ。
紬が来た。
「拓真」
「何です」
「走る?」
「走ります」
「また転ぶよ」
「分かってますよ!」
「じゃあ歩いて」
「今そんな悠長な!」
紬が。
俺の袖を掴んだ。
強く。
「また転んで頭打って、会う前に死んだらどうするの」
俺は。
黙った。
「歩いて」
紬は言った。
「でも早く」
「どっちなんです!」
「早歩き」
「細かい!」
でも。
俺は。
歩いた。
早く。
ものすごく。
早く。
紬に袖を掴まれたまま。
◇
詰所。
戸の前に。
兵が二人。
中に。
男がいる。
「田中さん」
俺は。
戸に手をかけた。
一瞬。
止まった。
怖かった。
もし。
本当に。
田中さんだったら。
何て言う。
久しぶりです?
すみません?
生きてたんですね?
何で俺。
連絡しなかったんだろう。
何で。
見舞いにも行かなかった。
何で。
俺だけ。
逃げた。
「拓真」
紬が呼ぶ。
俺は。
息を吸った。
戸を開けた。
男が。
座っていた。
三十代くらい。
髪は短い。
痩せている。
頬に。
浅い傷。
着物。
両手。
縛られている。
男が。
顔を上げた。
俺を見た。
俺も。
男を見る。
一秒。
二秒。
そして。
俺は言った。
「違う」
紬が。
俺を見る。
「違う?」
「田中さんじゃない」
声。
自分でも。
分かるくらい。
落ちた。
「俺の知ってる田中さんじゃない」
顔が違う。
声も。
年齢も。
田中さんは。
もう少し。
肩幅があった。
笑うと。
右の頬だけ。
少し上がった。
この男じゃない。
絶対に。
男が。
笑った。
「やっぱり分かるか」
その言い方。
腹が立った。
「誰ですか」
俺は聞く。
「田中」
「嘘つけ」
自分でも驚いた。
こんな低い声。
出るんだ。
男は。
笑っている。
「俺は田中だ」
「違う!」
声が。
大きくなる。
「俺の知ってる田中さんじゃない!」
「そんなことは言ってない」
俺は。
止まった。
「……何?」
「本人だなんて、一言も言ってない」
男は。
口元を歪めた。
「俺は田中と名乗っただけだ」
頭の奥が。
熱くなった。
紬が。
俺の袖を掴む。
でも。
俺は。
一歩。
前へ出た。
「ふざけるな」
「何が」
「その名前を使うな」
「珍しい名でもない」
「俺に向かって使うな!」
男の笑みが。
少し。
深くなる。
その顔を見た瞬間。
俺は。
殴ろうとした。
本当に。
拳を握った。
一歩。
踏み込んだ。
次の瞬間。
新八さんに。
後ろから腕を掴まれた。
「離してください!」
「駄目だ」
「一発だけ!」
「駄目だ」
「本当に一発!」
「お前の一発など効かぬ」
「今そこ大事ですか!」
「大事だ」
俺は。
暴れた。
でも。
新八さん。
びくともしない。
男は。
面白そうに見ている。
それが。
余計に。
腹が立った。
「神谷」
男が言った。
俺は。
動きを止めた。
男が。
俺を見る。
「株式会社東都システム」
背中が。
冷えた。
「営業第二課」
誰も。
言葉を出さなかった。
俺も。
「佐々木課長」
息が。
止まる。
「田中が倒れたのは」
男が。
続ける。
「午後三時十二分」
俺は。
何も言えない。
知らない。
いや。
覚えてない。
時間なんて。
時計を見た記憶。
ない。
「そして」
男が。
少し笑った。
「神谷、お前はあの日」
嫌だ。
聞きたくない。
でも。
男は言った。
「缶コーヒーを一本、落とした」
世界が。
静かになった。
「……何で」
声が。
出ない。
「何で知ってる」
男は。
答えない。
缶コーヒー。
そうだ。
落とした。
田中さんが倒れた時。
自販機で買った。
ブラック。
手に持って。
デスクへ戻る途中だった。
大きな音。
振り返る。
田中さん。
床。
俺。
缶を落とした。
中身。
少し。
漏れた。
誰かが。
後で。
雑巾で拭いた。
そんなこと。
俺自身。
忘れてた。
「何で」
もう一度。
聞く。
「何で知ってるんです」
男は。
笑った。
「聞いたからだ」
「誰に」
「お前を知る女に」
もう一人の未来人。
俺の手が。
震えた。
「誰なんです」
答えない。
「名前は」
答えない。
「俺とどこで会った」
男は。
黙る。
「俺とどういう関係なんです!」
声が。
大きくなる。
「恋人?」
紬が。
急に言った。
俺は。
振り返った。
「今それ聞く!?」
「可能性」
「ないです!」
「即答」
「ないものはない!」
男が。
小さく笑った。
腹立つ。
本当に。
「笑うな!」
俺は叫ぶ。
男は。
こっちを見る。
「神谷拓真」
「何です」
「お前は相変わらずだな」
俺は。
凍りついた。
相変わらず?
「……どういう意味です」
「そのままだ」
「だから」
「自分では何もできない」
痛い。
「誰かが倒れても」
胸。
痛い。
「誰かが死んでも」
やめろ。
「悩んで」
やめろ。
「後悔して」
「黙れ」
「最後には逃げる」
「黙れ!」
俺は。
本気で叫んだ。
新八さんが。
腕を掴む力を強めた。
紬が。
俺を見る。
でも。
男は止めない。
「だから、あの方は言っている」
「何を」
男が。
まっすぐ。
俺を見る。
「伊達政宗を天下人にするな」
部屋が。
静かになる。
「お前が歴史を変えれば」
声。
低い。
「田中は、もう一度死ぬ」
俺は。
何も言えなかった。
「……もう一度?」
やっと。
それだけ。
「どういう意味です」
男は。
笑った。
「そのままだ」
「田中さんは死んだんですか」
答えない。
「生きてるんですか」
答えない。
俺は。
前へ出ようとする。
新八さんが。
止める。
「答えろ!」
男の笑みが。
消えた。
俺は。
震える声で。
聞いた。
「田中さんは」
一度。
唾を飲み込む。
「生きてるんですか」
男は。
長く。
黙っていた。
そして。
言った。
「お前が歴史を変えなければな」
俺は。
息ができなくなった。
意味が。
分からない。
分かりたくもない。
「じゃあ」
声が。
かすれる。
「政宗様を天下人にしたら」
男は。
俺を見る。
「田中は死ぬ」
「何で」
「歴史が変わるからだ」
「説明になってない!」
「お前はもう知っているだろう」
「何を!」
「誰かを救えば」
男が。
ゆっくり言う。
「別の誰かが死ぬ」
あの紙。
同じ言葉。
俺は。
何も言えなかった。
◇
詰所を出た。
逃げた。
たぶん。
また。
俺は。
俺が一番嫌いなことをした。
聞きたいこと。
山ほどある。
でも。
これ以上。
聞けなかった。
外。
夜。
寒い。
俺は。
壁にもたれた。
紬が。
隣に来た。
何も言わない。
「……何です」
俺が聞く。
「別に」
「今日はその言葉、助かります」
しばらく。
二人とも。
黙っていた。
「紬」
「何」
「俺」
声。
情けない。
「政宗様を天下人にするって言いました」
「うん」
「でも」
「うん」
「それで田中さんが死ぬなら」
言葉。
止まる。
紬は。
急かさない。
「俺」
言う。
「どうしたらいいんですかね」
答え。
欲しかった。
たぶん。
無理なのに。
紬は。
しばらく。
黙っていた。
それから。
「知らない」
と答えた。
俺は。
少し。
笑った。
「ですよね」
「でも」
紬が続ける。
「その男が本当のこと言ってるって、決まったの?」
俺は。
止まった。
「え?」
「拓真」
紬が俺を見る。
「騙されやすい」
「いきなり悪口!?」
「事実」
「もう少し優しく!」
「馬鹿」
「悪化した!」
でも。
紬は。
真面目な顔だった。
「その男は、拓真が田中って人を気にしてるって知ってる」
「はい」
「だったら」
「……」
「そこを使って、言うこと聞かせようとするかもしれない」
俺は。
何も言えなかった。
正しい。
そんな可能性。
ある。
いや。
普通なら。
最初に考えるべきだった。
でも。
田中さんの名前。
会社。
佐々木課長。
缶コーヒー。
そこまで言われて。
頭が。
全部。
持っていかれた。
「俺」
呟く。
「本当に馬鹿ですね」
「知ってる」
「そこは否定して!」
紬が。
少し笑った。
俺も。
少しだけ。
笑った。
すると。
新八さんが。
詰所から出てきた。
「拓真」
「はい」
顔。
険しい。
「何か分かりました?」
「一つ」
俺は。
立ち上がる。
「何です」
新八さんは。
少し。
嫌そうに言った。
「奴の持ち物を調べた」
「はい」
「紙が出た」
俺の背中が。
冷える。
「何て」
「俺には読めぬ」
現代日本語。
俺は。
紙を受け取った。
読む。
そして。
その場で。
動けなくなった。
――神谷。
――あなたは田中さんを助けられなかったんじゃない。
次の行。
――助けなかったんだよ。
俺の指が。
震えた。
でも。
それだけじゃない。
その下に。
もう一つ。
書かれていた。
――思い出して。
――倒れる前日、田中さんはあなたに「助けて」と言ったでしょう?
俺は。
紙を見た。
何度も。
何度も。
違う。
そんな記憶。
ない。
ないはずだ。
でも。
その瞬間。
頭の奥で。
誰かの声がした。
『神谷くん』
田中さん。
『俺さ』
笑っていた。
疲れた顔で。
『もう、ちょっと無理かもしれない』
俺は。
何て答えた?
思い出せない。
いや。
違う。
思い出したくない。
紙の最後。
一行。
――あなたは笑って、「俺もですよ」って答えた。
俺は。
その場に。
座り込んだ。
思い出した。
全部。
俺は。
田中さんに。
助けを求められていた。
そして。
俺は。
冗談だと思って。
笑ったんだ。




