25 王都地下街
ミカエルは、ラファエルやウリエルの醜悪な外見とは違い、完璧な均整——頭の天辺から性器の先まで——のとれた肉体をもっていた。背中にある六枚の翼は、生命樹とおなじような半透明の幻影で、光輪にちかいものだった。
ミカエルには美術品のような美しさがあり、一糸纏わぬ姿に魅入られて、クレメンタスは茫然としていた。
ミカエルが歩をすすめて、ちかづいてきた。ふと見ると、なにももっていなかったはずの右手に、光る棒切れのようなものがある。ミカエルはその光の棒切れを横薙ぎに払った。クレメンタスは反射的に盾をかまえて、棒切れを受けようとした。
光の棒切れが盾に当たる一瞬前、クレメンタスは首根っこを掴まれ、全力で後方に引っ張られた。
それは〝棒切れ〟というなまやさしいものではなかった。剣——〝光の剣〟だ。光の刃が盾をすり抜けてクレメンタスの鼻先を斬った。
「熱ッ」
斬られた箇所をおさえても出血はなく、代わりに皮膚が焦げていた。
ミカエルの攻撃の後隙に、死角からロッカが短刀で斬りつけるも、見えない盾にふせがれた。ミカエルが光の剣を斬り上げて反撃したが、ロッカは軽快に回避した。
クレメンタスを引っ張ったのはセアルだった。
「あの武器は霊剣だ。盾は意味がない」
そのときふたりの後方では、ヴェネフィカがちょうど呪文の詠唱を終えた。九本の冷気の槍が放たれる。角度を変えたり、二本同時にあてたり、タイミングを変えたりと、変則的な攻撃をしたがすべて見えない盾に弾かれてしまった。
ラファエルは身体全体を盾で覆っていたが、ミカエルは必要最小限の大きさの盾を的確な場所に展開している。ラファエルとは比べものにならない精密さと熟練度だ
「う〜む、これは……」
打つ手がない——ヴェネフィカは困惑した顔でこう叫んだ。
「撤退!」
セアルはヴェネフィカを抱きかかえると階段を駆け上がった。そこにロッカとクレメンタスがつづく。
光の剣のひと振りが、セアルたちが上る階段を、地下室の天井(一階の床)ごと破壊した。
間一髪で光の刃から逃れた一行は、いそいで大聖堂を出た。大聖堂の壮麗な扉が斬り刻まれる。ミカエルは慌てるようすもなく、悠々と歩いてきた。
ミカエルは屋外に出ると美しい歌声を披露した。だが、これは単なる歌ではなく、じつは号令だった。
ミカエルの眷属である、小柄で痩躯な天使たちが至るところから湧いて出てきた。
小天使らは、骨と皮しかない身体に、色素のない真っ白な皮膚、逆に漆黒の眼球(白目がない)、体毛と性器は生えておらず、背中にある純白の二枚の翼で空中を飛んでいた(歩行は苦手のようだ)。
小天使らはセアルたちの追跡と捕獲を命じられた。ミカエルから逃れたセアルたちは、休む間もなく小天使どもに追われる羽目になった。
——まるで迷路のような構造をしている王都内を、セアルたちが駆け抜ける。
王都は、平面だけでなく高低の構造も複雑に入り組んでおり、セアルたちは縦に横に進路を変えて、小天使らの追跡をまこうとした。しかし、たとえ追跡をまいたとしても行く先々で小天使があらわれるので、きりがなかった。
小天使自体は弱かった。二、三匹くらいならまとめて斬って捨てればいいが、これが多数となると囲まれて終わりだろう。
一度、小天使ではなくミカエルと遭遇し、その圧倒的な戦闘力に死にかけた。
逃げに逃げた挙句、セアルたちはとうとう小天使に行く手を阻まれ、小さな橋の上で前後をはさまれるかたちになった。次々と小天使があつまってきて、セアルたちはうごけない。ついにはミカエルがあらわれ、セアルたちは窮地に立たされた。
そんな状況のとき、ロッカがセアルを小突いた。セアルはなにごとかとロッカを見た。ロッカは橋の下を指差している。橋のはるか下に地下街が見えた。セアルはロッカにむかって頷いた。
「飛び降りよう」セアルは言った。
「は? 飛び降りるって、橋の下にですか。いや、無理でしょ。足の骨折れるって。最悪死にますって」
クレメンタスは必死に抗議した。
「同意同意。べ、べつの道をさがしましょう」
ずっとセアルに抱えられたままのヴェネフィカもクレメンタスに賛同した。
「却下する。ロッカ、いいか。クレメンタス、ついてこいよ」
ミカエルの光の刺突が飛んできた。セアルはミカエルの攻撃を飛んで躱すと、橋の欄干に上り、飛び降りた。
「キャアアァァァ」
ヴェネフィカの悲鳴が地下街の深淵へ呑みこまれていった。
セアルはヴェネフィカを抱きかかえたまま、ふわりとやわらかく着地した。ロッカも、音もなく軽やかに地下街に下りた。クレメンタスだけが着地のときにバランスを失い、思いっきり尻餅を突いた。
上を見上げると、小天使たちの影が見えた。
「追いかけてこない。なぜだ」とクレメンタス。
「なんにせよ、逃げ切れたみたいだな」とセアル。
「しかし、ここは犯罪と煩悩の坩堝として悪名高い王都地下街です」ヴェネフィカは言った。「ここから先も危険地帯にちがいはありません」
「その通りだぜ」
と言ったのは四人のだれでもなかった。見るとドワーフのいかつい中年男がうしろに立っていた。さらに、いつのまやら武器をもった強面な連中に囲まれていた。
「はあ、天使のつぎは輩かよ」セアルは溜め息をついた。
「無駄な抵抗はするな。おとなしくしてりゃ痛いことはしねえ」
ドワーフの中年男はドスの利いた声ですごんできた。
「セアルさん」ヴェネフィカが小声で訊く。「ここに日は差していますか」
セアルは上を見た。建物や橋に阻まれて空はほとんど見えなかった。もちろん日も差していない。
「いや、夜みたいに薄暗いよ」
「人数は?」
「三十人くらいかな」
「ならば死霊で片づけます」
「お前らさっきからなにゴチャゴチャ言ってんだ。歯向かおうたって無駄だぞ。わかってんのか」
中年男は怒鳴った。
「ヘイヘイ、マレフちゃん。自分ちみたいに大声出しちゃってどうしたんだい。ここはウチの庭だぞ、チンカス」
奥から中年の女エルフが、別の集団をひきつれてあらわれた。セアルは、「ちょっと待て、ヴェネフィカ。状況が変わったみたいだ」と死霊術の詠唱を止めた。
マレフと呼ばれた中年のドワーフ男が言い返す。
「はあ? なにを言ってやがる、シェイザ。ここはずっとウチの縄張りだ。呆けたか、アバズレ」
「呆けてんのはテメエだ、ドブカス。一昨日の抗争でB地区をウチが獲ったろ。そのB地区と、もともとウチの縄張りだったD地区にはさまれたこのC地区は、当然ウチらの縄張りだろ」
と、女エルフのシェイザが切り返した。
「オセロじゃねんだよ、クソボケが。そんな理屈が通るかよッ、ブス」
「はあ? 目ェ腐ってんのか? 絶世の美女をつかまえて、ブスだぁ。死にてェのか、この粗チンが!」
「でけェわ! 巨根だわ! だれが粗チンだ! 見せてやろうか、ババア!」
「テメエの汚ぇチンコなんか見たくねえわ」
両陣営の舌戦の攻防は、このあともしばらくつづいたという。




