第28話 志乃から、紬に呼び出しの手紙が届きました
――美緒へ。
お前が崖から落とした男は、まだ生きている。
会いたければ。
明日の夜。
一人で来い。
最後に。
志乃。
その名前が。
書かれていた。
俺は。
紙を見た。
紬を見る。
もう一度。
紙を見る。
「行きませんよね?」
聞いた。
紬が答える。
「行く」
早い。
あまりにも早い。
「いやいやいや!」
俺は思わず声を上げた。
「普通もう少し迷いません!?」
「迷っても同じ」
「同じじゃない!」
「同じ」
「一人で来いって書いてあるんですよ!? どう考えても罠でしょう!」
「分かってる」
「分かってて行くの!?」
「うん」
何なの。
この人。
俺より頭いいと思ってたのに。
「新八さん!」
「何だ」
「何で黙ってるんです!」
「お前が十分うるさい」
「そういう問題じゃない!」
新八さんは腕を組み。
紬を見る。
「俺も勧めぬ」
「でも行く」
「だろうな」
「諦め早すぎません!?」
「こういう目をする者は止めても行く」
嫌な経験則だ。
ものすごく。
嫌な。
「じゃあ縛りましょう」
俺が言う。
紬が睨む。
「やってみれば」
「何でちょっと喧嘩腰なんですか!」
「拓真が先に縛るって言った」
「それはそうだけど!」
紬が立ち上がった。
俺は。
反射的に。
その前へ立つ。
「どいて」
「嫌です」
「どいて」
「嫌です」
「蹴るよ」
「話し合いって言葉知ってます!?」
「知ってる。どいて」
「それ話し合いじゃない!」
紬が。
本気で。
俺を睨んでいる。
でも。
俺も。
退かなかった。
正直。
怖い。
紬。
結構強い。
石も一人で動かす。
俺なんか。
たぶん普通に負ける。
でも。
退きたくなかった。
「これは私の過去だから」
紬が言った。
「はい」
「拓真には関係ない」
胸の奥に。
少し。
刺さった。
「関係あります」
「ない」
「あります」
「何が」
「今は俺の家来でしょう!」
言った。
紬の眉が動く。
「一月だけ」
「あと何日かなんて知らないけど、今はそうでしょう!」
「十九日って言った」
「覚えてるんですか!」
「当然」
「じゃあ十九日間は俺にも関係あります!」
言ってから。
何だ。
この理屈。
滅茶苦茶だ。
でも。
引っ込める気はなかった。
「私が行きたいって言ってる」
「俺が嫌なんです!」
「また自分のため?」
「そうですよ!」
紬が。
少し黙った。
俺も。
止まらない。
「一人で行って、捕まって、戻ってこなかったら、俺が嫌な気分になるんです!」
「勝手」
「知ってます!」
「面倒」
「お前にだけは言われたくない!」
新八さんが。
小さく息を吐いた。
「……俺は帰ってよいか」
「駄目です!」
「なぜだ」
「止めてくださいよ!」
「今さら俺一人増えたところで止まるか?」
止まらない。
確かに。
でも。
そこは頑張ってほしい。
紬が言う。
「拓真」
「何です」
「私が崖から落とした男」
「はい」
「生きてるかもしれない」
「はい」
「会いたい」
その声で。
俺は。
少しだけ。
言葉に詰まった。
会いたい。
なぜ。
安心したいから?
謝りたいから?
死んでいなかったと知りたいから?
それとも。
本当に死んでいないか。
自分の目で。
確認したいだけ?
「怖い?」
俺は聞いた。
紬の顔が。
一瞬。
変わった。
「何が」
「会うの」
「別に」
「嘘」
「嘘じゃない」
「さっき俺に、嘘はついたって言ったでしょう」
「それとこれとは」
「同じです」
「違う」
「じゃあ手」
俺は。
紬の手を見る。
「震えてます」
紬が。
反射的に手を隠した。
それで。
答えだった。
「見るな」
「見えたんです」
「見ないで」
「……はい」
俺は目を逸らした。
今度は。
黙った。
少しだけ。
長い沈黙。
「怖い」
紬が言った。
小さい声。
「はい」
「だから行く」
「何でそうなるんです!」
思わず戻った。
「怖いなら行かないでくださいよ!」
「怖いから行くの」
「意味分からない!」
「分からなくていい」
「分からせてくださいよ!」
また。
言い合いになる。
本当に。
面倒だ。
でも。
紬が。
急に。
俺を見た。
「じゃあ拓真ならどうするの」
「何がです」
「自分が殺したと思ってた人が、生きてるかもしれない」
「……」
「会えば分かる」
「……」
「行かない?」
俺は。
答えられなかった。
行かない。
危険だから。
そう言えばいい。
でも。
本当に?
俺なら。
俺が。
ずっと。
人を殺したかもしれないと思って生きて。
ある日。
生きているかもしれないと言われたら。
行かない?
「……行くかもしれません」
紬が言う。
「ほら」
「でも一人では行かない!」
「弱いから?」
「そうです!」
即答した。
「刀使えない! 走れば転ぶ! 馬も下手! だから助けを呼びます!」
紬が。
少し。
呆れた顔をした。
「情けない」
「生き残るためなら情けなくて結構です!」
「格好悪い」
「知ってる!」
「でも」
紬が。
ほんの少し。
笑った。
「拓真らしい」
俺は。
何となく。
負けた気がした。
◇
翌朝。
政宗に。
全部話した。
手紙を見せる。
紬が一人で行くと言っている。
俺は反対。
新八さんも反対。
でも。
政宗は。
手紙を読み終えると。
あっさり言った。
「行け」
俺は。
耳を疑った。
「誰が?」
「紬が」
「一人で?」
「うむ」
「駄目でしょう!」
政宗が俺を見る。
「なぜだ」
「罠だからです!」
「であろうな」
「であろうな、じゃない!」
小十郎さんも。
そこにいた。
俺は助けを求める。
「小十郎さん!」
「殿のお考えを聞きましょう」
「何で今日に限って冷静なんです!」
「私はいつも冷静です」
「自分で言うんだ……」
政宗が。
面白そうに笑う。
「拓真」
「何です」
「志乃は一人で来いと申しておる」
「はい」
「ならば一人で行かせればよい」
「だから!」
「相手にそう思わせればよい」
俺は。
口を閉じた。
「……あ」
政宗が笑う。
「ようやく気づいたか」
悔しい。
「つまり」
小十郎さんが言う。
「紬殿は一人で向かう」
「はい」
「しかし我らは別に動く」
「はい」
「見張られている可能性もありますから、最初から一緒に行くのは駄目」
「その通りです」
俺は。
少し。
考えた。
「じゃあ俺も」
新八さんが言う。
「駄目だ」
「まだ最後まで言ってない!」
「どうせ俺も行く、であろう」
「そうです!」
「だから駄目だ」
「何で!」
「足手まとい」
早い。
ひどい。
「俺、ここまで結構役に立ってますよね!?」
紬が言う。
「少し」
「少し!?」
千代まで。
「前よりは」
「比較対象が昔の俺なの辛いな!」
政宗が。
腹を抱えて笑っている。
俺は。
この人が。
ますます嫌いになりそうだった。
いや。
ちょっとだけ。
「拓真」
政宗が言う。
「お前も行け」
「え?」
さっきまで。
駄目な流れだったのに。
「ただし、紬の近くには行くな」
「じゃあ何するんです?」
「別の道から回れ」
「俺、山道分からないんですけど」
「新八をつける」
新八さんが言う。
「は?」
俺も言う。
「は?」
政宗が笑う。
「仲がよいな」
「よくない!」
俺たちの声が重なった。
小十郎さんまで。
少し笑った。
「私は別の経路から回りましょう」
「小十郎さんも?」
「志乃が私の印を持っているなら、私にも関わりがあります」
その顔。
穏やか。
でも。
いつもより。
少しだけ。
硬い。
「では」
政宗が言った。
「紬は一人で行け」
「はい」
「拓真と新八は西側の林」
「はい」
「小十郎は北」
「はっ」
「俺は」
全員が見る。
政宗が。
にやりと笑う。
「ここで待つ」
俺は叫んだ。
「一番安全なところじゃないですか!」
「主だからな」
「ずるい!」
「働け、家臣」
「誰が家臣だ!」
「お前だ」
あ。
そうだった。
悔しい。
◇
夜。
紬は。
一人で。
山道を歩いた。
俺と新八さんは。
かなり離れて。
林の中。
「暗い」
「黙れ」
「虫多い」
「黙れ」
「足元見えない」
「黙れ」
「俺、帰りたい」
「帰れ」
「一人じゃ無理!」
新八さんが。
心底。
嫌そうな顔をした。
「なぜお前はついてきた」
「心配だからですよ!」
「紬を?」
「そうです!」
「ほう」
「何です、その顔」
「何も」
「絶対何か思ってる!」
「黙れ。気づかれる」
俺は。
口を閉じた。
少し。
遠く。
開けた場所。
古い祠。
そこに。
紬が立っていた。
一人。
本当に。
一人に見える。
しばらく。
誰も来ない。
十分。
いや。
もっと。
俺には。
ものすごく長く感じた。
そして。
暗闇から。
女が現れた。
細い。
黒い着物。
顔は。
よく見えない。
でも。
手首。
赤い糸。
俺は。
息を止めた。
志乃。
たぶん。
あれが。
「久しぶりね」
女が言った。
その声。
遠くても。
聞こえた。
紬の肩が。
少し震えた。
「美緒」
紬が。
即座に言う。
「その名で呼ぶな」
女が笑った。
「紬、だったかしら」
「何でもいい」
「随分、変わったわね」
「お前は変わらない」
「そう?」
「人を売るところ」
女の笑いが。
少し消えた。
「私は売っていない」
「同じ」
「そう思いたいなら、そう思えばいい」
嫌な言い方。
俺でも。
腹が立つ。
紬が言う。
「男は」
「何?」
「私が崖から落とした男」
「ああ」
志乃が。
楽しそうに笑った。
「生きているわ」
紬の指が。
ぎゅっと握られる。
「本当に?」
「ええ」
「どこにいる」
「会いたい?」
「聞いてる」
「怖い?」
「黙れ」
志乃は。
笑った。
その笑い。
俺には。
ものすごく。
嫌だった。
「生きている」
もう一度。
志乃が言う。
「でも」
少し。
間を置く。
「昔のままではない」
紬が。
動かない。
「今は」
志乃の声。
静か。
「水番役人の側にいる」
俺は。
新八さんを見る。
新八さんの顔も。
変わった。
水番。
また。
そこに戻る。
「名前は」
紬が聞く。
志乃は。
少しだけ。
首を傾けた。
「忘れたの?」
「知らない」
「そうね」
笑う。
「あなたは、あの男の名前なんて知らなかった」
紬の顔が。
固くなる。
「教えろ」
「庄蔵」
俺は。
その名前を。
頭の中で繰り返した。
庄蔵。
「そして」
志乃が続ける。
「彼も」
紬を見る。
「あなたに会いたがっている」
その瞬間。
草むらの向こうから。
男の声がした。
「美緒」
紬が。
凍りついた。
俺も。
息を止めた。
暗闇から。
一人の男が。
ゆっくり。
姿を現した。
左の頬。
大きな傷。
俺は。
見覚えがあった。
あの男。
市場で。
紬が。
――あいつ。私を運んだ男。
そう言った。
あの。
左頬に傷のある男だった。
そして。
紬が。
かすれた声で。
呟いた。
「……違う」
俺は。
聞き間違えたかと思った。
紬は。
その男を見ていた。
震えながら。
でも。
はっきり。
言った。
「こいつじゃない」
志乃の笑いが。
消えた。
「何ですって?」
「私が崖から落とした男じゃない」
次の瞬間。
新八さんが。
低く言った。
「拓真」
「はい」
「罠だ」
俺は。
やっと。
気づいた。
遅かった。
背後で。
枝が折れた。
振り返る。
暗闇の中。
俺たちを囲むように。
何人もの男が。
立っていた。




