23 王都バアル
生命樹の麓、王都バアル——悪夢王バアルがきずいた〈悪夢の地〉でもっとも栄えた都。巨人も侵入できないほど高大な城壁に巨大な門扉。城壁内は建物がところ狭しと建ちならび、建てる場所がなくなると地面を掘って地下に街をつくり、結果的に多層構造化してしまった都市。種族や老若男女を問わず人びとがあつまり、貧富にかかわらず欲望に呑みこまれる街。昼夜ともに人が溢れかえって——いるはずだった。
王都内にはいったクレメンタスたちは困惑を禁じ得なかった。なぜなら市内に人影がひとつとしてなかったからだ。がらんとした王都内は不気味で恐怖すらおぼえる。
「……どういうことだ」
クレメンタスをさらに不安にさせたのは、つい先ほどまで人がいた形跡が散見されることだ。
市場にならぶ新鮮な果物や野菜の数々。肉屋や魚屋にならべられた品には蝿がたかっていたが、腐ってはいなかった。食堂のテーブルのうえには食べかけの料理があった。
ほんの数時間前までそこに人がいた確かさがあるのに、だれひとりいない不条理さに、異世界にまよいこんだような不安を感じた。
「いったいなにがあったんだ」
クレメンタスは独り言をつぶやいた。
音がない。時折、風が吹く音があるだけで、鳥のさえずりすらきこえてこない。
「考えてもわからないことを考えていても仕方ないので、とりあえず予言書があるところへ行きましょうか」
と盲目のヴェネフィカが言った。その意見を採用して、まず〈教会〉の総本山である大聖堂へむかうことにした。
この大聖堂は、バアルの時代には大書庫としてつかわれていた建物であったが、十年前に〈教会〉が王都の実権をにぎった際に大聖堂へと改修され、いまでは〈教会〉の総本山となっている。
壮麗な造りの扉を開けてなかにはいる。外壁も豪華だったが、内装はさらに絢爛だった。
「ここは聖堂になっていますが、奥に書庫があります。そこに行きましょう」とクレメンタスが案内した。
ここだけが王国時代の名残を感じられ、内装の様式がちがっていた。古い紙のにおいのする書庫のなかから、クレメンタスが現存する最古の聖典をもってきた。盲目のヴェネフィカや文字が読めないロッカとセアルに代わって、クレメンタスが大悪魔についての予言部分を読んできかせた。
そこには、封印されていた大悪魔が復活し、神と七年間におよぶ大戦争を展開し、最後には神が勝利するが、その戦争によって人類が十分の一の数になる、という予言が書かれていた。この予言を回避するため、〈教会〉は大悪魔の復活を事前に阻止しようとしているわけだ。
「なるほど、大体わかりました」とヴェネフィカ。「ですが、この〝大悪魔〟というのはいったいなにを指しているのでしょうか」
「〝なにを〟とは?」クレメンタスが問い返す。
「質問の仕方を変えます。では、〈教会〉の方々はなにを頼りに大悪魔を捜索しているのですか。身体的特徴やそのほかに〝しるし〟のようなものがあるのでしょうか」というヴェネフィカの質問に、クレメンタスはしばらく考えこんでから、
「……わかりません」
とだけ答えた。
「わかりません? わかりませんとはどういう意味ですか」
「言葉の通りです。私たちはなにをもって大悪魔としてきたのでしょうか。そもそも大悪魔ってなんですか」
「いやあ、わたくしにきかれても……」
セアルが割ってはいる。
「強引な布教活動を正当化するための、ただの口実だろ」
セアルのきびしい指摘に、
「そう、かもしれません。大悪魔なんていないのかも」
とクレメンタスは揺らいだ。〈教会〉にたいする忠誠と信仰が、クレメンタスのなかで〝絶対〟ではなくなってきている証拠だ。
重い空気がながれる。
「ところでクレメンタスさん」ヴェネフィカがその空気をやぶった。「ここのほかにも書庫はありますか」
「え? 書庫? ですか……書庫は、ここだけです」
「ここは元来、王朝時代の大書庫だったはずです。ここにしかない希少な書物もあったはずですが」
「たしかに。しかしながら書物が置いてあるのはこの部屋だけです、私の知るかぎりでは」
「そうですか。ひとつ気になったことがあるのですが、この壁のむこうにもうひとつ部屋がありますよね」と言って、ヴェネフィカは壁を指した。「盲目になってから耳がよくなりましてね。音の響き方でわかるんです。ここに空間があることが」
周囲をしらべてみると、たしかにもうひと部屋分の空間があるようだった。しかし、どこをさがしても、その空間につながる扉がなかった。完全に隔離された空間だ。
「ヴェネフィカ。チャルゥの婆さんちに行くときにつかった呪文で入口がみつかるんじゃないか」
セアルが言うのは、永遠の森で隠れた小径を発現させるための呪文のことだ。
「なにを言ってるんです、セアルさん。いくらなんでもそんなことないですよ。まあ、試しにやりますけど……オトヴルティ・シ・セザメ」
壁に、さっきまでなかった扉があらわれた。
「……」
「おーい、アタシの言った通りじゃないか」
「……ま、そんなこともたまにはあります」
扉を開けた先には部屋があり、その中央に地下へつづく階段があった。階下は真っ暗闇だった。ヴェネフィカとセアルは、マントからランタンを取り出し、灯りをともした。そこは広い空間で、書物が無造作に積まれていた。大書庫にあったものを押しこんだのだろう。なかには、禁書や触れれば崩れてしまいそうな古い本が多数あった。
突然、部屋のなかが明るくなった。この光は〈奇跡〉の類いらしい。
「生きていたのか、クレメンタス」
声の主は、クレメンタスの上司であるヒポクリシス司祭だった。
「司祭様」
ヒポクリシスは腰のうしろに手を組みながら階段を下りてきた。従者も護衛もつれず、ひとりであらわれた。
「さきほど君らの話をきかせてもらっていたのだが、大悪魔が布教の口実だとか、実在しないだとか言っていたな。しかし、大悪魔はたしかに実在する」
「司祭様が盗み聞きとは、趣味がいいな」
「ふん」セアルの皮肉を鼻で嗤うとヒポクリシスは言った。「クレメンタス、うしろの少年を殺せ。そいつが大悪魔だ」
「え」
クレメンタスはふりかえる。ロッカと目が合った。
「まだ覚醒していない。いまのうちだ。覚醒する前に殺せ」
クレメンタスは判断ができなかった。たしかに、あの姿——ウリエル戦で変身したロッカの姿は、〝悪魔だ〟といっても過言ではなかった。
「どうした、クレメンタス。やらないのか。神のご意志に歯向かうつもりか。背信行為だぞ。神を冒涜する行為だ、クレメンタス」
「そ、それは……」
「おい、嘘だろ。なに迷ってんだよ、クレメンタス」
セアルは、信じられないといった表情だった。
追い詰められたクレメンタスは、息苦しさと動悸におそわれた。パニックになり、脂汗が滲む。
パンッ! と手が打ち鳴らされた。クレメンタスは心臓が止まるかと思うほど驚いた。手を叩いたのはヒポクリシスだった。
「ハハハ、愉快愉快。茶番劇はここまでにしよう、クレメンタス」
「はあ? どういうことだ?」
というセアルの疑問をヒポクリシスは無視した。
「すこし話をしようじゃないか。わたしは君らのことを知っているが、君らはわたしを知らんだろうから自己紹介をしよう。ヒポクリシスだ。〈教会〉で司祭をやっている。〝隠された秘密の部屋〟を用意すれば自分から罠に嵌ってくれると思ってたが、すこし時間がかかりすぎだな。君らに脳味噌はあるのかね」
「おいおい、いきなり喧嘩腰だな。やる気かよ、ジジイ」
セアルがやり返す。
「ふふ、これだから馬鹿は困る。君らは罠に嵌っていると言っただろ。この部屋のなかには、〝不戦の契り〟と〝閉塞の契り〟が施されている。他者を傷つけることと、部屋の外に出ることは許されないんだよ」
「へッ。じゃあ、ためしてみるか」
セアルはマントをひるがえした。が、鉄槌が出てこない。
「武器の使用は戦闘につながるため許されない」
「アタシは素手だってやれるけど」
と、セアルは華麗なステップをきざむと一気に距離を詰めて拳の打撃を放とうとするも、直前で身体が硬直してうごかなくなった。
ヒポクリシスは溜め息をついた。
「はあ、だから言っているだろうに」
ヴェネフィカが手を挙げて発言した。
「はい。契りということは、貴方も攻撃できないし、外に出られないのではないですか」
「その通り。わたしも君らとおなじ条件だ。だからはじめに話をしようと言ったろ」
「それで、なんの話をすんだよ。ジジイ」
セアルは、口撃ならば許されると察して口汚く罵ってやろうと決めた。
「礼儀をしらん、人形だ。わたしの話はあとでいい。まずは君らの質問を受けようじゃないか。訊きたいことが山ほどあるのではないかね」
「では、アタシから」とセアル。「王都に人がいなかったけど、どういうわけだ」
「ふむ、当然の疑問だな。いいだろう、答えてやろう。王都バアルの住民およそ三十万人全員が殉教したのだ」
「殉教?」
「ああ、神に殉ずることだ。神にみずからの死を捧げたのだよ」




