第25話 犯人を疑う前に、その子が毒を飲まされました
少女が倒れていた。
俺のメモを。
握ったまま。
「おい!」
最初に動いたのは新八さんだった。
駆け寄る。
少女の肩を抱く。
俺も。
遅れて膝をついた。
「大丈夫ですか!」
返事がない。
口元。
赤い。
血。
「紬!」
「いる!」
「人を! 医者を!」
「分かった!」
紬が走る。
俺は。
少女を見る。
小さい。
十三歳くらい。
いや。
もっと幼い?
痩せているから。
分からない。
砦から助け出した少女の一人。
それは分かる。
顔も。
見覚えがある。
でも。
「……」
名前が。
分からない。
俺は。
この子の名前を知らなかった。
十人助けた。
そう言っていた。
十人連れて帰った。
飯を食わせる。
寝る場所を作る。
偉そうに。
その後まで面倒を見ると。
言った。
なのに。
名前も知らない。
「くそっ」
口から出た。
新八さんが俺を見る。
「何だ」
「俺」
声が震えた。
「この子の名前、知りません」
新八さんは何も言わなかった。
その方が。
辛かった。
◇
「助けろ」
政宗は言った。
医師が少女を診ている。
俺たちは。
少し離れた場所にいた。
「殿」
新八さんが言う。
「この娘が、拓真の部屋へ忍び込み、書付を盗んだ可能性が」
「それは後だ」
政宗の声は冷たかった。
「助けろ。話は生きてから聞く」
それだけ。
俺は。
政宗を見る。
「政宗様」
「何だ」
「怒ってます?」
「何にだ」
「この子に」
政宗は答えなかった。
代わりに。
俺を見た。
「お前は怒っておるのか」
「……分かりません」
本当に。
分からなかった。
俺の部屋へ入った。
メモを盗んだ。
そのせいで。
情報が外へ出た。
もし本当なら。
怒るべき?
でも。
今。
目の前で苦しんでいる。
血まで吐いた。
「腹は立ってます」
俺は言った。
紬が俺を見る。
「でも」
続ける。
「死んでほしいほどじゃない」
政宗が。
少しだけ。
目を細めた。
「ならば」
言った。
「死ぬ前に助けろ」
「俺、医者じゃないですよ」
「知っておる」
「じゃあ無茶振りしないでください!」
「うるさい」
「理不尽!」
こんな時なのに。
紬が。
ほんの少し笑った。
俺も。
笑いそうになった。
でも。
笑えなかった。
奥では。
少女が苦しそうに咳をしていた。
◇
命は。
助かった。
少なくとも。
その日の夕方には。
そう言われた。
毒。
だったらしい。
ただし。
何を飲まされたのかは分からない。
量が少なかったのか。
吐き出したのが早かったのか。
医師も。
はっきりとは言わなかった。
「よかった……」
俺は座り込んだ。
本当に。
腰が抜けた。
紬が横から言う。
「情けない」
「今日は許してくださいよ」
「顔もひどい」
「泣いてませんからね」
「目、赤い」
「寝不足です!」
「嘘」
「うるさいな!」
でも。
安心した。
本当に。
俺は。
少女の名前を知らない。
まだ。
知らない。
でも。
死んでほしくなかった。
それだけは。
はっきりしていた。
◇
少女が目を覚ましたのは。
夜だった。
俺。
紬。
千代。
楓。
新八さん。
そして。
政宗。
全員いる。
多い。
俺でも圧迫感がある。
目を覚ました少女は。
もっと怖いだろう。
「政宗様」
俺は小声で言った。
「何だ」
「人、多くないです?」
「多いな」
「じゃあ減らしましょうよ」
「誰が出る」
「政宗様とか」
「斬るぞ」
「すみません!」
少女の瞼が動いた。
目が開く。
最初。
何も分からないような顔をした。
それから。
俺を見る。
紬を見る。
政宗を見る。
顔が。
青ざめた。
「大丈夫です」
俺は言った。
「今は」
少女が。
身体を起こそうとする。
でも。
力が入らない。
「寝てていいです」
「……ごめんなさい」
最初の言葉だった。
俺は。
胸が痛くなった。
「何で謝るんです」
「私」
声がかすれている。
「盗ったから」
部屋が静かになった。
俺の。
メモ。
やっぱり。
この子が。
「あなたが?」
少女が頷く。
「俺の部屋から?」
また。
頷く。
「何で」
俺の声。
自分でも。
思ったより低かった。
少女が震える。
しまった。
怖がらせた。
「いや」
慌てる。
「怒鳴らないです。だから」
紬が言った。
「顔は怒ってる」
「今言わなくていい!」
「本当のこと」
「本当に今じゃない!」
少女が。
少し。
びっくりした顔をした。
それから。
ほんの一瞬。
口元が動いた。
笑った?
たぶん。
でも。
すぐ消えた。
「誰かに頼まれた?」
俺が聞く。
少女は。
頷かなかった。
首も振らない。
「脅された?」
反応。
あった。
指が。
布団を握る。
「誰に」
沈黙。
新八さんが口を開く。
「申せ」
声が強い。
少女の肩が跳ねた。
俺は。
思わず新八さんを見る。
「新八さん」
「何だ」
「怖いです」
「聞いておるだけだ」
「顔が尋問なんですよ!」
「何だ、その顔は」
「今の顔です!」
政宗が鼻で笑った。
新八さんが俺を睨む。
でも。
少し離れた。
少女の肩から。
力が抜ける。
「名前」
俺は聞いた。
「え?」
「あなたの名前」
少女が。
俺を見る。
「俺、知りませんでした」
正直に言った。
「助けたとか。面倒見るとか。偉そうに言ったのに」
喉が。
少し詰まる。
「名前も知らなかった」
少女は黙っている。
「だから」
俺は。
頭を下げた。
「教えてもらえますか」
紬が。
俺を見る。
千代も。
楓も。
何も言わない。
長い沈黙。
そして。
「……小鈴」
少女が言った。
「小鈴?」
「うん」
「本当の名前?」
聞いてから。
しまったと思った。
でも。
小鈴は。
首を振った。
「分からない」
「分からない?」
「昔」
少し息をする。
「鈴を持ってたから。そう呼ばれた」
それ以上。
聞けなかった。
「じゃあ」
俺は言う。
「小鈴さん」
少女が。
少しだけ。
目を開いた。
さん。
と呼ばれるのが。
変だったのかもしれない。
「俺のメモを盗ったのは、小鈴さんですね」
「……うん」
「誰に頼まれた?」
今度は。
答えない。
「その人に」
千代が言った。
みんなが見る。
千代は。
怖がりながらも。
続けた。
「何かされたの?」
小鈴の唇が震えた。
「言えない」
「どうして」
「言ったら」
声が。
小さくなる。
「また、連れていかれる」
俺は。
身体が固まった。
「誰が?」
「知らない」
「知らない?」
「顔、見てない」
「じゃあ」
「声だけ」
小鈴が。
涙を流した。
「夜、寝てたら」
言葉が切れる。
「起こされて」
紬の目が鋭くなる。
「屋敷の中で?」
小鈴が頷く。
「女の人」
俺たちは。
黙った。
女。
「何て言われた」
楓が聞く。
小鈴は。
怖そうに。
答えた。
「拓真の部屋から、紙を取ってこいって」
俺は。
思わず言った。
「何で俺、呼び捨て?」
紬が睨む。
「今そこ?」
「すみません!」
小鈴が。
ほんの少し。
笑った。
でも。
すぐ泣いた。
「嫌だって言った」
「うん」
「そしたら」
小鈴が。
布団を強く握る。
「戻すって」
「どこへ」
俺は聞く。
答え。
分かっていた。
「砦」
部屋の空気が。
冷えた。
「また売るって」
小鈴が言う。
「今度は、もっと遠くへ」
千代が。
泣き出した。
紬は。
拳を握っている。
楓は。
何も言わない。
でも。
顔が怖い。
俺も。
腹が立った。
小鈴に?
違う。
そんなもの。
違う。
「だから盗った?」
「……うん」
「紙を誰に渡したんです」
「廊下の壺の下」
「顔は?」
「見てない」
「本当に?」
新八さんが聞く。
小鈴が震える。
俺は。
新八さんを止めようとした。
でも。
小鈴が先に答えた。
「本当」
「なら」
政宗が。
初めて口を開いた。
「なぜ毒を飲んだ」
小鈴の顔が。
変わった。
「……」
「自ら飲んだのか」
沈黙。
俺は。
小鈴を見る。
まさか。
「違う」
小鈴が言った。
「じゃあ誰に」
「薬って」
声が震える。
「言われた」
「誰に?」
「紙を置いた後」
息を吸う。
「廊下に、小さな包みがあった」
「中身を飲めと?」
頷く。
「飲めば」
小鈴が。
泣きながら言った。
「もう戻さないって」
俺は。
何も言えなかった。
最初から。
口封じだった。
この子は。
使われた。
騙された。
そして。
殺されかけた。
「小鈴さん」
俺は言った。
「ごめんなさい」
紬が俺を見る。
小鈴も。
「何で」
「俺」
言葉を探す。
「一瞬、あなたを犯人だと思いました」
小鈴は。
何も言わない。
「だから」
正直に。
「ごめんなさい」
小鈴が。
ゆっくり。
目を逸らした。
「でも」
言った。
「盗ったのは本当」
「はい」
「嘘もついた」
「はい」
「だから」
声が。
小さい。
「私も悪い」
それを聞いて。
俺は。
少し腹が立った。
「悪いですよ」
小鈴が。
驚いて俺を見る。
紬も。
千代も。
たぶん。
俺が否定すると思ったのだろう。
でも。
否定したくなかった。
「人の部屋に入って、物を盗った。嘘もついた。悪いです」
小鈴の顔が。
暗くなる。
「でも」
続ける。
「殺されていいほどじゃない」
小鈴が。
俺を見る。
「悪いことした人間は、全部悪い人ですか」
答えはない。
「俺も嘘つくし。逃げるし。怖かったら人のせいにしたくなるし。仕事してた頃なんか、上司に怒られたくなくて後輩に押しつけようとしたことあります」
紬が言った。
「最低」
「今それ言わないで!」
「でも最低」
「否定できないから辛い!」
政宗が。
笑った。
本当に。
この人。
こんな時でも笑う。
でも。
少しだけ。
空気が軽くなった。
「小鈴」
政宗が呼ぶ。
少女の身体が固まる。
「はい」
「お前を売らぬ」
「……」
「砦にも戻さぬ」
小鈴が。
政宗を見る。
「だが」
来た。
俺は。
少し身構えた。
「盗んだことは、なかったことにはせぬ」
小鈴が俯く。
「その代わり」
政宗は続ける。
「生きろ」
小鈴が。
顔を上げた。
「生きて」
政宗の目が。
冷たく。
鋭くなる。
「お前を使った者の声を思い出せ」
俺は。
少し。
ぞっとした。
優しいようで。
全然優しくない。
でも。
たぶん。
政宗なりの。
助け方だ。
「小鈴さん」
俺は聞いた。
「何か覚えてません?」
小鈴は。
目を閉じた。
ゆっくり。
思い出す。
「女の人」
「はい」
「年は分からない」
「他には」
「手」
「手?」
「見えた」
小鈴が。
自分の手首を指差した。
「赤い糸」
「赤い糸?」
「巻いてた」
紬の顔が。
変わった。
俺は気づく。
「知ってる?」
「……」
「紬?」
「前に見た」
全員が紬を見る。
「どこで」
新八さんが聞く。
紬は。
しばらく黙った。
それから。
言った。
「山ノ瀬村」
俺の背中が。
冷たくなった。
「誰が付けてたんです」
紬は。
俺を見る。
そして。
ゆっくり。
答えた。
「水番役人のそばにいた女」
部屋が。
静まり返る。
水番。
人買い。
少女たち。
帳簿。
伊達家の内通者。
全部。
まだ。
繋がっている。
そして。
小鈴が。
さらに。
小さな声で言った。
「その人」
「え?」
「片倉様の印を」
俺の心臓が。
止まりそうになった。
「持ってた」
誰も。
すぐには。
言葉を出せなかった。
小十郎さん。
また。
その名前に。
近づいた。
俺は。
拳を握った。
そして。
思った。
今度こそ。
信じたいだけで。
目を逸らしてはいけない。
でも。
疑いたいから。
決めつけてもいけない。
人間は。
本当に。
どうしようもなく。
面倒だ。
だから。
確かめるしかない。
俺は。
政宗を見た。
政宗は。
笑っていなかった。




