第11話 死体を借りる条件
「その死体を、動かすつもりですか?」
フィアの問いに、俺はすぐに答えられなかった。
墓地の外れ。魔物化しかけていた死体は、エドラン司祭の処置によって動きを止めていた。黒い紋様が浮かんだ手首は布で覆われ、周囲には教会の印が描かれている。
エドランは四十代半ばほどの男性で、落ち着いた声と鋭い目を持っていた。彼は俺がネクロマンサーだと知ると警戒を隠さなかったが、先ほどの異変については冷静に対処していた。
「危険を防ぐために動かす必要があるなら、選択肢の一つではあります」
俺は言葉を選びながら答えた。
「ですが、勝手に操るつもりはありません」
「勝手に、とは?」
「死体を動かせるからといって、何でもしていいわけではないでしょう。少なくとも、本人や遺族の意思を確認できるなら、先に確かめるべきです」
フィアがこちらを見た。
「本人の意思なんて、亡くなった人から聞けるんですか?」
「……普通は無理だと思う」
死霊術で死体を動かせる。それは事実だ。
だが、動かした死体が生前の意思を持っているわけではない。俺が命令を与え、その命令に従わせているだけだ。
それを、本人が望んでいると解釈していいはずがない。
「だから、遺族がいるなら相談する。誰の遺体かわかるなら、勝手に使わない。少なくとも俺は、そうする」
フィアは少しだけ表情を緩めた。
「それなら……少しは安心できます」
「少し、か」
「だって、死体を動かすこと自体が怖いのは変わりませんから」
正直な言葉だった。
俺だって、自分が動かしているものを完全に理解しているわけではない。死体が動き出す感覚は、慣れたつもりでも気味が悪い。
ただ、使わなければ生き残れない場面もある。
その事実が、俺をさらに悩ませていた。
◇◆◇
「一つ、確認したいことがあります」
エドラン司祭が口を開いた。
「あなたは死霊術を、どこで学んだのですか?」
「学んだというより、職業を得たときに使い方がわかるようになったんです」
「職業を得た?」
「……説明が難しいんですが、俺はこの世界に来たばかりです。最初からネクロマンサーになるつもりだったわけではありません」
五つの職業から選ばなければならなかったこと。ほかの四人が先に職業を選び、最後に残ったものを俺が選んだこと。
それらを話そうとして、途中で言葉を止めた。
自分でも、どこまで説明すれば信じてもらえるのかわからない。
エドランは無理に追及しなかった。
「事情はわかりました。ですが、この土地では死者の扱いに規則があります。魔物化を防ぐために死体を動かす場合でも、教会の許可が必要になることがある」
「死体が魔物になるのは、よくあることなんですか?」
「珍しくはありません。特に、魔王の軍勢が現れてからは」
エドランは墓地の奥を見た。
「だからこそ、死者を適切に葬り、墓を管理する必要がある。あなたの能力が役立つ可能性は否定しません。しかし、危険性もある。どちらか一方だけを見るわけにはいかないのです」
その言葉には、偏見だけではない現実があった。
ネクロマンサーが危険視される理由は、単に死体が気味悪いからではない。死体が魔物化する世界で、死体を動かす力は、使い方を誤れば大きな危険を招く。
俺は頷いた。
「わかりました。今後、誰かの遺体を使う必要が出たら、確認できる範囲で持ち主や遺族の意思を確かめます。教会の規則にも従います」
「約束できますか?」
「できます。ただし、誰の遺体かわからず、今にも魔物化して誰かを襲いそうな場合は、まず危険を止めます。そのあとで、できる限り丁寧に扱います」
エドランはしばらく俺を見つめた。
「……その判断が必要になる日もあるでしょう。だからこそ、簡単に約束を破らないことです」
◇◆◇
話が終わったあと、俺はフィアと墓地の外れを調べた。
黒い紋様が浮かんでいた死体は、古い埋葬記録にも名前が残っていなかった。墓石の文字もほとんど消えており、誰が埋葬されたのかはわからないという。
「名前がわからない人もいるんだな」
「戦争で亡くなった人や、遠くから来た旅人もいます。身元がわからないまま埋葬される人もいるんです」
フィアは墓標の表面を布で拭いた。
「でも、名前がわからなくても、誰かが生きていたことは変わりません」
俺はその言葉を聞き、黙り込んだ。
俺が動かしている狼にも、生きていた時間があったはずだ。何を食べ、どこを走り、何を恐れていたのか。今の俺には、その一部を想像することしかできない。
死体を戦力として考えるのは簡単だ。
だが、その向こうには、生きていたものの時間がある。
俺は墓地の土を見下ろした。
「フィア。もし、どうしても死霊術を使わなければ誰かを救えない場面が来たら、君はどうする?」
「……わかりません」
フィアは正直に答えた。
「死体を動かしてほしくないと思うかもしれません。でも、それで生きている人が助からないなら……すぐには決められないと思います」
「そうだよな」
簡単な正解などない。
死者を尊重することと、生きている人を守ること。その二つが衝突したとき、俺は選ばなければならない。
だからこそ、何も考えずに能力を使うわけにはいかないのだ。
そのとき、墓地の入口から声がした。
「おーい! 荷馬車の護衛を手伝える人間を探しているんだが!」
振り返ると、商人らしい男が立っていた。背後には荷馬車が一台あり、御者が困った顔で手綱を握っている。
「村の外の道で魔物が出るらしい。護衛の補助をしてくれる人間はいないか?」
俺はフィアを見た。
フィアは小さく頷いた。
「行ってきてください。仕事をしないと、宿代も払えないんでしょう?」
「……そうだった」
俺は商人のもとへ歩き出した。
生きるためには金が必要だ。
そして、死霊術をどう使うべきかという問いにも、実際の行動で答えを出していかなければならない。
今度の仕事では、死者を道具として扱うのではなく、誰かを守るための力として使えるだろうか。
その答えは、まだわからなかった。




