第19話 最初の守護者
五体の死体が、ゆっくりと立ち上がった。
ノアは反射的にフィアの前へ出た。
死体の動きはぎこちない。関節は固まり、首は不自然な角度に傾いている。それなのに、一歩ごとに床を踏みしめる力は強かった。
生きた人間のような呼吸はない。
それでも、彼らは明確な意思を持っているように見えた。
「……話は通じるか?」
ノアは最初に立ち上がった死体へ声をかけた。
「俺たちは、戦いに来たわけじゃない。道を探しているだけだ」
「道……」
死体が首を傾ける。
「道は、閉じた。閉じなければならなかった」
「何が閉じたんだ?」
「門が……開く。あれが、外へ出る」
言葉の途中で、死体の頭が大きく震えた。
黒い光が眼窩から漏れ、口元から濁った息のようなものが流れ出す。
「侵入者を……排除する」
次の瞬間、死体が走った。
「伏せろ!」
ノアはフィアを押し倒した。死体の腕が頭上を通り過ぎ、背後の壁を叩く。石が砕け、破片が飛び散った。
動きが速い。
ただの死体ではない。
ノアは横へ転がり、距離を取った。死体の背後では、残りの四体も動き始めている。
「フィア、入口へ!」
「でも、戻れないわ!」
「なら、出口を探す! ここにいたら囲まれる!」
ノアは床に散らばった武器を見た。錆びた剣、折れた槍、刃の欠けた短剣。使えるものは限られている。
彼は折れた槍を拾い、最初の死体へ向けた。
突き出す。
槍先は死体の胸に当たったが、浅く刺さっただけだった。
死体は痛みを感じていないように腕を振り上げる。
ノアは槍を捨て、後ろへ飛んだ。
まともに戦えば勝てない。
しかも、相手は五体いる。
ここで一体でも足を止められなければ、フィアを逃がすこともできない。
ノアは頭を回転させた。
武器で倒すのは無理。ならば、動きを止める。足を奪い、距離を作り、逃げ道を確保する。
彼は壁際に積まれた木箱へ目を向けた。中身は分からないが、箱の底は腐りかけている。そばには錆びた鎖が転がっていた。
「フィア! そこの鎖を取れるか!」
フィアは一瞬ためらったが、すぐに走った。死体の一体が彼女へ向きを変える。
「危ない!」
ノアは足元の剣を蹴り飛ばした。
剣が床を滑り、死体の足に当たる。敵が一瞬だけ足を止めた。
その隙にフィアが鎖を拾い、ノアへ投げる。
ノアは鎖を受け取り、床の割れ目を利用して広げた。鎖の端を木箱の脚へ巻きつけ、通路を横切るように張る。
「こっちへ来い!」
ノアは死体の一体を挑発した。
敵が突進する。
鎖に足を取られ、死体は前のめりに倒れた。だが、すぐに起き上がろうとする。
ノアはその背中へ飛び乗り、肩を押さえつけた。
力が強い。腕が振り払われそうになる。
それでも、今なら届く。
ノアは死体の首元に手を置いた。
ネクロマンシー。
これまで、彼は死者を動かすことばかり考えていた。
しかし、死者を動かせるなら、動きを止めることもできるのではないか。
自分が命令を与えるのではなく、すでに動いている力の流れに触れ、その方向を変える。
ノアは意識を集中した。
冷たい感覚が腕を伝い、死体の内側へ広がっていく。
黒い光が強くなった。
頭の中に、知らない声が響く。
『接続を確認』
『権限照合――失敗』
『異常な干渉を検出』
ノアは歯を食いしばった。
「止まれ……!」
死体の腕が、ぴたりと止まった。
一瞬だけだった。
だが、その一瞬で十分だった。
「フィア、今だ!」
フィアは近くの木箱を押し倒した。腐った木が崩れ、中から砂袋や石片が散らばる。倒れた死体の脚がそれらに埋まり、起き上がるまでの時間が伸びた。
ノアはすぐに飛び退いた。
しかし、残りの四体が一斉に動いた。
そのうち二体はフィアへ向かい、もう一体はノアの背後へ回り込む。
逃げ道が狭まっていく。
「まずい……!」
ノアは周囲を見渡した。
地下室の奥に、鉄の扉がある。その扉には、五つの窪みが並んでいた。扉の前には床の模様が刻まれ、中心には円形の石板がはめ込まれている。
あそこへ行けば、何かが分かるかもしれない。
だが、扉までの距離は遠い。
ノアは死体たちを見た。
彼らは単純に襲っているのではない。一定の距離を保ち、逃げ道を塞ぎながら追い詰めている。
まるで、何かを守るために動いているようだった。
「フィア! 扉まで走れるか!」
「やってみる!」
「俺が合図したら、真っすぐだ!」
ノアは、先ほど動きを止めた死体へ意識を伸ばした。
頭痛が再び走る。
黒い光が視界を埋め、耳の奥で警告音のようなものが鳴った。
『接続拒否』
『対象の記録領域に異常があります』
ノアは力を押し込むのをやめた。
代わりに、死体の動きを読み取ろうとする。
右腕が上がる前に肩がわずかに動く。左脚を踏み出すとき、体が右へ傾く。動作には、ほんのわずかな癖があった。
死者であっても、動きには規則がある。
ノアは床に転がった剣を拾い、死体の足元へ滑らせた。
敵が剣を踏み、体勢を崩す。
「今だ!」
フィアが走った。
ノアも続く。
一体が追いすがり、腕を伸ばした。ノアは身をひねって避けたが、肩をかすめられ、壁へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
視界が揺れる。
フィアは鉄の扉の前にたどり着いていた。
「ノア! 開かない!」
「中央の石板だ! 何か仕掛けがあるかもしれない!」
彼女が石板へ手を伸ばした瞬間、五つの窪みが淡く光った。
ノアの頭の中に、声が響く。
『守護条件を再確認』
『職業情報――ネクロマンサー』
『第一層、試験を開始します』
死体たちが、同時に動きを止めた。
そして、最初の死体がノアへ顔を向けた。
「……お前なら」
黒い光が揺らめく。
「扉を……開けられる」
死体はゆっくりと膝をついた。
残りの四体も、それに続く。
ノアは息を切らしながら、その光景を見つめた。
倒したわけではない。
従わせたわけでもない。
何かの条件を満たしたのだ。
鉄の扉が、重い音を立てて開き始めた。
その向こうには、小さな祭壇があった。
祭壇の中央には、黒い石が一つ置かれている。
ノアが近づくと、石の表面に文字が浮かび上がった。
『死者を支配する者よ』
『お前は、死者の声を聞く覚悟があるか』
ノアは答えなかった。
答えられなかった。
死者の声を聞くこと。それが、ただ死体を動かすことよりもはるかに重い意味を持つのだと、彼は直感していた。
祭壇の奥で、何かが目を覚ます気配がした。




