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「月冴君…ち、血が出ています…!」
春影が冬希の手を凝視し、顔色を悪くさせながら身を乗り出した。
冬希からすればただのかすり傷であるため、手を洗う時に気をつけないと沁みちゃうなくらいに軽く受け止めているが、春影からすると自分を庇ったせいで傷を負ってしまったと責任を感じているのかもしれない。
「大した事ない、ちょっと擦りむいただけだよ。」
「駄目です!早く傷口を洗わないと!」
すくっと立ち上がると、傷を負った方の手首を掴み足速に何処かへ向かい始めた。
春影の急な行動に、落ち着いてと声を掛けようとしたのだが、春影の表情が焦燥に駆られているような必死さを滲ませていたため躊躇ってしまう。手を引かれるままに着いていくと、向かう先であろう洗い場が見えてきた。
「痛いかもしれませんが、しっかり水で洗い流してください。」
「う、うん。分かった。」
蛇口を捻り、水に手を当てて汚れを落とす。手のひらにピリッと痛みが走るのに顔を顰めながら、おおよその汚れが落ちたと思ったところで水を止めた。
「これ、使ってください。」
そう言って差し出されたのは周りを白いレースがぐるっと囲った、若緑の可愛らしいハンカチだった。春影の厚意はありがたいが、こんなに綺麗なハンカチを汚してしまうのは勿体無い。
「ありがとう。だけど、汚れちゃうし大丈夫だよ。直ぐ乾くし。」
手をぱたぱたさせて水気を飛ばす仕草をして見せたが、春影も簡単には引き下がらなかった。
「このハンカチは、その…あ、あまり好みではない、色と、模様なので…」
(嘘だ…)
言葉を詰まらせ、明らかに方便と分かる言い方ではあるが、冬希を案じてくれているのだろう。少しばかり強引にハンカチを渡してきた。
そこまでしてくれるのであれば、断るのも偲びないと思い、恐る恐るハンカチを受け取り傷口を覆った。そこで、漸くずっと暗かった春影の表情も落ち着きを見せた。
(汚れが落ちてくれれば良いんだけど…)
ハンカチの先行きを案じていると、ふと新学期初日のことを思い出した。
「そういえば、あの時のじゃないんだね。あのハンカチも綺麗だった記憶がある。」
「え?あ、月冴君に拾っていただいた時のですね。あれは普段はあまり使わないんです。」
そこで一旦口を閉じると、ぐっと何かを堪えるように顔を歪ませる。そして、口角を無理に上げた笑顔とも呼べないつぎはぎの表情を貼り付けた。
「あのハンカチは、大切な物なんです。母が、使っていた物なので。」
春影の言葉に納得した。手に取った時に、使い込まれた、年季の入った物だと思っていたのだ。ただ、色といいワンポイントの刺繍といい、品の良さを感じていたため、記憶に強く残っていた。
しかし、やはり春影は何かを抱えていて、きっとハンカチはその「何か」の象徴なのだろう。冬希にとってのホイッスルと同じように。
「ごめん、変なことを聞いた。」
「私も一つ伺いたいことがあります。答え辛かったら無理にとは言いません。」
デリケートな部分に踏み込んでしまったと思い謝罪を口にしたところ、春影が被せるように申し出た。ワンクッション置きながらおずおずと切り出した。
「その、月冴君が首から下げているものは、何ですか?」
「えっ…」
心臓が脈を打つ。咄嗟に襟元に視線を落とす。外から見えないように気をつけていたはずなのに。
「見えてた?隠れてると思ってたんだけど。」
「いえ、普段は隠れていると思います。たまに月冴君が握っているのを何度か見かけたので。あと…」
それは、いつからか心配事や嫌な事が起きた時にするようになった冬希の癖だ。気持ちを落ち着かせるために握ることもあれば、無意識でやっていることもある。気づかれているとは思っていなかったため驚いた。
「先ほど庇ってくださった時に、当たってしまったので。」
春影が言いづらそうに口籠る。だから言い淀んでいたのか。庇われた時に気づいたとなると、後ろめたい気持ちを覚えているのかもしれない。
想定外ではあったものの、普段は制服にきちんと隠れていると分かったのは何よりだ。どう返答するか慎重に考えながら、胸元からホイッスルを取り出した。
「これはホイッスルだよ。小さい頃に姉に貰ったんだ。」
「ホイッスル…月冴君、お姉さんがいらっしゃるんですね。」
ホイッスルをしげしげと見つめながら尋ねてきた。
冬希には四歳年上の姉がいる。現在は今年卒業を控える大学生で、母と共に地元で暮らしており、そのまま地元で就職するらしい。控えめな母と違い、頻繁に連絡を寄越すため、姉なりに冬希を気遣っているのかもしれない。
そうこうしている内に遠くでチャイムが鳴るのが聞こえ、あっ、と顔を見合わせグラウンドに駆け出した。
そういえば、ホイッスルについて誰かに話したのは初めてだ。駆けながら春影を横目で見る。自分の傷を、お互いの傷を少しだけ分け合えた気がして、こそばゆい気持ちが冬希を通り抜けていった。




