第20話 砦が燃えている。なのに少女たちは動こうとしなかった
「火を放たれたぞ!」
誰かが叫んだ。
その直後。
廊下の向こうから。
黒い煙が流れ込んできた。
「逃げるぞ!」
俺は叫んだ。
少女たちを見る。
九人。
千代を含めて九人。
全員。
動かなかった。
「早く!」
返事がない。
「聞こえてます!? 火事です! ここにいたら死にますよ!」
それでも。
動かない。
俺は。
意味が分からなかった。
いや。
分かりたくなかった。
火だ。
煙だ。
逃げなければ死ぬ。
そんなこと。
誰だって分かるだろう。
「拓真!」
紬が叫ぶ。
「来て!」
「でも、この子たちが!」
「だから!」
紬が千代の手を掴む。
「千代、行くよ!」
千代の身体が。
びくっと震えた。
「嫌」
紬が止まる。
「え?」
「嫌!」
千代は紬の手を振り払った。
「外、行かない!」
「何言ってるの!」
「嫌! 外に出たら、また捕まる!」
「大丈夫だから!」
「嘘!」
千代が叫んだ。
「みんなそう言う!」
紬が黙った。
千代の声が。
止まらない。
「大丈夫だって! 怖くないって! 飯をやるって! 優しくするって! それでついていったら、また売られた!」
俺は。
何も言えなかった。
他の少女たちも。
同じ顔をしていた。
怖い。
火が怖いんじゃない。
俺たちが。
怖いのだ。
新八さん。
兵。
刀を持つ男。
そして俺。
さっき。
俺は言った。
一緒に出よう。
その後は俺が何とかする。
でも。
こいつらだって。
同じことを言ったんじゃないか。
大丈夫。
助ける。
飯をやる。
寝る場所もある。
そう言って。
騙した。
「拓真!」
外から新八さんの声。
「急げ! 火が回るぞ!」
天井から。
ぱらぱらと。
灰が落ちてきた。
誰かが泣く。
小さな少女。
十二歳くらい。
いや。
もっと幼いかもしれない。
「動いて!」
俺は叫びかけて。
やめた。
命令して。
動くだろうか。
怒鳴って。
信じるだろうか。
俺は。
しゃがんだ。
少女たちと。
同じ高さまで。
「あの」
声が。
震えた。
情けない。
英雄なら。
もっと格好よく言うんだろう。
でも。
俺には無理だ。
「俺も」
言った。
「帰る場所、ないんです」
少女たちが。
少しだけ。
俺を見る。
紬も。
「俺、元々ここにいた人間じゃないんですよ」
誰も答えない。
「すごく遠い場所から来ました。いや、遠いっていうか……四百年以上先?」
紬が言った。
「今、その話する?」
「俺もそう思いました!」
少女の一人が。
一瞬。
変な顔をした。
俺は続ける。
「気づいたら山の中で。知らない男たちに囲まれて。刀向けられて。縄で縛られて」
廊下の向こうで。
新八さんの怒鳴り声。
「おい! 聞こえておるぞ!」
「今は黙っててください!」
「貴様!」
紬が。
吹き出した。
こんな時に。
でも。
その笑いが。
ほんの少し。
空気を変えた。
「怖かったですよ」
俺は言う。
「本当に。帰りたかった。今も帰りたいです」
スマホ。
電車。
コンビニ。
家。
両親。
妹。
思い出す。
胸が。
少し痛くなる。
「でも、帰れない」
誰かが聞いた。
「……お家、ないの?」
幼い少女だった。
俺は。
少し笑った。
「あります。でも、行けません」
「どうして」
「遠すぎるから」
四百四十年。
どんな道を歩いても。
帰れない。
「だから」
一度。
息を吸った。
煙が喉に入る。
咳が出た。
格好悪い。
本当に。
何一つ格好よくならない。
「俺も今、新しい帰る場所を探してる途中です」
千代が。
俺を見る。
「ないの?」
「ないですね」
「お金は」
「この時代で使える金はありません」
「家は」
「政宗様の屋敷に居候」
「強いの?」
紬が答えた。
「弱い」
「紬!」
「走ったら転ぶ」
「今それ言う!?」
少女たちの中から。
小さな笑いが漏れた。
本当に。
小さな。
でも。
笑い。
俺は少しだけ。
安心した。
「まあ」
続ける。
「俺、こんな感じです」
「頼りない」
千代が言った。
「初対面なのにひどくない!?」
「でも本当」
紬まで。
「あなたは味方してくださいよ!」
また。
笑い。
煙は濃くなっている。
時間はない。
分かってる。
だから。
俺は言った。
「約束できないことは、言いません」
少女たちを見る。
「絶対安全とか。二度と怖い目に遭わないとか。ずっと幸せとか。そんなの、俺には約束できません」
紬が。
俺を見る。
「俺自身、明日どうなるか分からないから」
千代も。
「でも」
俺は言った。
「少なくとも今、ここから出るところまでは一緒に行きます」
誰も喋らない。
「外に出て。その後、嫌なら俺から逃げてもいい。俺を信じなくてもいい。名前を教えなくてもいい」
少女の一人が聞く。
「怒らない?」
「怒りません」
「逃げても?」
「追いかけません」
紬が。
少しだけ眉を動かした。
俺は続けた。
「でも今は」
手を出した。
「一緒に逃げませんか」
静かだった。
火の音だけ。
ぱちぱち。
どこかで木が崩れる。
怖い。
手が震えている。
俺も。
怖い。
本当は。
今すぐ一人で逃げたい。
でも。
最初に動いたのは。
千代ではなかった。
一番幼い少女だった。
俺の手を。
掴んだ。
小さい。
冷たい手。
「……行く」
「はい」
「本当に、売らない?」
俺は答えた。
「売りません」
「本当?」
「本当です」
「嘘ついたら?」
一瞬。
考えた。
「政宗様に言ってください」
紬が即座に言う。
「自分で責任取れ」
「ちょっと!」
また。
小さな笑い。
次に。
もう一人。
立った。
その次。
また一人。
千代は。
最後まで動かなかった。
紬が。
手を出す。
「千代」
「……」
「今度は」
紬の声が。
震えた。
「今度は置いていかない」
千代が。
紬を見る。
「本当に?」
「うん」
「私、遅いよ」
「知ってる」
「すぐ泣く」
「知ってる」
「怖くなったら、歩けなくなる」
「それも知ってる」
「面倒だよ」
紬は。
少し笑った。
「私も面倒だから」
千代が。
泣いた。
声を上げず。
涙だけが落ちた。
そして。
紬の手を掴んだ。
「行こう」
紬が言う。
その瞬間。
天井の一部が。
落ちた。
「うわっ!」
俺は思わず頭を抱える。
紬が怒鳴る。
「拓真! 早く!」
「分かってます!」
俺たちは走った。
正確には。
走ろうとした。
でも。
九人全員が。
同じ速さでは動けない。
幼い子。
足を痛めた子。
怖くて止まる子。
「待って!」
「煙が!」
「怖い!」
「大丈夫!」
俺は叫ぶ。
「大丈夫じゃないけど、止まったらもっと危ないです!」
「どっちなの!」
紬に怒鳴られた。
「正直に言ったんですよ!」
「馬鹿!」
「今さら!」
前。
紬と千代。
後ろ。
俺。
少女たち。
出口が見える。
その時。
男が立ち塞がった。
刀。
俺は。
止まった。
本当に。
身体が。
動かなかった。
怖い。
男が俺を見る。
笑った。
「何だ、お前」
俺は答えられない。
男が刀を上げる。
その瞬間。
横から。
新八さんが男を殴り飛ばした。
本当に。
殴った。
刀ではなく。
拳で。
「新八さん!」
「遅い!」
「すみません!」
「娘たちを連れて行け!」
「はい!」
俺は少女たちを外へ出す。
一人。
二人。
三人。
数える。
四。
五。
六。
七。
八。
九。
紬。
千代。
全員。
外。
「全員います!」
俺が叫ぶ。
新八さんが。
煙の中から出てきた。
「ならば下がれ!」
その直後。
砦の屋根が。
大きな音を立てて崩れた。
火の粉が。
夜空へ上がる。
俺は。
地面に座り込んだ。
力が抜けた。
足が震えている。
「……怖かった」
本音が漏れた。
紬が隣へ座った。
「情けない」
「怖いものは怖いでしょう」
「私も怖かった」
珍しく。
素直だった。
「そうですか」
「うん」
千代も。
紬の隣に座る。
俺を見る。
「本当に弱いんだね」
「再会して最初の感想がそれ!?」
千代が。
少し笑った。
紬も。
そして。
俺も笑った。
砦は燃えている。
夜は寒い。
少女たちは疲れ切っている。
この先。
どうするのか。
何も決まっていない。
助けた。
それで終わりじゃない。
むしろ。
たぶん。
ここからが。
一番面倒なんだ。
◇
二日後。
屋敷へ戻った俺を。
伊達政宗は。
長い沈黙で迎えた。
俺。
紬。
千代。
そして。
助け出した少女八人。
合計。
十人。
政宗は。
一人ずつ。
ゆっくり見た。
それから。
俺を見る。
「拓真」
「はい」
「俺は千代を探せと申したな」
「はい」
「なぜ十人に増えておる」
俺は。
思い切り叫んだ。
「好きで拾ってきたんじゃないですよ!」
少女たちが。
一斉に俺を見る。
しまった。
言い方が悪い。
「いや、違う! そういう意味じゃなくて!」
政宗が。
腹を抱えて笑い始めた。
「ははははは!」
「笑うな!」
「十人か!」
「笑い事じゃないんですよ! 飯も寝る場所も服も必要なんです!」
「お前が面倒を見るのであろう?」
「だから無理なんですって!」
「ならば働け」
「何で俺の仕事が増えるんです!」
政宗は。
楽しそうに笑った。
紬が。
俺の後ろで。
小さく言った。
「頑張って、主」
「他人事みたいに言うな!」
千代まで。
少し笑う。
その瞬間。
俺は悟った。
俺は。
戦国時代に来て。
自由になるどころか。
とうとう。
十人分の人生まで。
背負い込んでしまったらしい。
そして。
伊達政宗が。
笑いながら言った。
「ちょうどよい、拓真」
「何がです」
「人手が増えた」
嫌な予感。
ものすごく。
「明日から」
政宗は。
にやりと笑った。
「水路を直せ」
俺は叫んだ。
「結局そこに戻るのかよ!」




