13
「何をしようか!」
「お前は落ち着け。」
「咲桜の家に来たの初めてだし、テンション上がっちゃって。」
春影の母に挨拶をした後、若夏が早速というように声を上げた。いつも明るい性分ではあるが、春影の家に招かれた事がよっぽど嬉しいのだろう、顔を綻ばせ、そわそわしている。
「一旦座りましょうか。」
「そうだね!」
冬希たちが順に机を囲み、若夏が最後に腰を下ろそうとした時。
「あっ!」
足が机にぶつかってしまったのか大きく揺れ、机上に置かれたコップがかやれて中身が溢れてしまった。お茶は机に留まらず、下にひいてあった敷き物や制服を濡らしていく。
「ごめん!当たっちゃった!」
「大変!これ使ってください。」
春影から布巾を受け取り、若夏にも一枚渡す。そのまま机を拭いていると、若夏が制服の裾を掴みながら立ち上がった。
「本当にごめんだけど、洗面所借りてもいい?」
「はい。廊下に出て右側の二つ目の扉です。」
「ありがとう!」
扉の向こうでパタパタと歩いていく音が聞こえた。若夏を見送りながら、三人で辺りの片付けを続ける。
「敷き物に染みてるな。流石に拭ききれない。」
「どこですか?ああ、それくらいなら全然問題ありません。洗濯したら綺麗に落ちますから。」
「それなら良かった。そういえば、体育祭もうすぐだね。」
手を動かしながら、他愛もない会話を繰り広げる。
「二人三脚どう?」
「今のところは何とか。若夏が合わせてくれてるからな。」
「そういえば、練習始めたての頃転んでましたね…」
「思い出させないでくれ。」
「そろそろ学校には慣れましたか?」
「流石に教室の場所は覚えられたかな。クラスメイトも何とか。」
「凄いな月冴。俺はまだ怪しい人何人かいるぞ。」
「末枯…」
「春影さんは普段料理するの?いつもお弁当美味しそうだなって思ってたんだ。」
「はい。父は仕事で帰りが遅いので大抵私が作っています。」
「凄いね。僕も最近やるようになったけど慣れるまでは手こずりそうだよ。」
暫く会話に花を咲かせていると、ちらっと扉に目を向けた末枯が呟いた。
「遅いな。」
「何かあったんでしょうか。」
「じゃあ僕が見てきてもいいかな。丁度手を洗いたかったんだ。」
冬希はこの時期は長袖のシャツを着ている。雨が降っていると肌寒く感じる時があり体温調節をしやすくするためであるが、先ほど裾に付いた汚れが目に入った。おそらく溢れたお茶に浸ってしまったのだろう。手を洗う時に一緒に流せればと思い腰を上げた。
(ん?おかしい。)
廊下に出ると、洗面所だと思われるドアが開いており、水が流れる音が聞こえてきた。若夏が先に向かっているため、それ自体おかしい事ではない。しかし、ドアの向こうは真っ暗。つまり、電気がついていないのだ。
不思議に思いながら洗面所を覗くと、若夏がいた。
「若夏さん、どうして電気…若夏さん?」
蛇口に手をかけた姿勢のまま、目を見開いて固まっていた。冬希の呼びかけに反応は無く、冬希が隣に立っていることさえも分かっていない様子だ。
どうするか迷い、電気をつけて開けっ放しになっている蛇口を閉めようと手を伸ばした。ふと若夏の手に触れた瞬間、冬希の手ががしっと掴まれた。
「…っ!あ、月冴君…」
息が上がり、強く掴まれた手はブルブルと震えている。瞳はこちらを見ているようでどこか遠くを見ていた。
「どうしたの。」
「はぁ、はぁ…あ、あの、私っ…」
尋常ではない様子に眉を顰めながら尋ねるが呼吸が乱れ、無理に答えようとしているのか声は掠れ、うまく言葉を紡げないようだ。
蛇口を捻り水を止めた後、若夏の背中をトントンと何度か叩き、落ち着けるよう試みる。大きく息を吐いて、吸って、また大きく息を吐いて、を繰り返す内に手の震えが収まってきた。
「落ち着いた?」
冬希の問いかけに頷きで答えた。若夏からの言葉を待ち沈黙が訪れる。
「ありがと。お陰で楽になった。」
「良かった。ところで何があった?戻ってくるのが遅かったから様子を見にきたんだ。」
「そ、そう。電気つける場所が分からなくて、制服も上手く洗えなくて…く、暗かったからかな?そしたら水が勢いよく出過ぎちゃって」
「分かった。分かったから無理に喋らなくて良いよ。」
何かを誤魔化すように捲し立て始めたため、再び落ち着かせる。話したくない事情があるのだろう。それ以上は何も聞かず、リビングに戻ることにした。
「お。やっと戻ってきた。」
「ごめん。中々汚れが落ちなくて。」
「そうでしたか。洗剤の場所分かりましたか?」
先ほどとは打って変わって、普通に会話を交わしている。とは言っても、普通を装っていることは薄々二人も気づいたのだろう。自然な流れでお開きになった。
「若夏さんの様子が変でしたが大丈夫でしょうか。」
「うーん、そうであってほしいけど。それはそうと春影さん。」
「はい?」
玄関で見送りに出てくれた春影を振り返り、家にお邪魔してからずっと気になっていたことを問いかける。
「春影さんは大丈夫?」
「え?」
質問の意図を上手く汲み取れなかったのか首を傾げる。
「しんどくない?」
「…」
押し黙った春影の姿に、自分の考えが的外れではないだろうと確信した。
玄関に上がった時、部屋に入った時。家の中はまるで春を写し出していた。春影は春が苦手だというのに。
「急に何を仰るのか。私は何ともありませんよ。私は大丈夫です。」
くしゃっと顔を歪め、自分に言い聞かせるように口の中で反芻する。その姿はとても不安定だ。
「家に一人で居るのがあまり好きではないんです。だから、今日は皆さんが来てくださって本当に嬉しかったです。」
「それなら、これからも訪ねていい?」
春影の言葉に勇気をもらい、希望を音に乗せてみる。冬希に出来ることは限られているけど、自分の力が及ぶ範囲での精一杯を尽くしたいと思うのは冬希の我が儘だ。
春影は驚いたように目を見張り、次いで頬を染めて微笑んだ。




