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『奥州から始める伊達政宗との天下統一 〜未来人の俺、独眼竜の無茶振りに今日も振り回されています〜』  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第1話 戦国武将に理不尽な上司はいないと思っていた俺を殴りたい

「神谷君さぁ、これ、今日中にお願いできる?」


午後八時五十七分。


上司の佐々木部長は、俺の机に分厚いファイルを置いた。


ドンッ、と。


いや。


ドンッ、じゃない。


もっとこう、人生を終わらせる音だった。


俺はパソコン画面の右下に表示された時刻を見た。


二十時五十七分。


もう一度見た。


二十時五十七分。


見間違いであってくれという祈りを込めて三度目も見た。


やっぱり二十時五十七分だった。


「あの、部長」


「ん?」


「今日中というのは」


「今日中」


「ですよね」


「うん」


部長は爽やかに笑った。


この人は人間の顔をしているが、たぶん人間ではない。


「ちなみに、これ、どの程度まで仕上げればいいでしょうか」


「全部」


「全部」


「うん」


「このファイル、ざっと三百ページくらいありますけど」


「神谷君ならできるよ」


「その根拠は?」


「期待してるから」


便利だな、期待。


殺人以外なら何でも正当化できそうだ。


俺はファイルに手を置いた。


そして、にっこり笑った。


「無理です」


部長の笑顔が止まった。


「……え?」


「無理です」


二回言った。


人生で初めてだった。


上司に対して、無理です、と。


なんだ。


言えるじゃないか。


たった三文字だ。


俺は今までの六年間、この三文字を言うために生きてきたのかもしれない。


「いや、神谷君。困るよ」


「俺も困ってます」


「仕事なんだから」


「仕事ですよね」


「そうだよ」


「じゃあ業務時間内に終わる量を渡してください」


言った。


言ってしまった。


心臓がバクバクしている。


でも、もう止められなかった。


六年間。


休日出勤。


深夜残業。


客先で頭を下げ、会社に戻れば上司に怒鳴られ、後輩のミスをかぶり、取引先からは休日にも電話が来る。


それでも俺は、会社とはそういうものだと思っていた。


働くとはそういうものだと思っていた。


だが、先週。


同期の田中が倒れた。


救急車で運ばれた。


翌日、部長が言った言葉は、


『田中君の案件、誰か引き継げる?』


だった。


その瞬間、何かが切れた。


「あのですね、部長」


俺は自分でも驚くほど静かな声で言った。


「俺、辞めます」


「は?」


「会社」


「いやいやいや」


部長は笑った。


冗談だと思ったらしい。


「神谷君、疲れてるんだよ。今日はもう帰っていいから」


「これ、今日中じゃなかったんですか」


「そこは臨機応変に」


「便利ですねえ、臨機応変」


「神谷君?」


「俺、ずっと思ってたんですよ。会社を辞めたら人生終わるって。でも、田中が倒れて気づきました」


立ち上がる。


六年間使った机を見下ろした。


不思議なことに、何の感傷もなかった。


「会社を辞めても人生は終わりませんけど、死んだら終わるんですよね」


部長は何も言わなかった。


俺は鞄を持った。


ファイルは机に置いたままにした。


「待ちなさい、神谷君。ちょっと感情的になっているだけだろう。今日は帰って、明日また話そう」


「有給、三十八日残ってます」


「え?」


「全部使います」


「いや、それは業務の引き継ぎが」


「田中が倒れた時、引き継ぎ一日でしたよね?」


部長が黙った。


俺は初めて知った。


言い返さないって、気持ちいい。


ものすごく気持ちいい。


どうして今まで我慢していたんだろう。


「じゃあ、お疲れ様でした」


「神谷君!」


振り返らなかった。


エレベーターに乗る。


一階。


扉が開く。


夜風が頬を撫でた。


その時だった。


スマートフォンが震えた。


画面を見る。


佐々木部長。


俺はそっと電源を切った。


「……自由だ」


声に出した。


思ったより小さな声だった。


誰も拍手してくれなかった。


映画ならここで主題歌が流れるところだろう。


現実は、目の前をタクシーが通り過ぎただけだった。


それでも俺は笑った。


二十八歳。


独身。


彼女なし。


貯金は、それなり。


趣味は戦国史。


特に好きなのは伊達政宗。


人生なんて、案外なんとかなる。


そう思っていた。


この時は。


まさか次の上司が、刀を持っているとは夢にも思っていなかった。


     ◇


退職手続きを終えた俺は、宮城県に来ていた。


理由は単純。


会社を辞めた記念旅行。


これまで有給を取るたび、


『申し訳ありません』


と謝っていた。


考えてみれば異常だ。


休む権利を使って、なぜ謝るのか。


そして今。


俺は誰にも謝らずに新幹線に乗り、仙台駅に降り立った。


自由。


素晴らしい。


自由とは、昼間から牛タンを食っても誰にも怒られないことだった。


「うま……」


思わず声が出た。


肉を噛む。


麦飯を食う。


テールスープを飲む。


最高だった。


俺はスマホで写真を撮った。


誰に見せるわけでもない。


SNSもほとんどやっていない。


だが撮った。


人間とは不思議なもので、美味いものを見ると、とりあえず写真に残したくなる。


その後、俺は伊達政宗ゆかりの場所を巡った。


青葉城址。


瑞鳳殿。


博物館。


戦国史は昔から好きだった。


といっても、大学で専門的に研究したわけじゃない。


本を読み、動画を見て、ゲームを遊び、たまに城巡りをする。


その程度。


だが伊達政宗は特別だった。


遅く生まれた天才。


あと十年早く生まれていれば天下を狙えた、と言われる男。


派手好き。


野心家。


教養人。


料理好き。


そして何より、面倒くさそう。


「でもいいよなあ、戦国武将は」


俺は遠くを眺めながら呟いた。


「少なくとも、意味不明な会議とかないだろうし」


もちろん戦はある。


謀反もある。


毒殺もある。


生首も飛ぶ。


冷静に考えれば絶対に現代の方がいい。


だが、会社員生活に疲れ果てたばかりの俺には、昔の時代が妙に輝いて見えた。


「上司の顔色を見ながらパワポ直すよりは、馬に乗って戦う方が格好いいよな」


その直後だった。


ゴロゴロゴロ……。


「あ?」


空を見る。


さっきまで青かった空に、黒い雲が広がっていた。


ポツッ。


頬に雨粒が落ちた。


「まずいな」


次の瞬間。


ザーッ!


冗談のような豪雨になった。


「ちょ、待て待て待て!」


俺は走った。


だが、旅先で土地勘もない。


しかも革靴。


滑る。


濡れる。


スマホを鞄に押し込む。


「会社辞めて最初の旅行でこれかよ!」


叫んだ。


答えるように雷が鳴った。


ドゴォンッ!


「近っ!」


本能的に身を縮める。


その瞬間。


目の前が白くなった。


音は、なかった。


光だけだった。


世界全部を塗りつぶすような真っ白な光。


そして俺は思った。


ああ。


やっぱり人生って、そう簡単には自由にしてくれないらしい。


そこで。


俺の意識は途切れた。


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