24 神に似たる者などあろうか
「は? なに言ってんだ、ジジイ」
セアルは噛みついた。
「三十万人のうち二百人ほどは地下街へ逃げたようだから、王都市民全員というのは正確ではないな。そこは訂正しよう」
「いや、そうではなくて」クレメンタスは言った。「三十万人を殺したというのですか」
ヒポクリシスは口元にふくみ笑いをただよわせながら、
「殺しておらんよ。みずからの意志で選択したのだ。みずからの信仰に殉じようとな。三十万人の集団自決は不可能だと思うか」
クレメンタスの身体が震えだした。
「し、死体はどこに。街には一体も見られませんでした」
「生命樹の麓を見たことはあるかね。どうなっていると思う」ヒポクリシスが言う。
「いえ、見たことがありません」
「知っての通り、あれは霊樹であり実体をもたない幻だ。根っこの部分も幻影であり、実体は底の見えない奈落になっている。三十万人が身を投げた結果、奈落の底がどういった状態になっているか、見てみたいもんだが、それは叶わぬだろうな。ほかに質問は」
クレメンタスが挙手する。手の震えがとまらない。
「フェッリアとメルカタスで、ラファエルとウリエルの名を騙る魔物に遭遇しました。あれこそが悪魔ではないのですか」
「クレメンタスよ。お前はとてつもない罪を犯したな。ラファエルもウリエルも本物の神の使徒だったのだよ。それをお前は殺してしまったな。しかも、霊性まで消滅させてしまったら、もう生まれかわることもできない。お前もおなじ罰を受け〝無〟になるがいい」
怒りがクレメンタスを支配する。身体中の血管が浮き上がり、脈打つ。
「ヒポクリシス様。それはどういう意味でしょうか。あれが本物の使徒だということは、フェッリアの民を屍鬼にし、メルカタスを破滅に追いこんだのは神の意志だと?」
クレメンタスの脳裏にフェンの顔が浮かぶ。
「てめえ、ふざけんじゃねえよ!」
クレメンタスがヒポクリシスに殴りかかろうとするも、〝不戦の契り〟が発動し、見えない壁に弾き飛ばされ、地面に倒れたところを見えない重石に押し潰された。
憤怒に歯ぎしりし、口から血がながれた。
「人を殺しながらペニスを勃起させ、自慰行為に耽る変態が、一丁前に正義をふり翳すな。痴れ者め」
ヒポクリシスは這いつくばるクレメンタスに唾を吐いた。
「ヴェネフィカ氏」ヒポクリシスは盲目の魔女の名を呼んだ。「貴方は、〈教会〉について調べるために、ここまで旅をしてこられたときいている。ならば、わたしが〈教会〉の成り立ちと歴史について講義して差し上げよう」
ヒポクリシスは一段たかくなっている壇上に上がり、咳払いをひとつした。
「はるか昔、辺境の地にヒト族だけが住む卑小な集落があったという。そこにはまだ亜人の支配がおよんでおらず、彼らは奴隷ではなかった。その地で細々と受け継がれてきた信仰が、ヤフ神信仰である」
「ヤフ神?」ヴェネフィカが疑問を呈した。「エル神ではなく?」
その疑問にヒポクリシスは答えず、講義をつづけた。
「ヤフ神信仰は旧世界からつづく最古の信仰だった。つまり、辺境の地の彼らは旧世界の生き残りであった。さらに、旧世界では霊長に君臨していた存在だったという。霊長——太古の時代、世界はヒト族が支配していたのだ」
ここで話を一旦切り、ヒポクリシスは聴衆たちの反応を見た。悪くないだろう。つづける。
「しかし環境の悪化が問題となり、劣悪な環境でも生き残れる適応力のたかい人類をつくろうと試作をくりかえして生み出されたのが、エルフであり、ドワーフであり、オークであり、グールであった。
貴方——ヴェネフィカを指す——はヒトがつくり出した亜人間なのだ。しかし亜人らは、丈夫でつよく設計されていたため、繁殖してくるとどんどん勢力をひろげていった。そして、とうとう彼の辺境の地まで侵略の手がのび、旧世界の生き残りたちは捕らえられ、奴隷へと落ちぶれた。このときヤフ神は誓ったという——この屈辱をいつか必ず晴らすことを。そのためにヤフ神は禁じられた扉をひらき、追放されていた神〈オルムル〉を呼び戻し、力を得たのだ。これが、われわれ〈教会〉の起源である」
静寂——を破ったのはヴェネフィカであった。
「〝ヤフ神〟という名は初聞です。〈教会〉の神はエル神ではないのですか。それに〈オルムル〉とは竜人族神話に出てくる宇宙蛇のことですよね。つまり……どういうことなのですか」
「ヤフ神とは、小さく弱い神だった。みずからを崇拝する信者たちを救うだけの力をもっていなかった。ゆえに復讐の権化へと変貌した。〈オルムル〉とは、外宇宙からの侵略者だ。ヤフ神は、この星を賭け金代わりに、〈オルムル〉と契約を交わした。復讐を成就させよと。エル神の名を騙ったのは単にカモフラージュのためだ」
「唯一神を標榜した理由は」
「神に衝動があるとすれば、それは〝自己を拡大すること〟だ。その究極は、すべての『個』を取りこみ、広大無辺、唯一無二の存在になること。そして、そこまでいかなければ神の渇きが癒えることはない。ゆえに、唯一神を標榜した」
床に押しつけられたままのクレメンタスは、ある確信を得ていた。それは、あそこに立っているのはヒポクリシス司祭ではないという確信だ。ヒポクリシスが——いや、地上に生きるすべての者が、知り得ないような知識を披露している。
と、そのとき、身体がふっと軽くなった。見えない重石が消えた。
ヴェネフィカが叫ぶ。
「契りが解除されました! 攻撃がきます!」
ヒポクリシスだった者が、ロッカを指した。
「竜人族の生き残りにして、千年の王バアルよ! なぜ人類復興の邪魔をする! 貴様は〝人類の友〟だと公言していたではないか。外宇宙の存在であるにもかかわらず」
きこえる。またあの〈声〉だ。頭のなかで響くあの〈声〉——〈声〉はこう言っていた。
『|神に似たる者などあろうか《ミカエル》』
〈声〉をきいて、クレメンタスは悟った。ヒポクリシスはすでに信仰に殉じていたのだと。ヒポクリシスの身体はすでにミカエルに捧げられ、受肉の材料となっていたのだ。
『|神に似たる者などあろうか《ミカエル》』
ヒポクリシスが両腕をひろげ、磔刑の罪人のような格好になると、腹が裂けて腸が床に零れた。
「ぐわああぁぁぁぁ」
ヒポクリシスの絶叫が、黴臭い書庫内に鳴り響く。
床に零れたはらわたのなかでなにかが蠢いている。それは、はらわたから這い出て起き上がると、人の造形を成していた。
『|神に似たる者などあろうか《ミカエル》』
ヒポクリシスはいつしか恍惚の表情を浮かべていた。
——黙って見てる義理はない。
とセアルが飛び出す。マントのなかから——今回はまちがいなく——鉄槌を取り出し、血みどろのなにかにむかって振り下ろした。しかし見えない盾に弾かれてとどかない——ラファエルのときとおなじだ。
『|神に似たる者などあろうか《ミカエル》』
立ち上がると、それは、美しい肉体をもつ青年となった。
ヒポクリシスは、絶頂のなか絶命した。




