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自分がここにいる意味を、知った。

 

 十和子はスマートフォンから目を離すと、こめかみを指先で押さえた。


「頭が痛い……」


 テレビよりもさらに小さい画面は、とても綺麗に文字や映像を映し出しているが、操作が大変だった。


 煩雑な情報の洪水と、指先を動かす作業に疲れてしまったのだ。


 記憶が戻ってから一週間。


 図書館で過去の新聞を探したり、九井に教えてもらってスマートフォンで四苦八苦しながらネット情報というものに触れたりしながらも、状況は変わらなかった。


 妙な夢を見たのもあれ一回きりで、十和子自身の状況についても、和葉の手がかりになりそうな話も何も出てこない。


 スマートフォンを食卓の上に置くと、十和子はその横に置いてあるノートを眺めた。


 検索という作業にキーワードが必要、ということでノートに書き出した自分の文字の連なりには、失踪、行方不明等の単語やこの集合住宅の住所の他に、平行世界やタイムスリップといった荒唐無稽なものも並んでいる。


 でも、それらを使った検索の仕方が下手なのか、市役所のホームページやら映画の広告やらばかりが目につくのだ。


 ため息をついていると、ピンポーン、とインターホンが鳴る。


 目を上げると、日差しが赤かった。

 どうやら、気づかないうちに夕方になってしまったらしい。


 ドアを開けると九井が立っていて、少し不機嫌そうな様子で用件を告げた。


「旦那が帰ってきたんだけど、十和子さんに話があるって」


 ややこしいから、と下の名前で呼ぶようになった彼女の言葉に、期待と不安の両方を覚える。


「な、何か分かったんでしょうか?」


 十和子の問いかけに、九井は軽く肩を竦める。


「多分。私は呼んで来てって言われただけだから」

「えっと……なんでそんなに機嫌が?」

「ああ、十和子さんに怒ってる訳じゃないわよ。部屋の模様替えしてる最中なの。自分で呼びに行けばいいのに……ああ、少し散らかってるけど、来るのは構わないわよ」


 おいでおいで、と手招きしてさっさと部屋に戻って行った九井の後を追って、十和子はつっかけを履いて部屋から出た。


※※※


「ネグレクト……ですか?」

「あー、うん。二つある報告の一つ目なんだけど。それに、ちょっと嫌な話になっちゃうかもしれないんだけどね」


 頭を掻いた吾郎は真剣な顔をしており、強く眉根を寄せていた。

 そして、古い新聞のコピーを差し出した。


 平成初期のものだ。

 十和子は色々調べるうちに、自分の記憶にある頃から年号が二つ変わっているのを学んでいた。


「遡って調べてるうちに、その記事に行き当たったんだよ。……男の子が押し入れにいる夢を見た、て言ってたよね?」


 その記事に書いてある内容は、公共住宅の四〇六号室に母親と共に住んでいた十歳の少年が、通報を受けて保護されたというものだった。

 通報したのは小学校で、無断欠席が続いたためだったという。


 簡単な記事だったが、週刊誌がこの件に関して別の記事を出しており、母親は『部屋から出るな』と言いつけた上で二週間近く帰宅していなかった。

 少年は言いつけ通りに一歩も外に出ていなかったにも関わらず、多少の衰弱が見られる程度で健康に問題はなかったという。


 それに関連して、二十代前後の見覚えのない女性が部屋を出入りするのが何度か目撃されており、警察が捜査したが該当の女性を発見することは出来ず、不可思議な話として纏められていた。


「この女性が少年に食事を与えていたと考えられるが、彼女がなぜそのような事を行ったのか、理由は定かではない……」

「もう二十年も前の記事だ。何らかの関係がある、とは普通なら思わないけど……君の境遇を考えると……その時点でも、タイムスリップしてた可能性もないとは言えないかなって」


 吾郎が言いづらそうに口にするのに、十和子は戸惑いしか覚えなかった。


「あの夢も、もしかしたら私の記憶かもしれない、ということですか?」

「理由は分からないけど、君は会った時に記憶がなかった。その辺りでも同様に記憶がなかったとしたら、君は記憶をリセットしながら、ずっと未来に跳んで行っているのかもしれない」


 十和子は、彼の仮説に恐怖を覚えた。

 もしそうだとするのなら、もう和葉には会えない。


 彼女が四歳だったのは、その記事よりも前の話で、今はもうどこにいるのか分からないということになるからだ。


 生きているのか、死んでいるのかも、分からない。


「記事を読んで、どう? 何か思い出せそうかい?」

「……いいえ」


 十和子は顔を伏せ、膝の上に揃えた手に目を向けた。

 視界がぐらぐらと揺れて、倒れそうになる。


「ーーー君はもしかしたら『今』からいつ、未来に飛ぶかも分からないのかもしれない」


 労わるような口調で、吾郎はそう告げた。


「もちろん、的外れの可能性もあるよ。ただ、君の境遇と、君について調べたことを合わせると……他に筋の通る話が出ないんだ」

「もう一つ……?」

「聞くかい? 実は、三日前にはもう、分かっていたんだけどね……僕に話す決意が出来なくて」


 どうする? と彼は目で問いかけてくる。

 だが、十和子は知りたかった。


「聞かせて……下さい」

「分かった……」


 吾郎はうなずくと、そっとコピーをもう一枚、食卓に置かれたネグレクトの記事の上に重ねた。


※※※


 話を聞き終えた十和子が、フラフラと自分の部屋に戻ろうとすると、台所の窓際で二つの写真立てを手にした九井が、こちらを見て笑みを浮かべた。


「あら、帰るの?」

「ええ……」


 うなずいた十和子に、九井は二人で話していた部屋のほうに目を向けてから、腰に手を当てる。


「顔真っ青よ。なんか、席を外してって言われたから入らなかったけど、どうしたの? 何か言われたの?」

「ええ、その……」


 どう言葉にしたものか分からず、十和子は涙を堪えてジッと九井の顔を見つめる。


「何?」

「その、写真立て、は?」

「ああ、これ?」


 話を逸らした十和子に、九井はあっさりと手にしたそれを見せる。


「ちょっと恥ずかしいけど、結婚式の写真と、お父さんと二人で撮った中学入学の時のやつよ」


 そう言って見せてくれた九井は、どちらの写真も顔の半分を隠していた。

 中学生の、頃から、その火傷の跡はあったらしい。


「幼い頃から、なん、ですね。その……」

「火傷? そうね、昔は嫌だったわ。からかわれたり、いじめられたしね。でも、その辛さを小学校の時、お父さんにぶつけたら、言われたのよね」


『火傷跡は、大きくなれば医療で治せる。君が辛いならいくらでも愚痴ってくれていい。でも君のお母さんが救ってくれた命は、一度捨ててしまったらもう戻らない』


 と。


「学校に行かなくてもいいから、死なないで欲しい、って、泣かれたのよね。そこで気付いた。この火傷のせいで誰にも愛されないと思ってたけど、私はお父さんとお母さんに愛されてたって」

「……救われた……」

「そう。小さい頃に火事で、火傷を負ったらしいわ。物心つく前のことだし、その後父は引越したらしくて、覚えてないけどね」

「お父さん、は、その……生きてらっしゃる?」

「数年前に癌で亡くなったわ。男一人で子育てしたから、苦労かけたせいかも。……でも『俺が死ぬ前に、君が最高の伴侶に出会えて良かった』って言って、笑ってた」


 旦那と出会ったのも、仲良くなったのも、この跡のお陰だしね、と彼女は顔を撫でる。

 そしてニッコリと、こちらに目を向ける。


「だから治療もしてない。お金もったいないし、今は別に気にしてないから」


 隠しているのは、他人をビックリさせないため、だと。

 そう言って笑う彼女の表情に、陰はない。


 晴れやかなその笑顔に、十和子は息を詰まらせた。


 目鼻立ちが整った彼女は、そのままの美貌で火傷の跡がなければ、むしろ周りからちやほやされただろうに。

 そんな風に笑えるのは、きっと九井が様々なことを乗り越えて来たからだろう。


 気の強さも、その時に得たものなのかもしれない。


「ごめん、なさい……」

「何が?」

「いえ、不躾なことを聞いて……」

「別に良いわよ。気にしてないって言ってるでしょ?」


 言いながら写真立てを窓際に飾った彼女は、軽くうなずいてから十和子に問いかけてくる。


「今日もご飯食べていく?」


 そんな九井に、小さく首を横に振った。


「いえ、今日は、食欲がないので」

「……本当に大丈夫?」


 ジッと見つめてくる彼女から、十和子は目を離せなかった。

 だが一緒に食べたい気持ちを押さえつけながら、震える声で答える。


「平気です。……ありがとう」


 それ以上引き留めなかった彼女から、十和子は目を引き剥がして、部屋に戻った。


 パタリとドアを閉じた後、足から力が抜けた。

 へたり込むと、閉じたドアに背中を預けて、十和子は両手で顔を覆った。


「……和葉……」


 震える声で娘の名前を呼ぶと、ボロボロと涙が溢れるのを抑え切れなかった。


 もう、会えない。

 十和子に明日は来ないのだ。


 願いを叶えてしまったから。

 

 全部思い出した。

 そうして、知ってしまった。




 ーーー十和子は、もう、死んでいるのだということを。




 吾郎が重ねたコピーの日付は、ネグレクトの記事よりもさらに前だった。


 公共住宅建て替えの原因になった、と思われるそれには、ある火事の情報が載っていた。

 

『君が今住んでいる場所の下の部屋から、出火があった。原因は、家主の寝タバコだ』


 添えられた写真に写っていたのは、紛れもなく十和子の記憶にある建物だった。

 ただし、半焼して自分が住んでいる角部屋や階段が焼け落ちたもの。


『平日の昼、休みでダラダラしていた家主は眠ってしまい、落ちたタバコから火が上がった。瞬く間に燃え広がったが、熱さで寝覚めた彼は逃げた』


 記事の内容を説明する吾郎の声が、遠く聞こえる。


 上階で在宅していた母子が逃げ遅れ、救助隊が駆けつける前に、近所の人々が毛布を重ねて母親が窓から落とした子どもは受け止めたものの、煙と炎に巻かれた母親は助からなかった、と書いてあった。


「母親の名前は、二前十和子……つまり、君だ』


 戸籍を調べたら、死亡したことになっている、と吾郎が言ったところで、本当に全てを思い出したのだ。


 七月八日、七夕の次の日だった。

 

 煙の臭いと周りの騒ぎに嫌な予感を覚えた時には、すでに遅かった。

 気付いた時には、すでに玄関側が炎に包まれていた。


 煙が凄くて出られず、娘を抱えてベランダで叫んだ。

 近所の人たちが助けてくれなければ、十和子だけでなく和葉も助からなかっただろう。


 火に巻かれながら、ぼんやりとする頭でどうにか泣き叫ぶ和葉だけを下に落として、十和子の記憶は途切れたのだ。


 顔を上げて、闇の中で自分の腕を見る。

 真実を思い出した十和子の指先は徐々に焼けただれていき、パチパチと火が弾けながら黒ずんでいく。

 

 十和子は、自分の死に気づかなかったのだ。

 今まで、和葉への未練を抱えたまま、この場所に留まっていた。


 そして、理解した。


 ーーー生きていた……。


 成長する過程が健やかだったかどうかは、十和子には分からないけれど。


 写真に写っていた九井の……和葉の父親は、自分の夫だったから。


 記憶にあるよりも遥かに老けて、白髪も多かった。

 和葉の言う通り、苦労していたのだろう。


 ーーーごめんなさい、あなた。そして、ありがとう……。


 でも写真の彼は、幸せそうに笑っていた。

 和葉も、今の彼女に比べればずいぶん控えめな笑顔ではあったけど、照れ臭そうに笑みを浮かべていた。


 全身に焼けるような痛みが走る。

 

 そして十和子は、夢に見た男の子のことも思い出していた。


 この部屋のある位置に越して来た彼の母親は、ちっとも子どものことを愛していなかった。


 そんな母親の言いつけ通りに部屋の中に居続けている彼が、このままだと死んでしまう、と十和子は思った。


 だから、彼の前に姿を見せた。


 まるで屍のようにジッと押し入れの中に居続けていた彼に、話しかけて、食事を与え、世話をした。


 霊、というものは、何なのだろう。

 なぜそんなことが出来たのか、十和子自身にも分からない。


 一つだけ分かったのは、戸惑いながらも、最後は心を許して笑ってくれた彼が……どこかから来た大人に助け出された彼もまた、生きていてくれた、ということだけ。


「吾郎……」


 あの子もまた、私の子どもだった。

 

 吾郎は、薄々気づいていたのかも知れない。

 だって虐待の記事は、彼自身の記事なのだから。


 和葉は、どうだろうか。

 十和子、という名前は、よくある名前だ。


 和葉は火傷を負った自分が、どこに住んでいたのかを知らない。

 

 ーーーでも。


 あの火傷跡が、和葉と吾郎を繋いだというのなら、もしかしたら。


 名乗れなかったけれど。

 でもきっと、二人は気づいていた。


 十和子に、自分たちは大丈夫だと伝えるために……あえて何も言わずに、あんな風に接してくれたのだと、考えるのは、都合がいい解釈だろうか。


 ーーーーありがとう、二人とも。


 十和子は、自分の存在が、焼け落ちて消えていくのを感じながら。

 

 ーーー生きててくれて、良かった。


 そう、心の底から思い、目を閉じた。

 


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