裁き
「やっぱり、あなたが盗んだのね!」
ヴィオラ様の甲高い声が、廊下に響き渡った。
「ち、違います! 私は何も……!」
「では、なぜあなたの部屋から出てきたの? 首飾りに足でも生えて、勝手に歩いていったとでも言うつもり?」
侍女たちが、くすくすと笑う。集まった使用人たちは、誰も口を開かない。困惑と疑いが入り混じった視線が、私の肌を刺した。
(どうして。昨夜は一度も、ヴィオラ様のお部屋には入っていないのに)
頭が真っ白で、言葉が出てこない。
「王家から賜った家宝を盗むなんて、重罪よ」
ヴィオラ様は首飾りを胸に抱き、勝ち誇ったように私を見下ろした。
「この娘は、ラグナ公爵家が引き取って裁きます。今すぐ王都へ連れて行きなさい」
護衛たちが、私の両腕を掴もうと歩み寄る。
「お待ちください!」
ロッタさんが前に飛び出した。
「この子は……そんなことをする子ではありません!」
「侍女長ごときが、公爵家に口出しする気?」
冷たく言い放たれて、ロッタさんの耳がぴくりと震えた。
護衛の手が、私の腕に触れる。
(ああ、これで終わりなんだ)
昨夜、出ていくと決めたばかりだった。こんな形になるとは思わなかったけれど、結局、私はこの屋敷を去ることになる。
そのときだった。
「——その手を離せ」
低く、静かな声が、廊下の空気を凍りつかせた。
振り返ると、廊下の先に、ゼルキウス様が立っていた。
黒い外套には、まだ泥と夜露が残っている。討伐から、夜通し馬を走らせて戻ってきたのだとわかった。
金色の瞳は、私の腕を掴む護衛の手を、ただじっと見つめていた。
「聞こえなかったか」
護衛は弾かれたように手を離し、後ずさった。
「ゼルキウス様! ちょうどよかったわ」
ヴィオラ様が、ぱっと顔を輝かせて駆け寄る。
「この人間の侍女が、私の首飾りを盗んだのです。部屋から見つかりましたのよ。番だなんておっしゃっていましたけれど、所詮は卑しい人間だったということですわ」
ゼルキウス様は答えなかった。
黙ってヴィオラ様の手から首飾りを取り上げると、それを顔に近づける。
長い沈黙が落ちた。
「……ミレイの匂いは、一つもついていない」
淡々とした声だった。
「ついているのは、ヴィオラ嬢の匂いと——」
金色の瞳が、ヴィオラ様の後ろに控えた侍女のひとりに向けられる。
「そこの侍女の匂いだけだ。それも、ミレイの部屋の鏡台にも、同じ匂いが残っていた」
名指しされた猫獣人の侍女が、真っ青になってがたがたと震え出した。
「ち、違います、私は……っ」
「獣人の鼻を、甘く見ないことだ」
その一言で、侍女は膝から崩れ落ちた。
「お、お許しください! お嬢様のご命令だったのです! 人間の部屋に首飾りを隠しておけと……!」
「黙りなさい!」
ヴィオラ様が叫んだ。けれど、もう遅かった。廊下に集まった使用人たち全員が、その告白を聞いていた。
「……ヴィオラ嬢」
ゼルキウス様の声は、どこまでも静かだった。
「茶を床に払い落とした。人間の手は不快だと突き飛ばした。廊下で、寿命の話をして笑った。晩餐会で、尾を使って足を払った」
ひとつ、ひとつ。淡々と並べられていく言葉に、私は息を呑んだ。
(全部知ってたんだ……)
「ロッタとガルドから、すべて聞いている」
ゼルキウス様の視線が、一瞬だけ私に向けられた。
「ミレイが自分から言うまで、待つつもりだった。この娘は、守られることを望まないから」
そして、その瞳が再びヴィオラ様に戻ったとき、そこには見たこともないほど冷たい光が宿っていた。
「だが、濡れ衣を着せ、俺の番を連れ去ろうとしたことは、許さない」
怒鳴り声ではなかった。声を荒げることもなかった。
それなのに、廊下にいる誰もが、呼吸さえ忘れたように凍りついていた。
「番を陥れ、引き渡させようとした者は、獣人の法で重く裁かれる。公爵令嬢であっても例外はない。ラグナ公爵と王家には、すでに早馬を出した」
「そ、そんな……っ」
ヴィオラ様の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「本日中に、当家から出ていってもらう」
ヴィオラ様が屋敷を去ったのは、その日の昼過ぎだった。
馬車に押し込まれる直前、ヴィオラ様は振り返って、私を睨みつけた。
「人間なんかに……っ! 人間なんかに、どうして……!」
ゼルキウス様は、最後まで一言も返さなかった。
ただ黙って、ヴィオラ様が視界から消えるまで、私の前に立っていた。
十日後、ラグナ公爵家から一通の書状が届いた。
ヴィオラ様は公爵家から勘当され、爵位も家名も失って、遠い南の町で平民として暮らすことになったという。
その夜、私は中庭へ下りた。
月明かりの下に、やはりゼルキウス様が立っていた。今夜は、私が来るのを待っていたように、静かにこちらを振り向いた。
「……旦那様。ありがとうございました」
深く頭を下げる。けれど、顔を上げることができなかった。
「でも、私……やっぱり、ヴィオラ様のおっしゃったことは、間違っていなかったと思います」
声が震えた。
「私は人間です。耳も尾もありません。旦那様の匂いもわかりません。身分もありません。旦那様より、ずっと早く老いていきます」
ひとつずつ数えるたびに、胸が締めつけられる。
「私には、何もないんです。旦那様の隣に立てるものなんて、何ひとつ」
沈黙が落ちた。
やがて、ゆっくりと足音が近づいてきて、私の一歩手前で止まった。
「耳も尾も、いらない」
低い声が、すぐ近くで落ちた。
「匂いも、身分もいらない。……俺が欲しいのは、お前だ」
思わず、顔を上げた。
金色の瞳が、月明かりの中でまっすぐに私を見つめていた。氷のようだったその瞳が、今は静かに熱を帯びている。
「お前が先に老いていくのなら、その一日一日を、隣で見ていたい。皺が増えるたびに、それを数えていたい」
喉の奥が、熱くなった。
「……だが」
ゼルキウス様は、伸ばしかけた手を、そっと下ろした。
「選ぶのは、お前だ」
その言葉が、胸の奥深くに落ちていった。
(選ぶのは……私)
ダルクは、母に一度も選ばせなかった。
けれどこの人は、こんなにも私を求めながら、それでも私に選べと言う。
ずっと固く閉ざしていた心の扉が、かすかに軋んだ気がした。
——その三日後。
屋敷の門の前に、一台の大きな馬車が停まった。
黒塗りの車体に刻まれていたのは、見覚えのある紋章。
牙を剥いた、虎の紋章だった。




