21 覚醒
これはきっとなにかの間違いだ——クレメンタスはそう思いこもうとした。
ファルとフェンが一瞬にして消し炭になった。目の前で火炎に呑みこまれ、全身の水分が一気に蒸発し、つぎの瞬間には炭化していた。その一部始終をクレメンタスは目撃していた。いまそこには人のかたちをした炭の塊が二体立っているだけだ。
こんなことがあるはずがない。あってたまるか。こんな、こんなことがあるというのなら、神に慈悲などない。こんなことがあるというのなら、神などいらない──
『神の真理の光』
目のまえの醜悪な生き物が声ではない〈声〉で、その言葉をくり返す。
『神の真理の光』
頭のなかで反響する。
『神の真理の光』
気が狂いそうだ。
クレメンタスは、かつてフェンだった炭の塊に歩み寄った。震える手で触れようと——その瞬間、ワイバーンの硬い尻尾が薙ぎ払われ、フェンとファルだった塊が粉々に砕け散った。
クレメンタスの手が、むなしく虚空を掴んだ。
そのワイバーンの表皮は赤く爛れたように醜く、本来頭部があるはずの箇所から人間の上半身に似たものが生えていた。これがウリエルの受肉した姿だった。
そのおぞましく邪悪な姿を、クレメンタスは睨みつけた。憤怒で全身の血が滾り、身体中の皮膚が赤黒くなり、血管が浮き出て、いまにも血が噴き出そうだった。
「貴様ァ、ブチ殺す」
クレメンタスは、小さく囁くように、怒気を吐いた。
「ぅうおおぉぉぉぉぉぉ!」
咆哮とともに突撃する。だが、ウリエルのワイバーン部分の前肢──翼になっている手──で軽く払われると、クレメンタスはぶっ飛ばされて藪のなかに突っこんでいった。
「マズい。完全にキレてる。死ぬぞ、アイツ」セアルは隣にいたロッカに言うと、「ロッカ、アイツを止めるぞ」無尽蔵のマントから鉄槌をとり出した。ロッカも短刀と鉈をもって突進する。
藪のなかからクレメンタスが立ち上がる。浮き上がった血管から血が噴き出ていた。クレメンタスは藪から飛び出るとふたたびウリエルにむかって突撃した。そして、さっきとまったくおなじ手で叩かれて、まったくおなじ藪にまた突っこんだ。
セアルが怒鳴りつける。
「馬鹿のひとつ覚えかよ! このままじゃ死ぬぞ! 頭冷やせ、クレメンタス!」
しかしセアルの忠告もクレメンタスの耳には届かない。いや、言葉は届いているが、頭に血がのぼっているせいでそれを認識できないでいた。
ふたたび突撃する。ウリエルは詠唱無しで、火炎の魔術をはなつ。
「避けろ! 黒焦げになるぞ!」
クレメンタスの脳裏にフェンとファルの姿が浮かぶ。セアルとロッカはうまく回避したが、クレメンタスはまともに火炎を受けた。
「クレメンタス!」セアルが叫ぶ。
火炎がおさまると、クレメンタスの姿があった。身体を小さくまるめて、祝福の盾の陰に隠れたおかげで、丸焼けは免れたようだ。
それでも身体中の皮膚が焼け爛れ、火傷はズキズキと痛んだ。
──ふたりもこれくらい痛かったのだろうか。いや、ふたりの苦痛はこんなものじゃなかったはずだ。可哀想に——ファル——可哀想に——フェン——あああぁぁぁぁ——
感情が溢れて、そして、零れた。クレメンタスは泣いた。大粒の涙をながして。
「ああああああ」
白銀の光がクレメンタスをつつみこむ。たとえクレメンタスが神の不要を宣言しようと、エル神は彼に加護をあたえるのだ。
クレメンタスは〈聖なる鎧〉を纏った。
フェンたちの遺体を粉砕したあの攻撃がくる。
硬い尻尾がクレメンタスを薙ぎ払おうとせまる。しかし、前回のような結果にはならない。祝福を受けた木盾と、〈聖なる鎧〉の強靭さによって、クレメンタスはびくともしない。
一転してクレメンタスが反撃する。
この戦いではじめてメイスを振るう。その一撃が、ウリエルの尻尾にめりこみ、肉を潰して、骨を断ち切った。血飛沫をあげて尻尾が千切れた。
なんという怪力!
「キャアアアア」
ウリエルの悲鳴が轟く。
クレメンタスたちは一気に反転攻勢に出た。セアルの鉄槌が、ロッカの鉈が、クレメンタスのメイスが、ウリエルの肉を抉り、内臓を潰した。
ウリエルは、精神支配しているワイバーンたちを招集した。三十匹のワイバーンが壁となってクレメンタスたちのまえに立ちはだかった。さすがに三十匹のワイバーンを三人で相手するのは無理があった。
ここまでか──そう、セアルが覚悟を決めたとき、閃光がワイバーンたちを貫いた。
「遅くなりました」
ヴェネフィカがはなった魔術の閃光だ。
「小者はわたくしにお任せあれ。本丸はお願いします」
クレメンタスは、ウリエルに盾を押しつけ、メイスで頭蓋を叩き割ろうと振り上げた。ウリエルはたまらず、翼を大きく広げると、飛翔して空に逃げようとした。
「逃がすかよ」
クレメンタスは、盾とメイスを投げ捨て、飛翔しようとしているウリエルにしがみついた。ウリエルはかまわず飛び立つ。
ウリエルはどんどんと上昇していく。
世界の果てまで見わたせるほどの上空へ到達したところで、ウリエルは上昇することをやめた。そして、しがみついているクレメンタスを剥がして、地上へと突き落とそうとした。
「キャアアァァァァ」
しかし悲鳴を上げたのはウリエルのほうだった。クレメンタスがウリエルの脇に噛みついたのだ。肉片を噛み千切ると吐き捨て、また噛みついた。
「ギャアアアァァァ」
ウリエルは痛みに悶えた。クレメンタスは、顔面を返り血で染めながら、肉を噛み千切りつづけた。そこに、ロッカが顔を出す。クレメンタスは驚いて、目を見開いた。
「ロッカ少年! こんなところでなにをしてるのですか!」
ロッカは、ウリエルにしがみついて飛び立つクレメンタスを見て、心配してついてきたのだった。
「あぶないですよ、ロッカ少——」
クレメンタスの意識がわずかに外れたことをウリエルは見逃さなかった。そのわずかな気の緩み、油断を。
ウリエルは身体をよじり、クレメンタスを振り落とすことに成功した。中空に放り出されたクレメンタスは、引力に引っ張られて自由落下するしかなかった。
——手をのばすロッカ少年が見える。
彼は私を心配して、こんな空のうえまで来てくれたんですね。そして、いま、私を救おうと手をのばしてくれている。なんと心優しき少年なのでしょう。せめて、この子だけでも救っ——
そうクレメンタスが祈りを捧げようとしたときだ。
光芒一閃。ロッカの身体から頭部が失われた。
「!」
ウリエルだ。ウリエルが鋭利な爪でロッカの首を刎ねたのだ。
「ぐわああああ」
クレメンタスの叫び声がむなしく響く。怒りと後悔と哀しみと絶望がゴチャ混ぜになった感情がクレメンタスを襲う。
クレメンタスと首のないロッカの身体が落ちていく。クレメンタスはロッカの首をさがした。キョロキョロとまわりを見る。あった! すこし先の空間に自由落下しているロッカの頭部が見えた。手をのばすがまるで届かない。そして——ん? 目が合った?
首だけになったロッカがこちらを見て笑っている。瞼をパチパチとまばたきさせている。
——首だけで生きている?
さすがに背筋に悪寒が走った。
横を落下している首無しロッカの肩甲骨あたりから二本の腕が飛び出した。背中の腕は指が異様に長くのびると、指と指のあいだに膜がつくられ、気づけば蝙蝠のものに似た巨大な一対の翼が生えていた。
首無しロッカは翼を羽ばたかせると、クレメンタスをつかまえて抱きかかえ、飛翔して方向転換して、自分の首を回収した。回収した頭部を首のあった部分に押しつけると、何事もなかったようにくっついた。
もうわけがわからない——クレメンタスは理解することを諦めた。
ロッカは、クレメンタスを抱えたまま旋回すると、ウリエルにむかって突撃していった。
「空中でやり合うつもりか、ロッカ少——」
横にいたのは、ロッカとは似ても似つかぬ、筋骨隆々のいかつい生き物だった。
いつ入れ替わった? いや、これはロッカ少年なのか? 変身したのか?
口もとの部分が突き出て獣のような顔つきに変化し、側頭部にあった小さな突起物はいまでは立派な角になり、身体もふた回りほど大きくなって、とくに手が巨大になり、指の先が鉤爪のようになっていた。
——これでは、まるで悪魔ではないか──
遥か上空で相対したロッカとウリエルは、ともに火炎をつぎの攻撃手段に選んだ。
神から授かったウリエルの超々高温度の火炎と、ふたりの魔女たちから授かったロッカの黒炎——火力勝負だ。
× × ×
地上でふたりを案じていたセアルとヴェネフィカは、空からなにかが落下してくるのをみつけた。ほうき星のように光の尾をのばしながら落ちてくる。
凄まじい衝撃音とともに落ちてきたのは、ウリエルの丸焦げになった死体だった。




