4 内に巣食う悪魔
クレメンタスがあらたにおとずれた集落の惨状は見るに耐えないものだった。
杭に磔にされ脇腹をえぐられたもの、燃やされた家屋、吊るされた女子供たち、穴に無造作に捨てられた死体の山──死後数日が経っており、強烈な腐敗臭をはなっていた。そのどれもがヒト族のものであった。
「なぜこんなむごいことを」
クレメンタスのとなりで同僚の修道士がなみだぐんでいた。すると年上の修道士がこう言った。
「われわれ〈教会〉にたいする警告と挑発だ。われわれの掲げる〝奴隷解放〟という謳い文句が、彼ら支配者の癪に障るのだ」
この世界での奴隷階級といえば、もれなくヒト族を指す。
「ならばなぜ、領地を捨て、奴隷を殺して逃げるのですか。逃げずにわれわれと戦えばいいではないですか」年下の修道士が食い下がる。この土地の領主は、修道騎士団との戦いを回避した。そして領地を捨てる際に、いままで使役してきたヒトたちを皆殺しにしたのだ。
「われわれに勝てないとわかっているから余計腹立たしいのだろう。だからこのような卑怯な真似をする」と年上の修道士が諭す。
無敗の快進撃をつづける修道騎士団の名を、いまやこの〈悪夢の地〉で知らぬものはいない。修道騎士団のつよさの源泉は、彼らが崇拝する神の加護〈奇跡〉による。〈奇跡〉に護られた騎士に刃がとどくことはない。
クレメンタスは、ふたりが口論をしている横で、呼吸が荒く顔も紅潮していた。
年下の修道士はとうとう泣き崩れ、地面に手をつくと、
「わたしは、同胞を救うという使命のために人生を費やしてきました。しかしそれがこんな凄惨な結果になるとは……わたしがしてきたことは正しかったのでしょうか」
と吐露した。
クレメンタスは口に手をあてて、なにかをこらえるように指を噛んでいた。
「神の御意志を疑ってはなりません」
そう言ったのは、この騎士団を率いるヒポクリシス司祭だった。
「司祭様」
ヒポクリシス司祭はつづけた。
「無論、彼らを救いたかったという想いはわたしもおなじです。しかしこれも神の御意志。彼らは死して神のもとへ帰ったのです。悪夢のようなこの世界から解放されたのです。彼らのために祈りましょう」
修道士ら一同は手をあわせて祈った。しかしクレメンタスだけは「し、失礼いたします」とその場を離れた。
それを見た年下の修道士が心配そうに言った。
「どうしたのでしょうか」
「おそらく嘔吐でしょう」とヒポクリシス司祭。「彼は優秀だがまだ若い。このむごたらしい光景に吐くのも無理はない」
焼け焦げた家屋の裏、だれからも見られない場所でクレメンタスは地面に両膝をついてかがんでいた。息が荒い。
「はあ、はあ、はあ……んッ」
土のうえに白い体液が飛び散った。クレメンタスは快感の余韻にひたっていたが、すぐに自己嫌悪の波に呑まれた。
(またやってしまった。私は糞だ下衆だ。何度過ちをくりかえすつもりだ。こんなこといつかバレる、いつかバレる。私の内に悪魔が巣食っていることがバレてしまう)
こういう状態になるとクレメンタスはいつも過去のできごとを思い出す。それも、あたかもいままさに体験しているかのような生々しさで──
──クレメンタスの出身は、ガルドール山嶺の麓にひろがる寒冷地域にある集落だった。そこはもともとエルフ族が支配していた村だったが、クレメンタスがものごころついたころには〈教会〉が統治していた。
クレメンタスは図体ばかり大きく気の小さい少年で、一年の大半を豪雪によって外界から寸断され、〈教会〉の厳格な規律を生活の基盤にしている閉鎖的な空間では、いじめの標的にされた。
罵倒され嘲笑され殴られ蹴飛ばされ、その屈辱に自尊心が削れていく。クレメンタスは十一歳のときに自殺をこころみた。
家の梁に縄をかけて首を吊った。頸部に自分の全体重がくいこむ感覚をいまもありありとおぼえている。
しかし結局は縄の結び方があまくてほどけてしまい、クレメンタスの自殺は未遂に終わった。
それ以降、クレメンタスはますます信仰にのめりこむようになる。翌年には聖職に就くために故郷をはなれ修道院にはいることとなった。村を出発する前日、「餞別」と称して悪童たちからリンチをうけた。
修行はきびしかったが自分の信仰とむき合えた三年間だった。もともと大きかった体格はさらに成長し、並外れた膂力を獲得し、修道騎士としても期待された。
修行の最終過程で聖職者として故郷の村にもどったクレメンタスは村民たちから尊敬と讃美で迎えられた。しかし旧友たちは子供時代とおなじ──それ以上の悪意をむけた。
ついに悲劇が起きる。旧友からの悪意でトラウマに苦しみ精神的に追いつめられたクレメンタスは、彼らのなかに悪魔の幻覚を見て錯乱し、殺害してしまう。
クレメンタスは投獄された。聖職者が殺人を犯した場合罪は重く、もっとも苦痛をともなう焚刑に処される。獄のなかで死を待つクレメンタスであったが、心はすでに死んでいた。
ヒポクリシス司祭がクレメンタスの前にあらわれたのは、そんなときだった。
司祭はクレメンタスに問うた。
「悪魔を見たと?」
クレメンタスは力なく口を開いた。
「それは私の心がつくりだした幻でしょう。悪魔がいるとしたら私のなかです。悪魔に屈したのは私です」
「それはちがいます」司祭はきっぱりと否定した。「信徒クレメンタス、貴方は悪魔を目撃し、それを祓った。聖職者としての職務をまっとうしたのです。素晴らしい」
「……いえ、私は罪を──」
「貴方に罪があるならば神がお赦しになりました」ヒポクリシス司祭は断言した。「信徒クレメンタス、貴方に告白することがあります。これから告げることは混乱をまねく恐れがあるため、ほかの信徒たちにけっして知られてはなりません。わかりましたか」
クレメンタスは頷いた。
「よろしい。信徒クレメンタス、わたしは現在重大な職責に就いています。それは大災厄の予言にかかわるものです。信徒であるならだれもが知る、あの予言──〝大悪魔の復活〟です」
クレメンタスは息を呑んだ。
「信徒クレメンタス、貴方の力を貸してください。わたしの修道騎士団に入団してください」
それがクレメンタスが修道騎士になった経緯だ──
パニックから立ちなおったクレメンタスは、地面の体液に足で砂をかけると、みんなのもとへ戻った。
「クレメンタス、大丈夫かい」同僚の修道士が言った。
「ああ、祈りの最中にすまない」
「しかたないさ。それよりこっちに来てみろ」
同僚につれられた先にあったのは、ヒト族以外の死体だった。身体を引きちぎられたグールの無惨な死体が数体あった。
「これは?」とクレメンタス。
「おそらく鹵獲目的の盗賊だとおもわれるけど、この死体の状態をどう思う」
グールの身体には鋭いもので引き裂かれたような傷口が見える。
「獣じゃないのか」
「それも考えたが、死体をたべた形跡がないんだよ」
「たべていない……」
「あと、この足跡を見てみろよ」
そう言って指差した地面のうえには蹄のかたちをした足跡があった。
「羊? 山羊か? どちらにしてもグールを殺せるような肉食獣じゃない」
クレメンタスは不審に思った。




