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「用事はお済みですか、月冴君。」
「っ…春影さん!」
聞こえるはずのない声に思わず振り返ると、春影が傘を片手に佇んでいた。先に行くよう伝えたはずなのに、どうしてここにいるのだろうか。色んな意味で心臓がバクバクしている。
「何で、何でまだ学校にいるの?」
「それはもちろん、月冴君を待つためです。私だけじゃなく…」
当たり前のように応じた後、そこで言葉を切ると首を傾げて微笑みながら体を横にスライドさせた。そこには、二人がお互いをしばき合っている見慣れた光景があった。
「お二人も一緒です。」
「…」
昇降口は、雨が降っている影響で六月といえど肌寒い。そんな場所で、いつ来るかもわからない冬希をわざわざ待っていたというのだ。
わざわざ待っててもらう必要なんて、自分には無いのに。雨の音が『あの時』と重なり、言葉を失い呆然としていると、冬希が来たことに気づいた若夏がおーい、と手を振りながら声を張った。
「私たちは何を言うでもなく、自然とみんなであなたを待っていたんですよ。」
「…」
「そうそう。だから感謝の言葉だけくれれば許してしんぜよう。」
こちらに歩いてきた若夏が、春影の肩に片手を乗せながら冗談混じりにそう告げた。同じく近くに寄ってきた末枯が腕を組み小さく息を吐いたところで、自分が固まっていた事を知った。
「あ、その…ごめん。みんなを待たせて。僕がもっと分かりやすく言ってたら」
「感謝の言葉で良いって言ったでしょ。」
「若夏の言う通りだ。それに待たされたんじゃなく、俺たちが勝手に待っただけだから。」
二人の顔を見つめながら、なお申し訳なさを感じている冬希に春影が口角を上げながら手を差し伸べた。
「行きましょう、月冴君。みんなで帰る方が楽しいですよ。」
「でも…」
「何か心配事でも?」
「か、傘を、忘れて…」
冬希の言葉を受けた春影は、まるでその事が分かっていたように手を動かし傘をかざした。
「ここにあります。」
「え、でもそれは春影さんの…」
「月冴に貸すって事だよ。大体お前は俺らが傘も貸さないような薄情ものだって思ってたのか。水臭いぞ。」
末枯が眉をひそめ、不審な瞳を覗かせた。そして心外だとでも言うように首を振り、冬希の前を遮りながら昇降口の外に向かう。その様子にやれやれと肩をすくめながら、冬希の肩を元気づけるように強く押し末枯の後を追った。
「月冴君。」
冬希の目の前に再度差し出された手に、ゆっくりと自分の手を重ねると優しく引っ張られた。
差し掛けられた傘に守られながら春影の隣に並び歩く。春影に包まれた手に視線を落とし、春影の手が暖かかったことを今更ながらに思った。
春影宅にて。
「お邪魔しまーす!」
若夏の元気な掛け声を先頭にみんなに続いて家に上がる。
玄関に一歩踏み入れて目に入ったのは「春」だった。桜色のラグに淡い黄緑のスリッパが並び、小物入れも花弁を形取っている。他にもキーホルダーや傘に至るまで春で溢れていた。
「綺麗なお部屋…」
若夏が思わずといった様子で口にした言葉に冬希と末枯は一様に頷いた。
ぐるりと見渡していると、ふと靴箱の上の写真立てが目に止まった。桜色の髪の少女と、その少女を後ろから抱きしめる女性が笑顔で写っている。おそらく幼少期の春影と、春影の母親だろうか。儚げな空気を纏っている。
写真に気を取られていると春影の言葉に意識を戻された。
「どうぞ上がってください。」
ラグの上に並べられたスリッパに足を通して廊下を進むと、突き当たりのドアが開かれリビングに通された。
「お好きなところにかけてください。飲み物を持ってきますね。」
お礼を伝えながらソファの横に荷物を纏めて置き、床に腰を下ろした。リビングも玄関と同じように全体的に淡い暖色の色合いで揃えられており、暖かい雰囲気を醸し出しているはずだ。
「何だか冷たくないか。」
「うん。僕も何となくそう思ってた。」
末枯の耳打ちに同意する。暖かいはずの部屋なのに、どこか冷たさを感じるには何故だろう。
「ねえねえ、ここは何の部屋?」
「ああ、そこは…母の部屋、でしょうか。」
リビングを興味津々に見回っていた若夏が、少し開いている襖を指差した。人数分の飲み物を乗せたお盆を机に下ろしていた春影は、若夏が示す部屋を確認すると眉を下げて言い淀んだ。
母の部屋?春影さんのお母さんって。
以前聞いたことを思い出し、冬希は不思議に思う。
「お母さんの?じゃあ見ない方がいいね。」
「いえ、気になさらなくて大丈夫です。使っているわけではないので。」
「ん?」
慌てて襖から一歩退いた若夏は、春影の返答に戸惑いを見せた。微笑みを浮かべながら続ける。
「もう亡くなっているので。そこには仏壇が置いてあるんです。」
内容に似つかわない随分あっけらかんとした声だった。しかし一斉に黙りこくった三人を気にしたのか更に言葉を重ねた。
「母が亡くなったのはかなり前の事なので、そんなに気にされなくて大丈夫です。」
「咲桜!」
若夏が春影の言葉が終わるのを待たずに抱きついた。急に慣れないことをされておろおろしているが、その表情はどこか嬉しそうだ。
冬希はほとんど閉まっている襖の奥を見つめながら口を開いた。
「手を合わせてもいい?」
「えっ…」
「私も!咲桜のお母さんに挨拶しなきゃ!」
末枯は何も口にはしないが腰を上げている。春影が頷くのを確認した後、一列に並んで座り手を合わせた。
冷たく感じていた部屋が少し暖かくなったような、そんな気がした。




