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『奥州から始める伊達政宗との天下統一 〜未来人の俺、独眼竜の無茶振りに今日も振り回されています〜』  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第2話 目が覚めたらコンビニどころか電柱すらなかった

最初に感じたのは、土の匂いだった。


湿った土。


草。


木。


それから、頬に当たる何か。


冷たい。


「……ん」


俺は顔をしかめた。


瞼が重い。


体も重い。


腰が痛い。


特に腰が痛い。


「いっ……てぇ……」


思わず声が漏れた。


二十八歳にして腰痛持ち。


六年間の会社員生活が俺に残してくれた、数少ない確かな財産である。


いや、いらないけど。


本当にいらないけど。


俺はゆっくり目を開けた。


最初に見えたのは、空だった。


青い。


雲が流れている。


木々の隙間から陽の光が差し込んでいる。


鳥の声。


風に揺れる葉の音。


静かだった。


あまりにも静かだった。


「……どこだ、ここ」


俺は上半身を起こした。


尻の下にあるのは土だった。


周囲は森。


いや、森というより山の中だ。


さっきまで俺は宮城県を旅行していた。


突然の雨。


雷。


真っ白な光。


そこまでは覚えている。


「雷に打たれた……?」


自分の胸を触る。


生きている。


手もある。


足もある。


髪もある。


いや、髪があるか確認する必要はなかった。


雷で全部逆立っている可能性を考えただけだ。


「落ち着け、神谷拓真」


困った時、俺は自分の名前を呼ぶ。


昔からそうだ。


営業先で客を怒らせた時も。


取引先へ持っていく資料を会社に忘れた時も。


飲み会で社長の靴に吐いた後輩を介抱していた時も。


まず、自分に言う。


落ち着け、神谷拓真。


そうすれば何とかなる。


たぶん。


「状況確認だ」


俺は辺りを見た。


鞄。


あった。


少し泥がついている。


中を見る。


財布。


ある。


スマートフォン。


ある。


モバイルバッテリー。


……ない。


「嘘だろ」


一番必要なものがない。


いや、待て。


スマホの充電は?


電源を入れる。


画面が光った。


七十三パーセント。


「よし」


思わず小さく拳を握った。


現在時刻は午後三時十二分。


そして。


圏外。


「……まあ、山だしな」


独り言が出た。


山なら圏外もある。


そうだ。


今どき珍しいけど、あるところにはある。


俺は地図アプリを開いた。


現在地を取得できません。


ブラウザ。


繋がらない。


電話。


圏外。


「まあ、山だしな」


もう一度言った。


今度は少し声が震えた。


しかし、本当に妙だった。


俺は立ち上がった。


足元には道らしきものがある。


舗装されてはいない。


土がむき出しだ。


獣道よりは広い。


人が通る道だと思う。


なのに。


電柱がない。


送電線がない。


ガードレールがない。


看板もない。


ゴミもない。


ペットボトルすら落ちていない。


「……綺麗すぎるだろ」


日本の山は綺麗だ。


それでも、人の生活圏に近ければ、何かしら人工物がある。


ここには何もなかった。


本当に何も。


俺は歩き始めた。


立ち止まっていても仕方がない。


道があるなら、どこかへ続いている。


五分。


十分。


十五分。


誰にも会わない。


車の音もしない。


飛行機すら飛んでいない。


聞こえるのは鳥と虫の声だけだ。


「水……」


喉が渇いた。


旅先で買ったお茶は、雷雨になる前に飲み切っていた。


コンビニなんてどこにでもある。


自動販売機も、そのうち見つかる。


そう思っていた過去の俺を殴りたい。


文明は偉大だった。


コンビニは偉大だった。


二十四時間、冷たい水とおにぎりを売ってくれる。


それだけで、もはや神殿である。


「今度見つけたらファミチキ三個買うから……頼む、出てきてくれ……」


もちろんファミリーマートは出てこなかった。


代わりに。


カサッ。


茂みから音がした。


俺は止まった。


「……え?」


また音。


カサカサ。


熊。


頭の中に二文字が浮かんだ。


嫌だ。


会社を辞めて自由になって、最初の旅行で雷に打たれて、その後、熊に食われる。


そんな人生の終わり方は嫌すぎる。


葬式で親戚が説明に困る。


「落ち着け」


俺は小声で自分に言い聞かせた。


熊と会ったら走るな。


背中を向けるな。


ゆっくり下がれ。


昔、ネットで見た。


だが知識として知っているのと、実際に茂みの向こうから何かが出てくるのを待つのは、全然違う。


逃げたい。


全力で逃げたい。


茂みが大きく揺れた。


俺は息を止めた。


そして。


「動くな」


人間が出てきた。


「……へ?」


男だった。


三十代くらいだろうか。


日に焼けた顔。


髭。


頭には妙な布を巻き、着物のようなものを着ている。


腰には刀。


手には槍。


「……」


俺は固まった。


男も俺を見て固まった。


互いに黙った。


先に口を開いたのは、俺だった。


「撮影ですか?」


「……何?」


「時代劇ですよね?」


男の眉間に皺が寄った。


そこで、さらに茂みが揺れた。


一人。


二人。


三人。


五人。


男が五人になった。


全員、同じような格好をしている。


刀。


槍。


弓。


俺は乾いた笑いを浮かべた。


「すごいですね。大掛かりな撮影で」


誰も笑わなかった。


「何者だ」


最初の男が言った。


低い声だった。


演技にしては迫力がありすぎる。


「いや、俺はその……旅行者です」


「りょこうしゃ?」


「観光客」


「かんこうきゃく?」


通じない。


こんなにも通じないことがあるのか。


俺は少し考えた。


「旅人」


今度は通じたらしい。


「どこから来た」


「東京です」


「とうきょう?」


五人が顔を見合わせた。


俺の背中を、嫌な汗が流れた。


「ええと。東京都です」


「知らぬな」


「いや、知らないって」


東京を?


そんな日本人がいるのか。


いや、子供ならまだしも。


目の前の男たちは全員いい大人だ。


「では、江戸は」


試しに聞いた。


男が答えた。


「江戸?」


その反応。


まさか。


俺は喉を鳴らした。


「ここ、どこです?」


「米沢近くの山中だ」


米沢。


山形県。


だが俺は宮城県にいたはずだ。


雷に打たれて、山形まで飛ばされた?


そんな馬鹿な。


いや、そもそも。


目の前の男たちは何だ。


衣装にしては汚れすぎている。


いや、汚れているというより。


生活している。


汗の臭い。


日に焼けた肌。


手の豆。


草鞋。


そして刀。


妙に本物っぽい。


俺は笑った。


笑うしかなかった。


「ちょっとだけ、変な質問していいですか」


「既に十分変だ」


「ですよね」


それは否定できない。


俺は恐る恐る続けた。


「今って、西暦何年です?」


「せいれき?」


「ああ……いや、年号。元号です。今は何年です?」


男は露骨に怪訝な顔をした。


だが、答えた。


「天正十四年だ」


俺は何も言えなかった。


天正十四年。


頭の中で数字を変換する。


一五八六年。


戦国時代。


豊臣秀吉が関白となった翌年。


奥州では。


伊達政宗が。


「……嘘だろ」


声が漏れた。


男が槍を構えた。


「何が嘘だ」


「あ、いや。こっちの話です」


「怪しい」


「それは俺も思ってます」


本心だった。


今、この場で一番俺を怪しんでいるのは、たぶん俺自身だ。


男が言った。


「名を申せ」


「神谷拓真」


「どこの家中の者だ」


「株式会社東都システム営業第二課」


「何?」


「すみません。忘れてください」


癖とは恐ろしい。


六年間、初対面の相手には会社名と所属を名乗っていた。


会社を辞めても抜けていない。


一人の男が俺の鞄を見た。


「その袋を見せろ」


「いや、ちょっと」


「見せろ」


声が低くなった。


俺は素直に鞄を差し出した。


命は大事だ。


プライバシーより、ずっと大事だ。


男が中身を確認する。


財布。


ハンカチ。


ガイドブック。


折り畳み傘。


そして。


「何だ、これは」


スマートフォンを取り出した。


「あ」


嫌な汗が出た。


男は黒い板を裏返した。


「鏡か?」


「いや、それは」


「何に使う」


「説明すると長いです」


「説明せよ」


「もっと長くなります」


男の顔が険しくなった。


俺は慌てて言った。


「武器じゃないです! 本当に! 爆発もしません!」


その瞬間。


五人が一斉に武器を構えた。


「爆発するのか!」


「しないって言ったでしょうが!」


「貴様、怪しいぞ!」


「だからそれは俺も同意してます!」


何だ、この会話。


俺は何と戦っている。


男の一人が言った。


「捕らえろ」


「待って!」


腕を掴まれた。


「本当に待ってください! 俺、悪いことしてないですよね?」


「怪しい」


「怪しいだけで捕まえるんですか!?」


「怪しいから捕らえる」


「合理的だけど納得できない!」


縄で手首を縛られた。


本当に。


本物の縄で。


俺は呆然と、自分の両手を見た。


会社を辞めた。


自由になった。


有給を消化した。


宮城へ行った。


雷に打たれた。


戦国時代に来た。


そして捕まった。


「……人生、展開早すぎるだろ」


誰にも聞こえないように呟いたつもりだった。


しかし、一人の男が聞き返した。


「何だ?」


「何でもありません」


顔を上げる。


五人の男。


刀。


槍。


土の道。


どこにも電柱はない。


遠くから車の音もしない。


スマートフォンは圏外。


そして。


天正十四年。


冗談では済まなくなっていた。


もしかして。


本当に。


俺は戦国時代に来てしまったのか。


その時。


先頭の男が言った。


「歩け」


「どこへ?」


男は俺を振り返った。


そして当然のように答えた。


「殿のもとだ」


「……殿?」


俺の胃が。


嫌な音を立てた気がした。


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