第15話 証拠は全部燃やされていました。だから人に聞くことにします
「……逃げられた?」
俺は。
誰もいない屋敷を見ながら言った。
返事はなかった。
正確には。
誰も。
返事をしたくなかったのだと思う。
開け放たれた戸。
空っぽの部屋。
引き出しは乱暴に開けられ。
棚からは物が消えている。
そして庭の中央には。
まだ。
白い煙を上げる灰。
俺は近づこうとした。
「待て」
新八さんに襟首を掴まれた。
「ぐえっ」
「不用意に近づくな」
「いや、でも」
「火傷をするぞ」
「もうほとんど消えてるでしょう」
「では触ってみろ」
「嫌です」
「なぜだ」
「熱そうだから」
「分かっておるではないか」
腹立つな。
でも正しい。
俺は少し離れた場所から灰を見る。
紙。
たぶん。
大量に燃やした。
帳簿?
書状?
証拠?
何だったとしても。
俺たちが来る前に消された。
「誰か」
小十郎さんが静かに言った。
「我らが来ると知らせた者がいる」
全員。
黙った。
朝。
俺たちは屋敷を出た。
政宗が小十郎さんに水番役人を調べろと命じたのは昨日。
つまり。
それほど時間はない。
なのに。
もう逃げた。
「内通者ってことですか」
俺が聞く。
小十郎さんは答えない。
代わりに。
屋敷の中を見た。
「あるいは、我らの動きを普段から見張っていたか」
「それ、もっと怖いんですけど」
「戦国の世とはそのようなものです」
「軽く言いますね」
「重く言えば安心しますか」
「しません」
「ならば同じです」
それはそうだけど。
何か納得いかない。
俺はため息をついた。
すると。
後ろで。
紬がしゃがみ込んでいた。
灰を見ている。
「紬」
呼んだ。
返事がない。
もう一度。
「紬」
「何」
「大丈夫ですか」
「何が」
「いや」
聞いてから。
馬鹿な質問だったと思った。
大丈夫なわけがない。
自分を売ったかもしれない役人。
その行方を探しに来て。
逃げられた。
しかも証拠まで燃やされた。
「……ごめん」
「何で謝るの」
「何となく」
「馬鹿」
「もうそれ、挨拶になってません?」
紬が少しだけ俺を見る。
でも。
笑わなかった。
「千代」
小さく言った。
「見つからないかもしれない」
俺は。
すぐには答えなかった。
大丈夫。
見つかる。
そんな無責任なことは言えない。
分からないから。
本当に。
何も。
「そうかもしれません」
紬の目が。
少し冷たくなる。
でも。
続けた。
「でも、まだ探してもいないでしょう」
「……」
「逃げた人間がいる。それなら逆に」
俺は灰を見る。
「何か知られたら困るから逃げたんじゃないですか」
紬は黙った。
「だから」
俺は言った。
「諦めるのは、もう少し後にしましょう」
「何それ」
「俺もよく分かりません」
「馬鹿」
「知ってます」
新八さんが鼻で笑った。
「自覚があるなら直せ」
「直せるなら苦労してませんよ」
本当に。
人間は。
自分の悪いところを分かっていても。
そう簡単には直せない。
だから面倒なのだ。
◇
灰が冷めるのを待って。
俺たちは調べた。
新八さん。
護衛の兵。
俺。
そして。
紬。
小十郎さんは屋敷の中。
「これ」
俺は焼け焦げた紙を拾った。
端しか残っていない。
字がある。
でも。
「読めません」
「何が」
紬が聞く。
「字」
「見れば分かる」
「ひどい」
「本当に読めないの」
「現代の文字なら」
「未来人なのに?」
「未来人を万能だと思うなって何度言えば!」
政宗だけではない。
最近。
皆。
未来人に期待しすぎている。
未来人だって。
できないことだらけだ。
むしろ俺なんて。
できないことの方が多い。
「貸せ」
新八さんが紙片を見る。
「……米、三俵」
「読めるんですね」
「この程度ならな」
「ちょっと格好いいですね」
「馬鹿にしているのか」
「褒めてますよ!」
どうしてこの人は。
褒めても怒るのか。
本当に面倒くさい。
「他には?」
小十郎さんが戻ってきた。
新八さんが答える。
「ほとんど焼けております」
「屋敷にも、めぼしい物はありません」
「じゃあ」
俺は言った。
「手詰まりですか」
小十郎さんは黙った。
その顔で分かる。
かなり厳しい。
俺は灰を見る。
帳簿。
書状。
燃えた。
役人。
逃げた。
証拠。
ない。
ドラマなら。
ここで名探偵が。
『犯人は致命的なミスを犯した』
とか言うのだろう。
俺には分からない。
俺は探偵じゃない。
ただの元営業マンだ。
営業。
客先。
取引。
名刺。
伝票。
配送。
「……あ」
口から出た。
小十郎さんが見る。
「どうしました」
「いや」
頭の中。
何かが引っかかった。
米。
賄賂。
人。
売買。
水番役人一人でできる?
無理だ。
米を受け取る。
運ぶ。
保管する。
人を連れていく。
誰かが必要だ。
「燃やしたのって、ここにある物だけですよね」
「当然でしょう」
新八さんが言う。
「でも」
俺は顔を上げる。
「人の記憶までは燃やせないですよね」
沈黙。
紬が言った。
「何言ってるの」
「いや。米を運ぶなら誰かが見てるでしょう」
小十郎さんの目が変わった。
「続けてください」
「馬が必要かもしれない。荷車かもしれない。宿にも泊まるかもしれない。人買いなら、別の場所に人を運ぶ」
自分でも。
喋りながら考えていた。
「帳簿は燃やせても。米を運んだ人。馬を貸した人。宿に泊めた人。飯を売った人。全部の口を塞ぐのは無理です」
新八さんが腕を組む。
「だが、誰に聞く」
「片っ端から」
「何人いると思っておる」
「営業って、そういう仕事なんですよ」
「どういう仕事だ」
「見込みが薄くても足で稼ぐ」
「非効率だな」
「うるさい!」
腹が立つ。
でも。
確かに非効率だ。
俺もそう思う。
でも他に手がない。
「小十郎さん」
「はい」
「この辺りで、米を大量に運ぶ商人とか、馬方とか、宿とか」
「調べられます」
即答だった。
頼もしい。
俺一人なら何もできない。
でも。
この人がいる。
新八さんも。
政宗も。
紬も。
そう考えると。
少しだけ。
できる気がした。
「では」
小十郎さんが言う。
「聞き込みを始めましょう」
「はい」
「拓真殿」
「何です」
「一つだけ」
「はい」
「余計なことは申さぬように」
「信用ないな!」
新八さんと紬が。
同時に頷いた。
「二人とも!?」
◇
その日。
俺たちは。
ひたすら人に話を聞いた。
商人。
馬方。
宿の主人。
酒売り。
農民。
旅人。
当然。
簡単にはいかない。
「知りません」
「見てません」
「覚えてません」
同じ答えばかり。
しかも。
新八さんが横にいるせいで。
怖がる人もいる。
「もう少し笑えません?」
俺が小声で言う。
「なぜだ」
「怖いんですよ」
「お前が代わりに笑え」
「営業スマイルしますよ」
「気味が悪い」
「失礼だな!」
紬も言った。
「気持ち悪い」
「あなたまで!」
疲れる。
本当に。
でも。
夕方近く。
小さな茶屋で。
ようやく。
一人の老人が言った。
「そういや」
俺たちは。
一斉に見る。
老人が少し怯んだ。
「何じゃ」
「いや、続けてください!」
俺が身を乗り出す。
「近い」
「すみません」
老人は思い出すように目を細めた。
「二月ほど前か。妙な荷車を見た」
「妙?」
「荷に布をかけておったが」
「何を運んでいたんです」
「知らぬ」
「どっちへ?」
老人が道を指す。
西。
「男が三人。若い娘もおった気がする」
紬の顔色が変わった。
「何人」
突然。
聞いた。
老人が驚く。
「さあ」
「何人!」
「紬」
俺が止める。
「落ち着いて」
「でも」
「分かってます」
紬は唇を噛んだ。
老人が言う。
「三人ほどだったかのう」
三人。
千代がいるかもしれない。
いないかもしれない。
でも。
手掛かり。
初めて。
本当の。
「男の顔、覚えてます?」
俺が聞く。
老人は首を振る。
「覚えておらぬ」
「そうですか……」
「ただ」
また。
全員が見る。
「一人、左の頬に大きな傷があった」
その瞬間。
紬が。
立ち上がった。
椅子が倒れた。
「紬?」
俺が呼ぶ。
紬は。
茶屋の外を見ていた。
人通り。
商人。
馬。
旅人。
そして。
一人の男。
左の頬に。
大きな傷。
紬の体が。
震えた。
「……あいつ」
声が。
掠れていた。
俺は立ち上がる。
「知ってる?」
紬は。
男から目を離さない。
「私を」
拳を握った。
「私を運んだ男」
その瞬間。
男が。
こちらを見た。
紬と。
目が合った。
男の顔から。
血の気が引く。
次の瞬間。
逃げた。
「逃がすな!」
新八さんが叫んだ。
俺も走った。
走って。
そして。
三歩目で。
派手に転んだ。
「いてえええええ!」
紬が振り返る。
「何してるの!」
「俺にも分からない!」
新八さんは。
もう遥か先。
男を追っている。
小十郎さんも兵に命じる。
俺は立ち上がった。
膝が痛い。
でも。
走る。
千代。
その名前を。
頭の中で。
何度も。
何度も。
繰り返しながら。




