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『奥州から始める伊達政宗との天下統一 〜未来人の俺、独眼竜の無茶振りに今日も振り回されています〜』  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第16話 人買いを追いかけたら、俺だけ三歩で転びました

「いてえええええ!」


転んだ。


見事に。


本当に。


綺麗なくらいに。


両手と膝を地面について、顔面だけは何とか守った。


営業マン六年。


二十八歳。


人買い追跡開始から。


わずか三歩。


「何してるの!」


紬が叫ぶ。


「俺にも分からない!」


「走るだけでしょ!」


「走ったから転んだんですよ!」


「馬鹿!」


「今それ言います!?」


俺は立ち上がった。


膝が痛い。


手のひらも擦りむいた。


でも。


前を見る。


頬に傷のある男は、もう随分先まで逃げていた。


新八さんが追っている。


速い。


ものすごく速い。


あの人。


普段は俺に嫌味ばかり言っているけど、本物の武士なんだな。


ちょっと格好いい。


本人には絶対言わないけど。


「行くよ!」


紬が走る。


「待って!」


俺も追う。


また転びそうになった。


怖い。


走るのが怖い。


二十八歳になって初めて知った。


人間は一度盛大に転ぶと、しばらく自分の足を信用できなくなる。


「遅い!」


紬が振り返る。


「こっちは革靴なんですよ!」


「かわぐつ?」


「もういい!」


俺たちは町中を走った。


人を避け。


荷車を避け。


犬に吠えられ。


俺だけ桶に足をぶつけた。


「痛っ!」


「拓真!」


「大丈夫!」


「何でそんなに何度もぶつかるの!」


「俺が聞きたい!」


本当に。


命がかかっている場面なのに。


どうして俺は格好よくならないんだろう。


     ◇


「見失った」


町外れ。


新八さんが吐き捨てるように言った。


珍しく。


息を切らしている。


「え?」


俺は膝に手をついていた。


こっちはもっと息切れしている。


というか。


吐きそう。


「ちょっと待って……今、肺が……」


「拓真」


紬が言う。


「何」


「情けない」


「俺、今日一番頑張りましたよ!」


「三回転びかけてた」


「二回です!」


「一回は本当に転んだ」


「数えなくていい!」


新八さんは俺たちを無視して周囲を睨んでいた。


町外れ。


家は少ない。


道が何本かに分かれている。


林。


畑。


向こうには古い小屋のような建物も見える。


「どちらへ逃げた」


新八さんが呟く。


護衛の兵も周囲へ散る。


俺は。


息を整えながら考えた。


知らない。


こんな場所。


来たこともない。


当然だ。


戦国時代なんだから。


でも。


逃げる人間。


営業時代。


客に怒られて逃げたことは。


ない。


たぶん。


いや。


一回くらいあったか?


違う。


今はそれじゃない。


「新八さん」


「何だ」


「この男、この辺りの人間ですよね」


「知らぬ」


「でも、道に迷ってなかった」


新八さんが俺を見る。


「それがどうした」


「俺だったら」


言ってから。


少し考える。


「知らない場所に逃げるの、怖いです」


紬が言う。


「逃げてる時にそんなこと考える?」


「考えますよ。逃げた先が行き止まりだったら終わりでしょう」


「お前なら最初の角で転ぶ」


新八さんが言った。


「俺の話はいいんですよ!」


ひどい。


だが否定しきれない。


「つまり」


俺は続ける。


「人は、追われた時ほど知っている場所へ逃げるんじゃないですか」


新八さんが黙った。


「少なくとも、俺ならそうします。抜け道とか。隠れられる場所とか」


「男の隠れ家が近くにある、と?」


「分かりません。ただ」


俺は周囲を見る。


「紬を見た瞬間、あの男、本気で驚いてました。最初から逃げる準備をしてたようには見えなかった」


紬が俺を見る。


「なのに、迷わず走った」


「……」


「だったら」


俺は道の先を見る。


「ここに、何かあるかもしれない」


新八さんは。


しばらく俺を見ていた。


「たまには」


言った。


「まともなことも申すのだな」


「褒めるなら普通に褒めてくれません!?」


「褒めておらぬ」


「知ってた!」


紬が少し笑った。


     ◇


見つかったのは。


古い倉だった。


町外れ。


林に半分隠れるように建っていた。


壁は黒ずみ。


戸も古い。


一見。


誰も使っていない。


でも。


「足跡があります」


俺が言った。


新八さんが見る。


「分かるのか」


「分かりません」


「ではなぜ言った」


「何か踏まれてる感じがしたから」


「適当か」


「素人に期待しすぎです!」


でも。


本当に人が出入りした跡はあったらしい。


護衛の一人が頷いた。


新八さんが刀を抜く。


「下がれ」


俺を見る。


「何で俺だけ見て言うんです?」


「役に立たぬからだ」


「そこまで言う!?」


「拓真」


紬が袖を引いた。


「下がって」


「紬まで」


でも。


紬の顔を見て。


黙った。


青い。


この倉を。


知っている?


「紬」


「……」


「ここ」


「知らない」


答えが早い。


でも。


声が震えていた。


俺はそれ以上聞かなかった。


新八さんたちが戸を開ける。


ギイィ。


嫌な音。


中は暗かった。


湿った臭い。


埃。


藁。


それから。


何か。


分からないけど。


嫌な臭い。


人が長く閉じ込められていた場所の臭い。


そんな気がした。


「誰もいない」


兵の声。


俺たちも入る。


紬が。


立ち止まった。


「……」


「大丈夫ですか」


「大丈夫」


また。


嘘。


俺は隣に立った。


触らない。


何も言わない。


ただ。


隣にいた。


倉の奥には。


縄。


壊れた桶。


汚れた布。


そして。


壁際に。


小さな木椀が並んでいた。


一つ。


二つ。


三つ。


四つ。


五つ。


「これ」


俺は言った。


「五人?」


誰も答えない。


紬が。


ゆっくり歩いた。


壁へ近づく。


俺もついていく。


「拓真」


「はい」


「ここ」


指差した。


壁。


傷がある。


細い。


何本も。


「何です?」


「数えてた」


「何を」


「日」


俺は黙った。


線が並んでいる。


何日。


何十日。


分からない。


でも。


誰かが。


ここで。


今日が何日目か。


忘れないために。


刻んだ。


「……千代も?」


俺が聞く。


紬は答えなかった。


代わりに。


膝をついた。


壁の下。


そこに。


さらに小さな傷。


俺には読めない。


文字なのか。


ただの傷なのかも。


分からなかった。


「何て書いてあるんです?」


紬は。


動かなかった。


「紬?」


肩が震えている。


俺はしゃがんだ。


「読める?」


返事がない。


でも。


唇が動いた。


「つむぎ」


「え?」


「つむぎ」


指で。


文字をなぞる。


「ごめんね」


俺は。


何も言えなかった。


壁には。


小さな文字で。


そう刻まれていた。


――つむぎ ごめんね。


紬が。


動かない。


「千代ですか」


「……分からない」


「でも」


「分からない!」


怒鳴った。


俺は黙った。


紬が。


俺を見る。


目が赤い。


「千代かもしれない。でも違うかもしれない。字だって、あの子はそんなに上手くなかったし。誰かが書いたかもしれないし」


「はい」


「だから」


声が震える。


「勝手に期待させないで」


俺は。


何も言えなかった。


希望。


それは。


優しいだけじゃない。


期待して。


裏切られた時。


人をもっと傷つける。


俺は。


それを忘れていた。


「すみません」


「謝るな」


「でも」


「謝られると、私が悪いみたい」


「じゃあ謝りません」


「それも腹立つ」


「難しいな!」


思わず言った。


紬が。


一瞬。


ぽかんとした。


それから。


鼻をすすった。


「馬鹿」


「はい」


「本当に馬鹿」


「知ってます」


「……うるさい」


「それも知ってます」


少し。


ほんの少しだけ。


紬の口元が緩んだ。


泣いているのか。


笑っているのか。


分からなかった。


人間って。


たぶん。


そういう時がある。


     ◇


倉の中から。


もう一つ。


手掛かりが見つかった。


米俵の切れ端。


焼き印。


小十郎さんが後から確認して言った。


「この印は、西の街道を使う商人のものです」


「西」


俺は言った。


茶屋の老人も。


荷車は西へ向かったと言っていた。


「千代も」


紬が聞く。


「西へ?」


「まだ分かりません」


今度は。


俺からそう言った。


紬は黙る。


「でも」


続けた。


「同じ方向に手掛かりが二つあります」


「……」


「だから」


少し迷って。


「追いましょう」


紬は。


俺を見る。


「見つからなくても?」


「その時は、その時に考えます」


「死んでても?」


胸が痛んだ。


でも。


逃げなかった。


「その時も」


答えた。


「一緒に考えます」


紬は。


しばらく何も言わなかった。


それから。


小さく。


「……勝手にして」


と言った。


たぶん。


今のところ。


それが。


彼女なりの。


ありがとう。


なのかもしれない。


その夜。


倉の外で。


捕らえられた一人の男がいた。


逃げた。


頬に傷のある人買い本人ではない。


だが。


そいつは。


震えながら言った。


「娘なら、昨日出た」


俺たちは。


息を呑んだ。


「どこへ」


新八さんが問い詰める。


男は答えた。


「西だ」


「何人」


「二人」


紬が。


一歩前に出る。


「名前は」


男は首を振った。


「知らねえよ」


「一人は」


紬の声が震える。


「泣き虫?」


俺は。


胸を締めつけられた。


男は。


少し考えて。


言った。


「……ずっと、誰かの名前を呼んでた娘ならいた」


紬の顔から。


血の気が引いた。


「何て」


「知らねえ」


「思い出して!」


紬が叫ぶ。


男は怯える。


「たしか」


考える。


「つむぎ」


時間が。


止まった。


「つむぎって」


男が言った。


「ずっと呼んでた」


紬が。


俺の袖を。


強く掴んだ。


今度は。


震える手で。


「拓真」


初めてだった。


あんな声で。


俺の名前を呼んだのは。


「千代」


そして。


言った。


「生きてる」


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