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悪夢の王 KING OF NIGHTMARE   作者: 葛飾ゴラス
第二章 上層世界
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16 神は癒やし給う

 それが幻影なのか実在するものなのか、〈教会〉の人間であるクレメンタスでさえはっきりと認識できなかった。

 それは、〝天使〟と呼ぶにはあまりにもグロテスクで醜悪すぎた。それは、半透明で、わずかに白く輝いており、まるで空にうかぶ海月(くらげ)のようだ。

 空いっぱいにひろがる白い翼は、海中の藻のようにゆらゆらと揺らめいていた。

 両腕を胸のまえで組み、自分を抱きしめるように手を背中にまわしているが、まるで拘束衣に縛られているように見える。

 まぶたが閉じたまま上下の皮膚が癒着しており、薄皮の下で眼球がゴロゴロと動いていた。

 一番目をひいたのが、顔の下半分がないことだった。下顎がなく、口内が剥き出しで、ながい舌だけがだらしなく垂れ下がっていた。

 下半身には、小さな白い脚が無数に生えており、それがグニョグニョと蠢いて、それこそ海月の触手を思い起こさせる。

 クレメンタスは不審に思った。

(使徒は、唯一絶対神〈エル〉の眷属であり、〝天の使い〟だ。その使徒がこれほど醜いはずがない。なんと気色のわるい生き物だろうか。これは……そう、悪魔だ! 悪魔の仕業だ! 悪魔が天使の名を騙(かた)り、悪事をはたらこうとしているにちがいない。ならば、私が悪を挫かねばならない。私が正義の鉄槌を──しかしいまのままでは盾の陰に隠れているだけだ。なんとかしなければ。〈奇跡〉を──なにかしらの〈奇跡〉さえあれば)

 クレメンタスは、ロザリオを手に巻き、跪いて祈りを捧げた。


 不思議なことに、このときばかりは屍鬼たちもおとなしく使徒を見上げていた。ベリコサスも、だ。

 おかげでロッカもセアルも、ベリコサスの追撃で死なずに済んだ。気絶していたロッカは意識を取り戻し、吹っ飛ばされたセアルも瓦礫のなかから這い出てきた。

「おおい、ロッカ。あれはなんだ?」とセアルが上空を指す。ロッカも空を見上げて驚いた。なんだ、あの怪物は……

「セアルさん! ロッカ少年! こっちこっち!」

 家屋の陰からヴェネフィカとホムリナが手を振っていた。


   ×   ×   ×


 ラファエルは地上を睥睨した──さて、ここに対象となる生命体がいるだろうか──地上を這いまわる下等生物どもを一匹一匹、品さだめでもするかのように見渡していく。

 ラファエルの視線が、ロッカのところで止まった。ロッカを凝視して精査する──間違いない。あ(﹅)い(﹅)つ(﹅)だ──なんという僥倖。これであ(﹅)の(﹅)方(﹅)に褒めていただける。もしかすれば、次のステージに上げていただけるやもしれん。フフフ、私はツイているな──しかしこのままでは物理的干渉ができない。受肉しなければ──ここにいる生物で、もっとも身体が大きく、力の強い個体はどれだ──ふむ、あれか。ならば行こうぞ!


   ×   ×   ×


 それまで、ただしずかに空中を浮遊していたラファエルが、豹変した。鼓膜を劈(つんざ)くような高音域の雄叫びをあげた。木々も、草花も、木造家屋も、着ている服も、産毛にいたるまで、その雄叫びにビリビリと震えた。

 ラファエルは身体をひるがえし、地上めがけて降下をはじめた。ベリコサスをはじめとする屍鬼たちは、神を崇めるかのように、ラファエルを見上げつづけた。

 ラファエルが屍鬼たちのうえに舞い降りる。ベリコサスの口許にラファエルのだらしなく垂れた舌先が触れると、そのままベリコサスの身体のなかへと侵入していった。

 ベリコサスは苦悶の叫び声を上げた。

 ラファエルは、ベリコサスの身体を乗っとり、受肉に成功──いまだに恍惚としつづけている屍鬼たちを、アメーバが周囲の原生微生物を捕食するときのように、ラファエルは周囲の屍鬼たちをすべて吸収した。さらに、騎乗していた馬とも同化し、不出来なケンタウロスのような、生物として不条理の極みのような、怪物が誕生した。

 セアルは呆然としていた。

「おい、なんか合体したぞ。合体してヤバそうなのになったぞ。おい、どうするよ」

 ヴェネフィカは、目は見えずとも、ただならぬ気配を感じていた。

「逃げましょう」

「賛成だ。ロッカ、走れ!」

 とセアルが叫んだときには、ラファエルはもう眼前にいた。

 ──速い!

 ラファエルは、目の前のセアルではなく、その奥にいたロッカをねらって大剣を振り下ろした。だが、斬撃は空を斬った。ロッカが俊敏に回避したのだ。

 その後隙を見逃さず、セアルが鉄槌を叩きこんだ。

「なッ」

 鉄槌は見えない壁にぶつかって、ラファエル本体までとどかなかった。ラファエルが大剣を横に薙ぎ払う。セアルはそれを鉄槌の柄で受けたが、やはり、また吹っ飛ばされることになった。

 ロッカが背後をとって呪術を放つが、こちらも見えない壁にさえぎられて炎がとどかない。

 ヴェネフィカは、魔術学院由来の〈流星の矢〉を放つ。だが、青白い光線がカーブ状に曲がり、ラファエルを避けた。

 ──空間を歪ませている? だとしたらあらゆる攻撃が通じない。が──

 ラファエルの大剣がヴェネフィカを襲う。しかしヴェネフィカも〈魔術の防壁〉でそれを防いだ。

 ラファエルは深追いせず、攻撃の標的をロッカにもどした。なぜかわからないが、ラファエルはロッカだけを執拗に狙いつづけている。

「ロッカ少年、あなたが狙われています。回避に徹してください」

 ヴェネフィカの指示通り、ロッカはラファエルの斬り上げを避けた。と同時に、ヴェネフィカの〈流星の矢〉がラファエルの腹部をつらぬいた。

「やはり」

 ヴェネフィカは検証したのだ。いかなる攻撃も通さない防壁だとしたら、ラファエル自身の攻撃も相手に当てることができなくなるはずだ。しかしそうはならず、ラファエルの攻撃は有効だった。特別な条件付けで自分の攻撃だけ有効にしている可能性もあるが、それはあまりに高度すぎて、割に合わない気がした。となると、自分の攻撃時には防(﹅)壁(﹅)を(﹅)切(﹅)っ(﹅)て(﹅)い(﹅)る(﹅)のでは、とヴェネフィカは仮定した。そしてそれが正解だった。さきほどの、ラファエルがロッカに攻撃をしかけたときだけ、〈流星の矢〉がラファエルを傷つけたのがその証拠だ。

 しかしその傷もすでに修復されていた。なんという治癒力だろうか。

「見えない防壁を自分の周囲に展開しています!」ヴェネフィカは仲間たちへ情報の共有をするため大声を出した。「あらゆる攻撃が無効になります。しかし、自分の攻撃のときは防壁を切っています。攻撃時が弱点です」

 ヴェネフィカはそう言いながらも、それを弱点といえるだろうか、と自問した。なぜならそれは〝肉を斬らせて骨を断つ〟戦法であり、肉を斬らせた時点でこちらが絶命する可能性だってあるのだ。

 はじめて傷つけられたラファエルは、憤怒の表情で口から赤黒い煙霧を噴出する。その煙霧を顔面にまともにうけたヴェネフィカは、すぐに身体に異常を覚えた。

 これは毒? ──いや、これが腐敗。

 セアルが、ヴェネフィカの盾になる。

「大丈夫か! ヴェネフィカ!」

「……セアルさん、クレメンタスさん……すこし時間を稼いでください……ロッカ少年、わたくしのところへ」

 ロッカはヴェネフィカを抱きかかえるとラファエルから距離をとった。セアルとクレメンタスは、ラファエルのまえに立ちはだかって、ふたりのもとへ行かせないようにした。


 セアルには、この怪物に勝てるビジョンが見えていなかった。

 ベリコサスのときでさえ脅威だったのに、合体してから馬の機動力も大剣の攻撃力も増して、段違いに強くなっていた。

 ──あのふたりにかけるしかない。

 セアルは、持久戦にもちこむ算段だった。

 一方、クレメンタスといえば、ラファエルに挑んでは弾き飛ばされる、を幾度もくりかえしていた。

「クレメンタス、そんなにぶっ飛ばされて身体は大丈夫なのか」

 クレメンタスは、よろよろと立ち上がると、

「心配いりません。この盾は祝福をうけています。どんな攻撃でも盾でうけるぶんには死ぬことはありません。それに神に祈りを捧げました。きっとご加護があるはずです」

「……まあ、よくわかんないけど、死ぬなよ」


「これから闇魔術というものをつかいます」ヴェネフィカは苦しそうに顔を歪めながら言った。「これは古代の秘術なんですが──て、余計な説明はいまは不要ですね。ロッカ少年、火を出してください」

 ロッカは掌(てのひら)のうえに呪術の火を呼びだした。

 ヴェネフィカが太古の呪文を唱えると闇が生じ、それをロッカの呪術の火に注入した。

「闇魔術は系統的に呪術にちかいので、こういう芸当が可能なのです」

 呪術の赤い火が次第に黒色を帯びてきて、ついには漆黒の炎となった。

「〝黒炎〟といいます。いわば、地獄の業火です。神聖な者たちに特効があります。この黒炎をあの天使に叩きこんでください。タイミングは、わかっていますね」

 ロッカは頷く。そして、ヴェネフィカを家屋の外壁にもたれさせると、

「い、いっでぎまどぅ」

 と告げた。

「……はい、いってらっしゃいませ」

 ロッカを見送ったあと、ヴェネフィカはすこし気を失った。


 ロッカも参戦し、三対一になっても、ラファエルの強さは圧倒的だった。ラファエルの〝ロッカ狙い〟は変わらず、ロッカに反撃の隙をあたえないため、いまだに黒炎を撃つことができていない。

 セアルは局面を打開するためには無理が必要だと悟っていた。だから、ラファエルの大剣がロッカを襲おうとしたとき、セアルは両者のあいだに強引にはいりこんだ。斬り下げられた大剣と、振り上げた鉄槌が激しくぶつかる。

 突破口がひらいた──

 ラファエルの攻撃したタイミングが、防壁が解かれ無防備になるタイミングだ。ロッカは、闇を纏(まと)った呪術の炎──黒炎をラファエルの身体に直接叩きこんだ。

「キャアアァァ!」

 ラファエルの悲鳴が空気を振動させる。

 黒い炎がラファエルの身体を爛(ただ)れさせた。

 ロッカは理解していなかったが、黒炎は〈霊性〉を燃やし尽くすまで消えない。つまり、肉体が消し炭になるとともに、霊魂は〝無〟に帰すのだ。

 ラファエルも、このままなす術なく負けるわけにはいかなかった。霊力のすべてを肉体と霊体の回復にまわした。驚異的な再生能力で、焼け爛れた身体が元にもどっていった。

 やっと切り拓いた突破口が塞がろうとしている。

「この状況は想定済みです」

 ガルドール魔術学院の魔術は、〈星と月の魔術〉である。神や精霊に依存することなく、術者みずからの理力と魔力のみで宇宙構造を操作し、抽象概念を具現化する。人類の叡智の結晶といっていい。その学院でヴェネフィカは、首席の成績をおさめるほどの有能な魔術師だった。すべてが彼女の想定のなかにあった。

 ヴェネフィカが気を失ったのは、腐敗の解毒に努めるためだった。黒炎だけでラファエルを倒せないことも想定していた。ヴェネフィカの本当の狙いは、ラファエルの霊力のリソースを回復に全振りさせて、防壁を解かせることだった。

 熱応力──という現象がある。高温の物体を急激に冷やすと、熱膨張と熱収縮がせめぎあって、内部破壊を起こす物理現象だ。

 そして、〈星と月の魔術〉の真髄は、冷気であった。

 ヴェネフィカの狙いはまさにこれだった。黒炎で高温になったラファエルに再度〈流星の矢〉を打ちこんだ。ラファエルの身体は熱応力によって起きた内部破壊により爆発──粉々に砕け散った。

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