神隠しの後で。
「……思い出したのかしら?」
部屋を覗いた九井和葉は、部屋の中で大の字に寝っ転がる吾郎に声をかけた。
「多分な。これで、今日の仕事は終わりだ」
「……肩の荷が降りた?」
ぼーっと天井を見上げながら答えた彼に、和葉は両手を組んで壁に背を預けて笑みと共に投げかけると、吾郎は身を起こして頭を掻いた。
「別に。いつもの仕事だよ。霊障課のな」
吾郎の務める部署は、少し特殊な部署だった。
霊にまつわるあらゆる問題を解決するという目的で設立された霊障課は、おそらく世間で認識されているような霊能者や陰陽師などといった職とは少し違う。
というか『霊』という存在に対する、世間の認識そのものが本質とは少し外れていた。
そもそも霊を祓うなどと言っている連中の多くは、紛い物である。
非実体で人を『祟る』ような霊はいないからだ。
まず、霊と呼ばれる者は実体を持ち、かつ基本的に自分が死んでいることに対する認識そのものがない。
そして明らかに、自分が不自然な状況にあってもそれを不自然と認識していないように振る舞う。
多くは記憶喪失という形を取り、稀に自分の死にまつわる記憶だけはどの霊も持っていない。
稀に世間に溶け込んでいる者もいて、そうした者が常人と同じように人を恨んだり困窮したりして犯罪を起こすこともある。
あるいはふとした拍子に現れて退去した部屋に留まり続け、現住人とのトラブルになることもある。
そうした事象が『霊障』であり、今回の十和子の件も、その一例だった。
「彼女は、自らの未練と死の記憶を思い出した。もう消えるさ」
霊は、自らの死の記憶を取り戻しただけでは消えないが、思い出したからといっていきなり凶暴になったりもしない。
だがこの世に自らを留まらせている理由を思い出し、その未練を昇華すればいなくなる。
その後どこに行くかは分からないが、それが霊という存在だった。
「……そうね」
吾郎の言葉に和葉はうなずき、さらに言葉を重ねる。
「で、カッコつけるのやめたら?」
「何が?」
「私の前でまで、とぼける気?」
『霊障』という言葉の『障る』という部分が表しているのは、霊自身の悪意ある行動ではなく、霊と世間との乖離による軋轢である。
「お母さんを施設送りにしたくなかったから、私にわざわざ会いに来たんでしょ?」
「……そういうことを聞くのは、野暮だと思わないか」
吾郎は和葉の問いかけに、嫌そうな顔をした。
霊の死の理由を突き止めて本人に伝えても、未練が払われるとは限らない。
例えば通り魔に刺し殺されて霊になった者が、通り魔が捕まることを望んでいてそれが果たされていない時。
彼らはそのまま彷徨い、この世に留まることになる。
そうした霊たちは施設送りになり、例えば児童養護施設や老人ホームのような一時預かり施設で過ごす。
時間は人によってまちまちだが、霊はやがて再び消える。
未練が果たされる、もしくは何らかの納得を得て消えれば二度と出現しないが、そうでないままに消えたら、また現れる。
ーーー子どもへの未練をもってこの世に留まった十和子が、虐待されていた吾郎の元へ現れて消えたように。
「ねぇ。……感謝してるって、ちゃんと伝えた?」
和葉と吾郎の出会いは、霊障課の仕事関係だったのである。
吾郎が現れて、霊障課の仕事と十和子の話をした時、最初は信じられなかった。
『私は君のお母さんに、命を救われました。今度はあの人を救ってあげたい。協力してくれませんか』
本来であれば部外秘である課の、その規則を破れば懲戒である。
彼は霊障課に救われ、その後勉強して部署に配属された後、自身の上司に何年も粘り強く交渉したらしい。
十和子が害のある地縛霊ではなく、滅多には現れないし、その事情を昇華すれば必ず消えると。
そうして、和葉に会いに来た。
「何も言わなかったよ。でも、あの人は俺の名前を覚えてた」
そう言う吾郎の声は少し震えていて、目が赤くなっていた。
「君こそ、伝えたのか? 自分が娘だって」
「いいえ。でも、多分伝わったわよね」
父と吾郎の話をした時の、十和子の食い入るような眼差し。
自分は幸せだという和葉の想いは、きっと彼女に伝わったはずだ。
「私たちを引き合わせてくれたのも、お母さんだった。一緒にはいられなかったけど、それも嬉しいわ」
「……そうだな」
吾郎は決して、和葉に協力を無理強いはしなかった。
しかし何度も会いに来た。
そんな彼の真摯な態度と雑談に付き合ううちに、和葉は彼に惹かれた。
「お母さんに……一つだけついた私たちの嘘は、バレたかしら」
「さぁ。それは、君にしか分からないだろう。俺は見てないからね」
「本当に、素直じゃないわね」
もう、と和葉は口を曲げたが、すぐに笑みを浮かべる。
和葉と吾郎は、まだ写真を撮っただけで籍は入れていない。
十和子の件を解決してから、というのが、お互いの気持ちだったから。
「ありがとう、吾郎」
「何が?」
「とぼけるならもういいわよ。私が言いたかっただけだから」
きっと吾郎は、十和子の未練を昇華するためだけに、和葉に事情を明かしたわけではなかっただろう。
和葉も、十和子と会わせてやりたいと、きっと根が優しい彼はそう思ったのだ。
照れ屋だから絶対に口にはしないけれど、和葉にはお見通しだった。
「私は楽しかったし、お母さんと話せて嬉しかった。死ぬ前の写真もお父さんが背広の胸ポケットに入れてた、赤ちゃんの私を抱いた一枚しか残ってなかったし」
何年も前に年下になってしまった母親との再会は、なんだか不思議だった。
そして、どこか頼りない人だったけれど。
記憶を取り戻した後は、本当に和葉と父のことばかり考えていて、彼女に愛されていたことが分かったから。
もう、それでいいのだ。
「ご飯にしましょう。報告は明日でも良いんでしょ? ……三人分作って、隣の部屋で食べましょう」
※※※
二前十和子、享年24歳ーーー火事により焼死。その後、娘らに看取られて逝く。




