第15話 人間の死体
討伐隊の一件から二日後、俺はようやく報酬の一部を受け取った。
全額ではない。逃げた隊長の責任をどこまで依頼主に負わせられるか、まだ調査が続いているらしい。それでも、怪我人を救った働きについては認められた。
俺は受け取った硬貨を数えた。
薬代と宿代を払えば、ほとんど残らない。
「……簡単には楽にならないな」
生きるために働き、働くために治療を受け、治療費を払うためにまた働く。
それでも、少しずつ前へ進んでいる。
薬草採取だけだった頃と違い、俺には罠を使う知識ができた。死霊の狼を偵察や囮に使う方法も、少しずつ理解できている。
失った狼は戻らない。
だが、あの失敗から学んだことまで失うつもりはなかった。
俺は道具屋でロープを買い足し、墓地へ向かった。
フィアに、最近の仕事で起きたことを話しておきたかった。死霊術の使い方についても、もう一度考えたい。
◇◆◇
「人間の遺体を、アンデッドにするんですか?」
話を聞いたフィアは、驚いたように目を見開いた。
「いや、まだ何もしていない。討伐の現場で遺体を見つけたんだ。戦力として使えるかもしれないと思っただけだ」
「その人が誰なのか、わかっているんですか?」
「それが、まだ……」
フィアは眉を寄せた。
「だったら、先に調べるべきです」
彼女の言葉に、俺は黙り込んだ。
死霊術を使えば、狼だけでなく人間の死体も動かせる可能性がある。身体が大きく、道具を持てる人間なら、戦力として有用かもしれない。
そう考えたことは事実だった。
だが、あの遺体にも人生があったはずだ。
誰かと暮らし、誰かを大切にし、何かを望んでいたかもしれない。
俺は、その人間の人生を知らない。
「……そうだな。まずは身元を調べる」
フィアは少し安心したように頷いた。
「管理人に聞いてみます。墓地の記録や、村に届いた行方不明者の届けが残っているかもしれません」
俺たちは墓地の管理小屋へ向かった。
古い帳面が何冊も棚に並び、埃をかぶった書類が木箱に詰められていた。フィアは手慣れた様子で帳面を取り出し、日付を確認していく。
しばらくして、彼女の手が止まった。
「……これかもしれません」
帳面には、数日前から行方がわからなくなっている旅人の記録があった。村の外へ荷物を運ぶ仕事をしていた男性で、家族は隣の集落に住んでいるという。
記録には、男性が戻らなかった場合の連絡先も書かれていた。
「討伐現場で見つけた遺体が、この人だとは限らない。でも、確認する価値はある」
俺は帳面を閉じた。
「家族のところへ行こう」
◇◆◇
翌日、俺たちは隣の集落を訪ねた。
家族の家は、集落の端にある小さな木造の建物だった。扉を開けた女性は、フィアが事情を説明する間、何度も手を握りしめていた。
「夫が……見つかったかもしれないんですか?」
「まだ、確定ではありません。遺体の特徴を確認したいんです」
フィアが丁寧に答えた。
女性はしばらく黙っていたが、やがて家の中へ戻り、一枚の布を持ってきた。
「夫は、右手の薬指に古い傷があります。若い頃に仕事で怪我をして、それからずっと跡が残っていました。それと、この布を首に巻いていました。私が縫ったものです」
布には、何度も繕った跡があった。
俺はそれを見つめた。
もし、討伐現場で見つけた遺体がこの人の夫だったなら。
俺が戦力として利用しようと考えたのは、誰かの夫であり、家族だった人間だ。
「……確認してきます」
俺はそう答え、フィアとともに集落をあとにした。
◇◆◇
討伐現場は、村から北へ進んだ森の外れにあった。
俺たちは周囲を警戒しながら、遺体を見つけた場所へ向かった。
そこには、壊れた荷車と、散乱した荷物が残っていた。
そして、木の根元に、一体の人間の遺体が横たわっていた。
右手の薬指には古い傷がある。
衣服の一部には、布が引き裂かれた跡が残っていた。
俺は女性から預かった布を取り出した。
遺体の首元に残された繊維と、布の色が一致している。
「……この人だ」
フィアが息を呑んだ。
俺は遺体のそばに膝をついた。
死体を動かせば、戦力になるかもしれない。
その考えが、頭の片隅に浮かんだ。
だが、今はもう、そう簡単には考えられなかった。
この人には家族がいる。
帰りを待っている人がいる。
そして、遺族は遺体を返してほしいと願っている。
「この人を、アンデッドにはしない」
俺は静かに言った。
「戦力として使うより、家族のもとへ返すほうが先だ」
フィアは何も言わず、頷いた。
俺たちは遺体を丁寧に布で包み、運搬の準備を始めた。
しかし、帰り道へ向かおうとしたとき、森の奥から唸り声が響いた。
一体ではない。
複数の足音が、こちらへ近づいてくる。
俺は遺体を守るように立ち、周囲を見回した。
木々の間から、背中に硬い突起を持つ魔物が姿を現した。
その数は三体。
狼の死霊は、先日の討伐で失っている。
毒草を使うには準備が足りず、罠を仕掛ける時間もない。
俺の手元にあるのは、短いロープと数本の杭だけだった。
しかも、背後には運ばなければならない人間の遺体がある。
逃げるだけなら、できるかもしれない。
だが、遺体を置いていけば、魔物に荒らされる可能性がある。
俺は歯を食いしばった。
「……今度は、見捨てない」
その言葉が、誰に向けたものなのか、自分でもわからなかった。
魔物が一斉に動き出す。
俺はロープを握りしめ、周囲の地形を必死に見渡した。
正面から戦えば勝てない。
死霊の狼もいない。
それでも、遺体を守りながら生きて帰る方法を考えなければならない。
俺は初めて、死体を動かすこと以外の理由で、死者を守るために戦おうとしていた。




