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第10話 墓地の少女フィア

 コツン。


 墓地の奥から、もう一度音がした。


 俺は墓標の間を見渡した。


 風で枝が揺れたわけではない。墓石が倒れた音とも違う。何か硬いものが、内側から石を叩いているように聞こえた。


「……また?」


 箒を持った少女が、小さく呟いた。


 年齢は十代半ばくらいだろうか。淡い色の髪を後ろでまとめ、地味な作業着に身を包んでいる。少女は俺に気づくと、箒を握り直した。


「誰ですか?」


「仕事を探していて、墓地の見回りの依頼を受けたんだ。ノアという」


「見回り……?」


 少女は俺の顔を見て、それから腰の袋へ視線を落とした。


「あなた、ネクロマンサーですか?」


 また、その質問だ。


「そうだけど」


 少女の表情が強張った。


 箒を握る指に力が入り、彼女は一歩だけ後ろへ下がった。


 俺はため息をこらえた。


「心配しなくても、勝手に墓を掘り返したりはしないよ」


「……本当ですか?」


「そんなことをしたら、仕事どころじゃなくなるだろ」


 少女はまだ警戒していたが、少しだけ肩の力を抜いた。


「私はフィア。この墓地の管理人を手伝っています」


「管理人はどこに?」


「教会へ報告に行っています。すぐには戻らないと思います」


 フィアは墓地の奥へ目を向けた。


「それより、あの音……。昨日から続いているんです」


「昨日から?」


「はい。最初は風のせいかと思いました。でも、夜になると同じ場所から音がするんです」


 彼女は箒を壁に立てかけた。


「本当なら、管理人が戻るまで待つべきです。でも、もし墓の中で何かが起きているなら、放っておけません」


 フィアの声には恐怖が混じっていた。


 それでも、逃げ出そうとはしない。


 俺は墓地の奥を見た。


 音のした場所は、古い墓標が集まる区画だった。墓石の表面は風雨に削られ、刻まれた文字も薄くなっている。


「案内してくれるか?」


「……はい。ただし、近づきすぎないでください」


◇◆◇


 問題の墓は、区画の端にあった。


 墓石の根元の土が盛り上がり、細い亀裂が走っている。周囲には乾いた草が散らばり、土の表面には黒い染みのようなものが広がっていた。


 俺はしゃがみ込み、土の状態を確認した。


「誰かが掘り返した跡はないな」


「そうなんです。外から荒らされた様子はありません」


 フィアは声を落とした。


「でも、中から何かが動いている気がします」


 そのとき、墓石の下から鈍い音が響いた。


 ドン。


 俺は反射的に立ち上がった。


 土がわずかに動く。


 墓石の亀裂から、黒い液体のようなものが滲み出していた。


「下がって!」


 フィアを後ろへ下がらせ、俺も距離を取った。


 次の瞬間、土が弾けた。


 白い指が地面から突き出す。


 続いて、土にまみれた腕が伸びてきた。


 死体だ。


 いや、死体だったもの、と言うべきか。


 骨ばった手が地面を掻き、土の中から上半身が起き上がろうとしている。皮膚は黒ずみ、顔には生前の面影がほとんど残っていなかった。


 フィアが息を呑んだ。


「そんな……。ここは、ちゃんと管理されていたはずなのに」


 死体が顔を上げた。


 濁った目が、俺たちを捉える。


 俺は本能的に魔力を集中させた。


 死霊術を使えば、動きを止められるかもしれない。


 しかし、そこで手が止まった。


 これは、墓に埋葬されていた人間だ。


 昨日の村人たちと同じように、生きていた人間なのだ。


 勝手に操っていいのか。


 そんな迷いが生じた一瞬、死体がこちらへ腕を伸ばした。


「ノアさん!」


 フィアの声で我に返る。


 俺は死体の腕を避け、近くに落ちていた木の杭を拾った。


「まずは動きを止める!」


 杭を地面に突き立て、伸びてきた腕の進路を塞ぐ。死体は力任せに腕を振り回し、杭を倒そうとした。


 動きは遅い。


 だが、力が弱いわけではない。


 俺はフィアへ声をかけた。


「管理人を呼んできてくれ!」


「でも、あなた一人では……!」


「倒す必要はない! 危険を抑えられればいい!」


 フィアは一瞬迷ったあと、墓地の入口へ走っていった。


 俺は死体から目を離さず、少しずつ距離を取った。


 死霊術で操ることはできるかもしれない。


 だが、今はまず、これ以上暴れさせないことが先だ。


 死体の腕が再び地面を掻いた。


 その手首に、黒い模様が浮かんでいるのが見えた。


 細い線がいくつも絡み合い、円を形作っている。


 ただの腐敗による変色ではない。


 俺は目を細めた。


 見覚えのない紋様だった。


 だが、墓石に刻まれた古い文字とも、どこか似ている。


◇◆◇


 管理人が戻るまで、俺は杭とロープを使って死体の動きを制限した。


 完全に拘束できたわけではない。死体が暴れるたびに杭が揺れ、ロープが軋んだ。


 それでも、俺が直接触れて死霊術を使うよりは安全だった。


 やがて、フィアが年配の男性を連れて戻ってきた。


 男性は状況を見るなり、短く祈りの言葉を唱えた。手にした道具を使い、死体の周囲へ慎重に印を描いていく。


 しばらくすると、死体の動きが弱まった。


 最後に男性が墓石へ手を触れると、黒い染みが薄れ、死体は動かなくなった。


「ひとまず、これでいい」


 管理人は額の汗を拭った。


「だが、これは普通の死体の変化ではないな」


 彼は死体の手首を確認し、表情を曇らせた。


「この紋様……。教会で調べる必要がある」


 俺も、手首の模様を見つめた。


 ネクロマンサーとしての能力が反応している。


 死体から、微かな感情のようなものが伝わってきた。


 恐怖。


 苦痛。


 そして、何かから逃げようとする意志。


 俺は思わず息を止めた。


 これは、ただ死体が魔物になりかけているだけではないのかもしれない。


 フィアが俺の隣へやってきた。


「……怖くなかったんですか?」


「怖かったよ」


「でも、あなたは死体を勝手に操りませんでした」


 俺は答えられなかった。


 操る力があるからといって、何でもしていいわけではない。


 そのことを、俺自身がまだ理解しきれていないのだから。


 フィアは少し考え、それから頭を下げた。


「ノアさん。お願いがあります。墓地の外れにも、同じように異変が起きている場所があるんです。管理人だけでは手が足りません。あなたの力を貸してもらえませんか?」


 俺は墓地の奥を見た。


 死者を扱うことへの恐怖は、まだ消えていない。


 だが、ここで起きている異変を放置すれば、また誰かが危険にさらされるかもしれない。


「……わかった。ただし、死体を勝手に利用することはしない。まずは何が起きているのか調べよう」


 フィアは小さく頷いた。


 俺はもう一度、動かなくなった死体の手首を見た。


 そこには、古代の文字にも似た紋様が刻まれていた。


 この世界の死体は、ただ朽ちていくだけではない。


 そして、ネクロマンサーの力は、死者を操るだけのものでもないのかもしれない。


 俺はまだ、その意味を知らなかった。


 だが、次に進むべき場所は決まった。


 墓地の外れ。


 異変の起きている場所。


 そして、死体に残された謎を解くために。

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