10 出立
翌朝、ヴェネフィカとセアルは荷物をまとめ、旅の支度をしていた。チャルゥの家での三ヶ月ほどの滞在も今日で終わりをむかえる。
台所のすみっこにあるかまどの段差に──セアルたちがはじめてこの家に来たときと同じ姿勢で──腰かけて、二人のようすをながめているロッカは、どこかさみしげに見えた。
ヴェネフィカはマントを羽織ると、
「セアルさん、準備はよろしいですか」
と訊いた。
「ああ、こっちはとっくに準備万端だよ」
セアルが普段とちがうのはマントを着ているくらいで、荷物はひとつもなく手ぶらのままだった。
「では、クレメンタスさんを呼んできます」
「いいよ。アタシが呼んでくるから」
セアルは廊下に出ると奥の部屋にむかった。扉をノックする。扉が開き、クレメンタスが出てきた。クレメンタスは〈教会〉の法衣のうえにフード付きのクロークをまとい、背中に木盾と麻袋を担いでいた。クロークの下、腰のあたりに、メイスがぶら下がっているのがちらちらと見える。
「そろそろ行くよ」とセアル。
「……支度はできています」
クレメンタスは不信と不服が入りまじった顔をしていた。
──昨夜の尋問のあと。
チャルゥとヴェネフィカは食卓をはさんで、クレメンタスが自白した内容を吟味した。
クレメンタスはいま、隣室で椅子にすわったまま、ヴェネフィカの精神魔術によってふたたび失神させられている。
ヴェネフィカが言った。
「チャルゥ様、彼の話をどう思われましたか」
「〝大悪魔〟か……自分たちの信仰心や布教活動を正当化するための方便だともかんがえられるが、すこし気になるのう」
「わたくしもおなじです。われわれは〈教会〉について知らないことが多すぎます。〈教会〉の教義や起源、〈奇跡〉の理論や体系、そして彼らの〝神〟について──なにも知りません。だからわたくしは旅に出ようと思います」
「旅? なぜ?」
「〈教会〉の実態を調査するための旅です。クレメンタスさんが言っていた〝予言書〟のことも気になりますし」
「なるほど。で、どこへ行くつもりだい」
「まずは王都バアルに行こうと思います。王都は現在、〈教会〉の本拠地になっています。おそらく予言書の情報も得られるでしょう。なのでクレメンタスさんに同行していただこうと考えています」
「なッ!」チャルゥは驚きをかくせない。「クレメンタスとともに旅をするというのか」
「はい。〈教会〉と接触するときにクレメンタスさんがいたほうがなにかと融通がきくと思うのです。それに、いざというときには人質としてもつかえるかなと」
「それはクレメンタスが協力的ならばそうだろう。だが彼奴は協力せんぞ。逆に、お前さんを捕まえて牢屋にぶちこむだろう。それに、儂や〈森の民〉のことを上に報告するかもしれん。それは困る」
チャルゥの懸念は当然のことだった。しかしヴェネフィカは涼しい顔をして、
「チャルゥ様、それらのご心配はご無用ですわ」
と言うと、席を立ち、クレメンタスがいる隣室へと入っていった。
しばらくすると隣室からうめき声がもれてきた。
「うう……ぐ……ぐ」
声の主はクレメンタスだった。そして、うめき声はやがて絶叫に変わった。
「う……う……ぅうがああああああ」
叫び声が何度か起きたあと、いきなり沈黙がおとずれ、ヴェネフィカはなにごともなかったように食卓にもどってきた。
「〝秘匿〟と〝従属〟の精神操作を施しました。クレメンタスさんは、わたくしたちの素性や〈森の民〉について他言できなくなり(秘匿)、わたくしに危害を加えたり逃亡できないようになりました(従属)。むろん施術されたことには無自覚です。見破られたり術を解かれる可能性はないでしょう」
チャルゥとロッカは、出立の支度をととのえたヴェネフィカ、セアル、クレメンタスの三人を見送るために庭先に立っていた。
「それではチャルゥ様、いってまいります」とヴェネフィカ。
「無事息災で旅を終えられるよう祈っておる」チャルゥが言葉を送った。
「感謝いたします。いってまいります」
三人の背中は、永遠の森の木々にまぎれて、すぐに見えなくなった。
チャルゥの横でロッカがそわそわしはじめた。
「なんだい、ロッカ。小便か」
ロッカは首を振った。そしてヴェネフィカたちが消えた方向をちらちらとくりかえし見た。チャルゥは、フフっ、と笑った。
「そうかい。いっしょに行きたいんだね。いいさ、行ってきな。ほら、支度して。はやくしないと行っちまうよ」
それをきいたロッカは駆け足で家にはいると、短刀と鉈だけをもって庭先にもどってきた。
「荷物はそれだけかい?」
「う、う、うん」とロッカ。
チャルゥはロッカの両肩に手をおくと、
「約束しとくれ。かならず帰ってくるんだよ」
「あ、あ、あいッ」
それをきいたチャルゥはロッカの背中を叩いて送り出した。
ロッカは颯爽と走っていった。木々にその姿がかくれようとした寸前、ロッカは立ち止まり、こちらをふりかえった。そして、チャルゥにむかって両手を大きく振った。
チャルゥもそれにこたえて、ロッカにむかって手を振った。何度も、何度も、くりかえし手を──




