第29話 紬を呼び出した罠は、最初から俺たちを狙っていました
「拓真」
新八さんが。
低い声で言った。
「動くな」
「言われなくても動けません」
本音だった。
前。
三人。
右。
二人。
左。
たぶん二人。
後ろにもいる。
月明かりの下。
男たちは刀を持っていた。
俺は持っていない。
仮に持っていても。
意味はない。
使えないから。
「新八さん」
「何だ」
「勝てます?」
「俺一人ならな」
「それ、俺が邪魔って意味ですよね?」
「今さら気づいたのか」
「もう少し優しく言って!」
こんな時なのに。
本気で傷ついた。
いや。
傷ついてる場合じゃない。
目の前の男が。
刀を抜いた。
俺は。
新八さんの後ろへ。
一歩。
隠れた。
「お前」
新八さんが言う。
「自然に俺を盾にしたな」
「適材適所です!」
「後で殴る」
「生きて帰れたら甘んじて受けます!」
「本当だな」
「いや、やっぱり話し合いで!」
新八さんが。
ほんの少し笑った。
でも。
刀を抜く音は。
笑えなかった。
本物。
人を斬るための音。
俺の足が。
震える。
怖い。
何度経験しても。
慣れない。
慣れたくもない。
「おい」
新八さんが。
小さく言う。
「俺が道を開く」
「はい」
「走れ」
「はい」
「転ぶな」
「それ一番難しい!」
「なら死ね」
「選択肢が極端なんですよ!」
その時だった。
男の一人が言った。
「殺すな」
俺と新八さんが。
同時に。
そちらを見る。
「生け捕りだ」
……え?
殺すな?
俺は。
息を止めた。
新八さんの目が。
鋭くなる。
男たち。
俺たちを囲んでいる。
人数も多い。
さっきから。
間合いを詰めてはいる。
でも。
襲ってこない。
なぜ?
俺は。
考えた。
というより。
怖すぎて。
考えるしかなかった。
殺せる。
たぶん。
俺だけなら。
一瞬。
新八さんがいるから簡単ではない。
でも。
弓も使っていない。
石も投げない。
叫んで仲間を呼びもしない。
囲んでいる。
逃がさないために。
「新八さん」
小声で呼ぶ。
「何だ」
「こいつら」
「うむ」
「俺たちを殺したくない?」
「らしいな」
「何ででしょう」
「知らん」
「考えてくださいよ!」
「戦っておる最中だ!」
「まだ戦ってない!」
「これからだ!」
「もっと嫌だ!」
前の男が。
苛立ったように言う。
「黙れ!」
俺は。
反射的に。
「はい!」
と答えた。
新八さんが。
ものすごく嫌そうな顔をする。
「お前は本当に」
「条件反射なんです!」
会社員時代。
上司に怒鳴られると。
大体。
はい。
申し訳ありません。
今後気をつけます。
これで生き延びてきた。
戦国時代でも。
身体に染みついたものは抜けないらしい。
でも。
その時。
気づいた。
「……俺?」
「何だ」
「生け捕りって」
「聞こえた」
「俺たち二人?」
新八さんが。
一瞬。
黙った。
俺は。
男を見る。
「誰を生け捕りにするんです?」
男は答えない。
「俺?」
やっぱり。
答えない。
でも。
ほんの少し。
目が動いた。
俺を見た。
「……俺か」
背中が冷えた。
何で?
俺は。
戦えない。
武将でもない。
金もない。
土地もない。
人質として価値がある?
政宗に対して?
いや。
政宗なら。
俺が捕まっても。
笑って、
――面白い。
とか言いそうだ。
いや。
本当に言いそうで嫌だ。
「拓真」
新八さんが言う。
「下がれ」
「でも」
「お前が狙いだ」
俺は。
もう一歩。
下がった。
情けない?
知るか。
死にたくない。
俺は英雄じゃない。
◇
一方。
少し離れた祠の前。
紬は。
偽の庄蔵。
左頬に傷のある男を。
睨んでいた。
「こいつじゃない」
紬はもう一度言った。
志乃の顔から。
笑みが消えていた。
「何を言っているの、美緒」
「その名で呼ぶな」
「あなたが崖から落とした男でしょう」
「違う」
「忘れただけよ」
「違う」
紬の声は。
震えていた。
でも。
迷っていなかった。
「私を運んだ男ではある」
傷の男を見る。
「でも、あの時の男じゃない」
傷の男が。
笑った。
「よく覚えているな」
紬の顔が。
変わった。
「……お前」
「覚えていてもらえて光栄だ」
「誰が忘れるか」
声。
冷たい。
俺は。
林の陰から。
遠くにいる紬を見ていた。
聞こえる。
全部ではない。
でも。
何となく。
分かる。
あの男。
紬を運んだ。
千代たちを売った側。
俺は。
急に。
腹が立った。
怖い。
でも。
腹も立つ。
両方。
普通にある。
新八さんが。
ちらっと俺を見る。
「変な顔をするな」
「どんな顔です」
「泣きそうで怒っておる」
「俺、そんな器用な顔できます?」
「できておる」
また。
顔に出てる。
嫌だ。
本当に。
その時。
志乃が。
こちらを見た。
遠い。
でも。
間違いなく。
俺を見た。
そして。
笑った。
「出ていらっしゃい」
俺は。
動かなかった。
新八さんも。
「隠れているのでしょう」
声が。
山の中に響く。
「未来から来た、お客人」
俺の。
心臓が。
止まった気がした。
本当に。
一瞬。
音が。
消えた。
「……は?」
俺は。
口から。
それしか出なかった。
新八さんが。
俺を見る。
「拓真」
「聞き間違いです」
「俺にも聞こえた」
「じゃあ新八さんの耳もおかしい」
「現実を見ろ」
「嫌です!」
だって。
何で。
何で知ってる。
俺が未来人だって。
知っているのは?
政宗。
小十郎さん。
新八さん。
成実。
あと。
誰だ。
紬。
千代たちには。
少し話した。
いや。
全部ではない。
でも。
知っている人間は。
思ったより多い?
俺。
馬鹿か。
本当に。
「出てこないなら」
志乃が言う。
「こちらから参りましょうか」
「来るな!」
俺は思わず叫んだ。
しまった。
自分から居場所を教えた。
新八さんが。
目を閉じた。
「お前は」
「すみません」
「本当に馬鹿だな」
「今は否定できません!」
志乃が笑った。
「面白い方ね」
「その言葉嫌いなんですよ!」
政宗を思い出すから。
志乃は。
紬を見る。
「美緒」
「紬」
「では、紬」
志乃が。
ゆっくり。
言った。
「取引をしましょう」
紬は答えない。
「未来人を渡しなさい」
俺は。
息を止めた。
新八さんの刀を握る手に。
力が入る。
「そうすれば」
志乃は続ける。
「あなたは自由よ」
紬が。
黙った。
その沈黙。
ほんの。
数秒。
でも。
俺には。
長かった。
嫌だった。
胸の奥が。
痛んだ。
何を期待してる。
俺は。
紬に。
即答してほしかった?
馬鹿言うな。
拓真は渡さない。
そう言ってほしかった?
勝手だ。
ものすごく。
勝手。
紬は。
ずっと自由になりたかった。
人に売られて。
逃げて。
追われて。
昔の名前まで捨てて。
やっと。
俺のところで。
一月だけ。
家来になった。
本当の意味では。
まだ。
どこにも縛られたくないはずだ。
自由。
欲しいに決まってる。
迷って。
当然だ。
なのに。
俺は。
その数秒で。
傷ついた。
本当に。
面倒くさい。
俺。
最低だな。
「拓真」
新八さんが小さく呼ぶ。
「何です」
「妙な顔をするな」
「放っておいてください」
「信じられぬか」
「分かりません」
「正直だな」
「最近そればっかりです」
俺は。
紬を見る。
紬は。
志乃を見たまま。
やっと。
口を開いた。
「自由にはなりたい」
胸が。
少し。
沈んだ。
志乃が。
笑った。
「でしょう?」
「うん」
紬は。
言った。
「誰にも命令されたくない」
「なら」
「自分で決めたい」
「そう」
「だから」
紬が。
俺の方を見た。
遠い。
でも。
目が合った気がした。
「こいつを売ってまで欲しくない」
俺は。
息を吐いた。
思った以上に。
大きく。
「よかった……」
口から出た。
新八さんが。
横を見る。
「嬉しそうだな」
「うるさいです」
「顔に出ておる」
「もう嫌だ、俺の顔!」
志乃の笑みが。
少し薄くなる。
「馬鹿ね」
紬が答える。
「知ってる」
「その男は、あなたを守れない」
「知ってる」
俺は。
傷ついた。
「そこは否定して!」
思わず叫ぶ。
全員が。
こっちを見る。
紬が。
少しだけ。
笑った。
「うるさい」
「命の危機でも扱い変わらないな!」
志乃が。
俺を見る。
「あなたが未来から来たというのは、本当なのね」
俺は。
黙った。
何を答える。
否定?
もう遅い?
「知らないです」
「何を」
「俺、自分が何でここに来たのか知りません」
これは。
本当。
「未来から来たかどうかも、証明できません」
「携帯電話」
背中が。
冷たくなった。
志乃が言った。
「電気」
俺は。
完全に。
黙った。
そこまで。
知っている。
政宗との。
最初の会話。
かなり。
近いところ。
「誰から聞いた」
新八さんが。
低く言う。
志乃は。
笑った。
「誰でしょう」
「ふざけるな」
「伊達家は大きいもの」
志乃が。
静かに。
言った。
「若殿のそばには、多くの目がある」
俺は。
政宗の顔を。
思い浮かべる。
屋敷。
家臣。
兵。
女中。
出入りする商人。
僧。
農民。
誰でも。
あり得る?
嫌だ。
そんなの。
「誰だ」
新八さんが聞く。
「内通者は」
志乃は。
答えなかった。
代わりに。
紬を見る。
「美緒」
「その名で呼ぶな」
「あなたも知らないのね」
「何を」
「あなたたちより」
志乃が。
少し。
笑った。
「ずっと前から」
声。
静か。
「政宗様を見ている人がいる」
空気が。
冷えた。
「何を言ってる」
紬が聞く。
志乃は。
答えない。
「誰」
「さあ」
「言え!」
紬が。
一歩。
前へ出た。
その瞬間だった。
傷の男が動く。
新八さんが叫ぶ。
「拓真、伏せろ!」
「また!?」
俺は。
反射で。
地面へ倒れた。
矢が飛んだ。
男たちが動く。
志乃が。
闇へ退く。
「待て!」
紬が追おうとする。
傷の男が。
紬の前へ立つ。
そして。
笑った。
「今度こそ」
刀を抜く。
「運んでやるよ、美緒」
紬の顔が。
凍った。
俺は。
考えるより先に叫んだ。
「紬! 逃げろ!」
でも。
次の瞬間。
別の声が。
闇から響いた。
「その必要はありません」
俺は。
知っている。
その声。
穏やか。
静か。
でも。
怒った時ほど。
怖い。
片倉小十郎景綱。
小十郎さんが。
暗闇から。
姿を現した。
そして。
いつもの穏やかな顔で。
言った。
「私の家の印を勝手に使い」
一歩。
前へ出る。
「私の殿を売り」
さらに。
一歩。
「私の知人を罠にかけた」
俺は。
小さく。
訂正したかった。
知人?
俺。
そこ。
家臣じゃないんだ。
でも。
今はやめた。
小十郎さんが。
笑う。
本当に。
静かに。
「覚悟はできておりますね」
その瞬間。
初めて。
傷の男の顔から。
笑いが消えた。




