第35話 「最愛の女は、もう政宗のそばにいる」と書かれていました
「これ、私と同じ長さ」
紬が。
自分の髪に触れながら言った。
俺は。
紙。
黒い髪。
紬。
もう一度。
黒い髪を見る。
そして。
最初に思った。
「だから何です?」
紬が俺を見る。
「何が」
「同じ長さだから何です」
「私かもしれない」
「髪なんて切れば誰でも用意できるでしょう!」
思ったより。
大きな声が出た。
使者が。
少し驚く。
千代も。
びくっとした。
でも。
止められなかった。
「そもそも黒髪でこのくらいの長さの女性なんて、他にもいるでしょう!」
楓が頷く。
「いる」
「ですよね!」
「私も似てる」
「ほら!」
楓が。
自分の髪を持ち上げる。
紬よりは少し短い。
でも。
十分。
似ている。
千代も。
恐る恐る。
自分の髪を見る。
「私も?」
「千代は少し短い」
紬が言った。
「……そっか」
なぜ。
ちょっと残念そうなんだ。
そこ。
張り合うところじゃない。
「ともかく!」
俺は。
髪を指差した。
「こんなの証拠になりません!」
「でも」
紬が言う。
「疑う理由にはなる」
俺は。
黙った。
腹が立った。
「山ノ瀬」
紬は続ける。
「志乃」
「……」
「水番役人」
「……」
「小十郎様の印」
「……」
「私の昔の名前」
一つずつ。
並べる。
自分を。
疑うための理由を。
「ほら」
紬が。
俺を見る。
「私を疑えばいい」
その言い方が。
ものすごく。
嫌だった。
「何ですか、それ」
「何が」
「私を疑えばいいって」
「そのまま」
「だから、それが嫌なんですよ!」
また。
声が大きくなる。
紬の眉が。
少し動いた。
「何で拓真が怒るの」
「怒りますよ!」
「私のことなのに」
「そういうところ!」
自分でも。
何に怒っているのか。
全部は分からない。
でも。
腹が立つ。
ものすごく。
「そうやって」
俺は言った。
「先に自分から、どうせ私は怪しいです、疑えばいいですって言うの、ずるいですよ」
紬の顔が。
固まった。
「ずるい?」
「ずるいです」
「何が」
「先に嫌われようとしてる!」
部屋が。
静かになった。
言ってから。
少し。
後悔した。
でも。
引っ込めなかった。
紬は。
俺を見る。
目が。
冷たくなった。
「別に」
「またそれ!」
「本当に別に」
「じゃあ何でそんな言い方するんです!」
「だって怪しいから!」
「だからって!」
「拓真だって疑ったでしょ!」
刺さった。
本当に。
痛いところだった。
紬が。
続ける。
「偽の軍議が漏れた時」
「……はい」
「私を疑った」
「はい」
「少しって言った」
「言いました」
「だったら今も同じ」
「違う!」
即答した。
紬が。
少し驚く。
「何が違うの」
「前は」
俺は。
言葉を探す。
「事実があった」
「今回も髪がある」
「髪だけです!」
「志乃とも繋がってる」
「それも知ってます!」
「だったら」
「でも!」
俺は。
紬を見た。
「今、あなたは自分から疑われようとしてるでしょう」
紬が。
何も言わない。
「それが嫌なんです」
「何で」
「知らない!」
本音だった。
「知らないけど嫌なんです!」
千代が。
おそるおそる。
「拓真さん」
「はい」
「たぶん」
「何です」
「紬にいなくなってほしくないんだと思う」
俺は。
黙った。
紬も。
楓が。
ものすごく冷静に言う。
「そういうことね」
「いや!」
反射的に。
否定した。
「そういう恋愛的な話じゃなくて!」
千代が。
きょとんとする。
「誰も恋愛って言ってないよ?」
俺は。
固まった。
しまった。
最悪だ。
紬が。
じっと俺を見る。
「へえ」
「違う!」
「何が?」
「今のは忘れて!」
「無理」
「頼むから!」
楓が。
小さく笑った。
使者まで。
目を逸らしている。
絶対。
笑ってる。
帰りたい。
でも。
追放中だから。
帰る場所がない。
最悪だ。
◇
それでも。
髪は。
ただの髪だった。
誰のものか。
分からない。
だから。
証拠にはしない。
そう決めた。
少なくとも。
俺たちは。
「でも」
楓が言った。
「城の人たちは、そうはいかないでしょうね」
俺は。
嫌な顔をする。
「でしょうね」
最愛の女。
黒い長髪。
政宗のそばにいる。
そして。
予言。
人は。
意味のないものにも。
意味をつける。
愛姫様。
義姫様。
女中。
侍女。
誰かの妻。
誰かの娘。
そして。
紬。
「城へ戻りましょう」
俺は言った。
使者が。
困った顔になる。
「ですが拓真殿は」
「追放中?」
「はい」
「表向きでしょう」
「ですが」
「面倒だな!」
本当に。
自分で言って。
その通り。
俺たちは。
罠のために追放されている。
なのに。
城で事件が起きる。
戻れない。
戻れば。
追放が嘘だとばれる。
「じゃあ」
紬が言った。
「こっそり戻れば」
「簡単に言いますね」
「前に倉へ忍び込んだ」
「それ敵の倉でしょう!」
「同じ」
「城と人買いの倉を一緒にするな!」
でも。
結局。
夜。
俺たちは。
こっそり城へ戻った。
俺。
紬。
新八さん。
本来は。
新八さんが迎えに来るだけのはずだった。
千代も行く。
と言った。
駄目。
と言った。
珍しく。
三回くらい。
揉めた。
最後には。
千代が泣きそうになった。
でも。
今回は。
置いてきた。
楓がそばにいる。
小鈴もいる。
「怒ってましたね」
俺が言う。
新八さんが答える。
「誰が」
「千代」
「仕方あるまい」
「嫌われたかな」
紬が言う。
「気にするんだ」
「しますよ!」
「面倒」
「人間関係に鈍感なふりしてる人に言われたくない!」
「ふりじゃない」
「嘘だ!」
紬が。
少しだけ。
笑った。
どうやら。
さっきの喧嘩は。
完全には終わっていない。
でも。
話してはいる。
それで。
今はいい。
◇
城。
空気が。
悪かった。
入った瞬間。
分かった。
廊下ですれ違う人間が。
互いを見ている。
いや。
見すぎている。
誰が。
誰を。
疑っている?
女中が二人。
話している。
俺たちに気づくと。
黙る。
侍女が。
別の侍女から。
少し距離を取る。
男たちも。
同じ。
「最悪ですね」
俺が呟く。
新八さんが。
「まだ二日目だ」
と答えた。
あと五日。
予言の日まで。
「これ、七日後まで持ちます?」
誰も答えなかった。
小十郎さんの部屋へ。
裏から入る。
「拓真殿」
小十郎さんが。
ものすごく嫌そうな顔をした。
「何です、その顔」
「なぜ来たのです」
「心配だったから!」
「追放中でしょう」
「それ何回聞けばいいんです!」
「表向きは大事です」
「じゃあ何で呼んだんです!」
「私は新八だけを呼びました」
「ひどい!」
小十郎さんは。
ため息をついた。
そして。
紬を見る。
「そなたも」
「ついてきた」
「でしょうね」
もう。
諦められてる。
「政宗様は?」
俺が聞く。
「無事です」
「愛姫様は?」
「無事です」
「義姫様は?」
「無事です」
「じゃあ」
「ですが」
小十郎さんの声が。
変わった。
俺は。
止まる。
「何です」
「三通目が届きました」
嫌だ。
本当に。
「何て?」
小十郎さんが。
机の上の紙を。
こちらへ滑らせた。
読めない。
俺が。
じっと見る。
「何て書いてあるんです」
小十郎さんは。
静かに答えた。
「裏切りは」
少し。
間を置く。
「すでに始まっている」
俺の背中が。
冷えた。
「それだけ?」
「いいえ」
小十郎さんが。
もう一枚。
紙を出す。
「今朝」
「はい」
「殿と私しか知らぬ軍議の内容が」
俺は。
息を止めた。
「外へ漏れました」
また。
軍議。
また。
情報漏洩。
「誰が知ってたんです」
「殿と私」
「本当に?」
小十郎さんの目が。
少し。
鋭くなる。
俺は。
しまった。
と思った。
「いや」
「疑いますか」
「疑いたくないです」
正直に言った。
小十郎さんは。
少しだけ。
笑った。
「それでよいのです」
「よくないですよ。俺が嫌なんです」
前にも。
似たことを言った。
小十郎さんが。
ほんの少し。
目を細めた。
「拓真殿」
「はい」
「私を疑うことと、私を嫌うことは別です」
「分かってます」
「分かっておりません」
「……はい」
負けた。
小十郎さんが。
紙を見下ろす。
「ですが」
声。
低い。
「今回は」
俺を見る。
「私でもありません」
俺の喉が。
乾く。
「じゃあ誰が」
その時。
廊下で。
足音。
政宗が。
入ってきた。
顔。
笑っていない。
「拓真」
「はい」
「来たか」
「来ました」
「追放中であろう」
「もうその話やめて!」
政宗が。
少し笑う。
でも。
すぐに。
笑みが消えた。
「一人」
言った。
「消えた」
部屋の空気が。
変わった。
「誰がです」
俺が聞く。
政宗は。
紬を見る。
そして。
答えた。
「愛姫の侍女だ」
誰も。
言葉を出せなかった。
「いつから?」
「今朝」
「名前は?」
政宗が。
答える。
「志乃」
俺の心臓が。
大きく鳴った。
紬の顔から。
血の気が引いた。
「……嘘」
紬が言う。
政宗は。
首を振った。
「侍女として仕えていた名は別だ」
俺は。
息を呑む。
「偽名?」
「おそらくな」
「じゃあ」
「顔は」
政宗が。
紬を見る。
「そなたが山ノ瀬で見た女と、よく似ているそうだ」
紬の手が。
震えた。
ほんの少し。
でも。
今度は。
俺は。
それを見ないふりをしなかった。
「紬」
呼ぶ。
「大丈夫ですか」
「大丈夫」
「嘘」
「うるさい」
「今回は言わせてください」
紬が。
俺を見る。
怒っている。
怖い。
でも。
俺は。
続けた。
「志乃が城の中にいたなら」
「……」
「あなたが怪しいんじゃない」
俺は。
はっきり言った。
「志乃が、あなたを怪しく見せようとしてたんです」
紬は。
何も言わなかった。
政宗が。
静かに。
「その通りだ」
と。
言った。
俺たちは。
二日間。
予言に踊らされた。
黒い髪。
最愛の女。
裏切り。
全部。
志乃が。
人間に。
勝手に疑わせるための餌だった。
そして。
その餌に。
俺たちは。
ちゃんと食いついた。
「面白くないですね」
俺が言う。
政宗が。
俺を見る。
「うむ」
「珍しく同意しましたね」
「本当に」
政宗の片目が。
冷たくなる。
「面白くない」
その時。
外から。
兵が飛び込んできた。
「殿!」
「何だ」
「愛姫様が!」
政宗が。
立ち上がった。
俺も。
心臓が止まりそうになる。
兵が。
息を切らして言った。
「愛姫様が、姿を消されました!」
そして。
予言の日まで。
あと五日だった。




