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ヴィクセン

 機体整備と駐機場の整理を終えたレオは休憩に入り、寝心地の悪いパイプベッドに横になり眼を閉じてから三十分、やっとで眠りに落ちそうになっていた。硬いパイプの感触と寝返りも打てない狭さのベッドで寝るには気絶しそうな疲れと熟練の睡眠技術が必要だと、ここに着任してからすぐに悟っていた。


 微睡みの中、レオはジェットの爆音に叩き起こされる。四六時中聴いて慣れきった音であるが、腹の底まで揺さぶる轟音は眠りに落ちようとする身体を強制的に覚醒させてしまうのだ。


「帰って来たんですか」


「何だお前、寝ていろと言っただろう。交代人員は居るんだ、疲れを残すな」


「この音の中じゃ寝れないですよ」


 腕を組みながら着陸を眺めるグレゴリーの脇にレオは立った。降りてくる機は間に合わせの飛行場灯火を頼りに滑走路へと降り立ち、悪路の上になんとか腰を据える。どの機も着任した時と同様ひどい着陸ではあったが、今回は夜間であるし仕方がない。しかし、オーバーランや左右路外への逸脱も無いのは流石と言ったところである。


 そして例の如く最後に降りて来たのはヨーコのミラージュF1で、夕方よりも更に悪条件にも拘らず完璧な着陸を披露して見せた。見物していた整備兵や正規兵達も口笛を鳴らし、傭兵にしてはやるじゃないかと声を漏らした。


「よくやるよ、こんな滑走路に夜間着陸なんざ俺は御免被りたいね」


「まったくだ、此処しかないって言われたら覚悟を決めるよ」


 正規兵たちは帰って来た傭兵が一機も欠けていない事を確認すると、いそいそと寝床へと戻っていく。代わりに整備兵たちは立ち上がり、仕事の時間だと忙しなく動き始める。作業灯が点灯し、駐機場が照らし出される。


 戦時下かつ前線に近い航空基地に於いて灯火管制を敷かないのは非常識ではあるが、そもそもこの基地は正規兵たちが言う通り夜間での運用を想定されていない。日中や薄暮の中での作業と離発着が想定されているが故、作業の明かりを隠すための設備が備わっていないのだ。


 そのため、殆どの機体は露天駐機であり、それぞれの駐機スペースを仕切るのはせいぜい天蓋と衝立による間仕切り程度しかなく、夜間作業はまるで平時の様に明かりをまき散らしながらの物となってしまう。


 前線から近いとはいえど戦線後方には違いなく、現在のところ近辺に敵コマンド部隊の侵入報告もない為、致し方ない措置として夜間作業が行われることになっていた。


「パイロットはブリーフィングルームに集合、デブリーフィングを行う」


 司令部要員の一人が声を張りあげ、機を降りてくる傭兵パイロット達に伝える。到着早々で休みなしに出撃したパイロットたちは緊張の糸が切れたようにへとへとな様子で、「言われなくとも」といった態度だけ示し、悪態一つ漏らすことなく着陸後のチェックだけは済ませていた。


「戦果はどうだった、傭兵」


「どうもこうも、アイツが殆ど持って行っちまった。稼ぎそびれたぜ」


 整備兵の一人の問いかけに、くたびれた顔でクフィルのパイロット、ダイヤ1ことカーター・バクスンは答え、ヨーコの方向を顎で示す。自身も一機は撃墜したが僚機のダイヤ2、ロドリゴ・ヘルナンデスは戦果なしだった。これでは作戦参加の基本給は出るが撃墜数分の稼ぎはなし、せいぜい燃料代の足しにはなるが消費したミサイルの分を加算すると赤字であった。


 他のパイロットたちも同様で、Su-22のオニールやF-5Eのパイロットなど、撃墜数一つでは稼ぎとしては満足のいくものではないのである。


 一方でヨーコはと言えば合計七機撃墜。夜間とはいえ殆ど至近距離での撃墜、ガンカメラにはバッチリ戦果が映っており、報酬に関しては文句なしで満額振り込まれるだろう。ヨーコは着任早々しっかりと稼いで見せたのだった。


「この機は俺がやる。随分無理しやがったみたいだからな。お前はあっちをやれ」


「さっきはあんな事言って、しっかり使うじゃないですか」


「寝てろと言ったのに起きて来たのはお前だぞ小僧。起きてるなら働きやがれ」


 オニールの機の整備に取り掛かるグレゴリーはレオをヨーコのミラージュへと向かわせる。オニールの機は元々格闘戦向きでないにも拘らず、無理に低空で振り回した為か整備にはてこずりそうであった。その為ベテランのグレゴリーが担当し、目立って損傷や不具合の無さそうなヨーコ機にレオを向かわせた。加えて言えば、離陸前の整備を行っていたのがレオだったという理由もあっての事だろう。


 タラップから地に降り立ったヨーコは、最初に降り立った時と何ら変わりない涼しい顔をしていた。何処から飛んできたかは知らないが、長旅に加え激しい空戦での疲れもあるだろうに、一切それを顔に出さないヨーコの姿にレオはある種の異質さを感じ取っていた。


 埃っぽい空気と機械油の香りに、帰還した戦闘機が放つエンジン排熱の余熱、燃焼を終えたジェット燃料の残り香は心地の良い物とは決して言えない。それでもヨーコは顔色一つ変えずに機の周囲を回り、最後に主翼をひと撫でして機体を離れる。


「お疲れ様で──」


「お疲れ様。起こしてしまったかしら?」


 レオは再び面を喰らった。しつこい様だが疲れているのは向こうの方であろうに、機先を制してねぎらいの言葉を掛けられるなどとは思ってもみなかった。それも戦闘機乗りの観察眼がなせる業であろうか、寝起きであるのを顔で察したか機体の音で起こしてしまった事まで気に掛けるとは。


「い、いえっ、お気になさらず。起きてましたから」


「なら良いけれど。無理はしちゃだめよ」


「はい、それは勿論……」


 バインダーに挟まれた書類の項目に諸々記入し、ヨーコはレオに手渡してゆったりとした足取りでブリーフィングルームに去っていく。が、ふと立ち止まり、レオの方向を振り返って作業に移る彼を呼び止めた。


「ああ、そう。貴方」


「はい、どうしました?」


「機体の調子は良かったわ。良い腕をしているわ、これからもよろしく」


 それだけ言うとヨーコは微笑みと共にひらと手を振り、駐機場を後にした。何処までも丁寧な人だと、呆気に取られ呆然としたレオを、共に作業する整備兵が小突いて我に返させる。


「なぁんだレオ、ボケーっとしやがって。惚れたのか」


「ち、違うっ! ただ、ただ…びっくりしただけですよ……」





「ひとまず、ご苦労だった。君たちの活躍で我々の物資集積場は空爆を受けずに済み、各方面の部隊とこの基地に滞りなく物資が届くことになるだろう」


 ブリーフィングルームに集まった五人は基地司令からのねぎらいを受ける。本心からか、それともあくまで儀礼的なねぎらいか、それはどうでもよい事だ。彼ら傭兵にとって重要な事はこなした仕事の分、墜とした敵機の分、きちんと報酬が支払われているかどうかだ。


「マネーが入るなら仕事はキッチリこなすさ。それで、撃墜分の報酬はいつ入るんだい」


「機体のガンカメラを解析し、戦果確認が取れ次第入金処理を行う。口八丁で誇張された戦果主張に支払いができる程、軍も金持ちではないからな」


 当然と言えば当然の対応だが、男共はへらと笑って肩をすくめながら「お堅いねえ」と冗談を飛ばして見せる。


「さて、急ぎの出撃で暇がなかったが、諸君らのコールサインを決めておきたい。君達の中には自分の本名を名乗りたくない者も居るだろうからな。ここでの君ら自身の名前代わりになる物だ、ふざけた名前にして後悔するなよ」


 傭兵達がざわつく。ある者は黙り、ある者はまた冗談を飛ばす。此処に居る者に限らず、傭兵という稼業は脛に傷がある者が殆どだ。特に戦闘機乗りなど一介の歩兵などよりも遥かに高度なスキルを持っているモノで、それが冷や飯喰らいの流浪の身となるのだから余程の事である。


「コールサインね、俺達は決まってる。俺がダイヤ1で、こいつがダイヤ2。いつもコレで通ってる」


 カーターが名乗り、隣のロドリゴを親指で示す。彼も頷き、それ以外に変更するつもりはないという態度を取る。司令のダリルもそれに対して意見せず、クフィル乗りの二人はそれで決定した。


「僕も決まっているよ。コールサインというよりは元居た軍隊ではTACネームという名称で通っている物だけどね。『ショーチュー』だ」


「ショーチュー? なんだそりゃ」


「お酒よ。日本の蒸留酒」


 口を挟むヨーコに「正解」とF-5Eのパイロット。アジア系にしては色黒で、一見してラテン系の出身にも見えたが彼は日本出身。シンスケ・カザミ、それが彼の本名だ。本来は「ロックマン」というTACネームの元F-15乗りで古巣の航空自衛隊ではエリートコース一直線だったが、酒と女で原隊に居られなくなる程の失敗をやらかし、退職後は故国を飛び出して傭兵パイロットに身を窶した。その時から過去の失敗を忘れない為にショーチューを名乗りだしたのだという。


 あんまりな由来ではあるがこの場の誰もがそれを茶化したりはしなかった。誰しも脛に傷持つ者達ばかり、それよりもっと酷い理由で傭兵をやっている者も居るが故、彼らは互いの傷を舐め合う事もしなければ、不必要に踏み込み傷口に塩を塗るような真似もしないのだ。


 次にオニールだが、彼はどうにも面倒くさそうに自分の名前ではダメなのかとぼやいたが、結局悩んだ末にショーチューに倣い、出身国の醸造会社から取って「ギネス」と決めた。


 最後に残ったヨーコだが、ヨーコ自身も決まったコールサインという物は使っていなかったようで、少しだけ悩むそぶりを見せて口を開こうとしたその矢先───


「ヴィクセン」

「ヴィクセンだな」

「ピッタリだな、ヴィクセンで良いじゃないか」


 傭兵達は揃えてヨーコのコールサイン案を出した。出鼻をくじかれたヨーコは暫し固まり、むっとした表情を浮かべながら自分の顔を両手でむにむにと歪めて見せた。


「あら、私の顔ってそんなに左右非対称(どこかの艦載機みたい)な造形しているかしら?」


「そっちじゃない。字義どおりの意味だ」

「雌狐(ヴィクセン)、お似合いだろ」


 ダイヤ(クフィル乗り)のコンビがヨーコの耳を指して言う。片方の耳がピクリと揺れ、抗議の言葉を絞り出そうとするヨーコだったが、しかし代案となる名前も出てこず言葉に詰まり低く唸る。


 ヴィクセンという言葉には女狐、そのまま性悪女などの悪口に近い意味が含まれる。名前に関して頓着するタイプではないヨーコだが、殊更そのようなニュアンスを含んで呼ばれるのは些か気持ちの良い物ではない。


 とはいえ、肯定的な意味合いで使われることもヨーコは知っていた。妖艶、気風の良い、魅力的、そういった意味合いで取るのならば、悪くはない。特にPRはしていないが、下着選びに苦労する程度には良い身体をしている自覚はあった。


「まぁ、それでいいわ」


「よし、決まったな。ではそれで登録をしておく。では解散、身体を休めろ。本日はご苦労だった」





「ヴィクセン」


 ブリーフィングルームを後にし、寝床へと向かうヨーコをショーチューことシンスケ・カザミが呼び止める。三十代半ばの程々に脂がのった顔は、古巣を飛び出した後の苦労から年齢よりもこけた印象を受けた。


「ヨーコ」


「ヨーコ。……あの時どうして敵機が見えたんだい。レーダーには映らなかった。視界も殆ど真っ暗だ」


「あれはそう、湖の上を飛んでいてくれたから見えたのよ。戦闘機のシルエットが雲間から差し込む月光に照らされていたの」


「あの高度からそれが見えたと?」


 だから墜とせた。と、さも当然といった風に肩をすくめヨーコは去っていく。何も言い返せないシンスケはその背を見送る事しかできなかった。


「蒼眼の狐、か」


 いつの間にか背後に居たグレゴリーに驚き、シンスケは思わず身体を跳ねさせる。怪訝な表情を浮かべながら、老練な整備員は珍しい東洋人傭兵にタバコを差し出した。整備区画外であるため喫煙は問題ない。


「や、これはどうも。……あの女が、なにか」


「一緒に飛んでみて、どうだ」


「整備員が妙な事に興味をお持ちだ。そうだね、やたら目が良い。暗闇でも裸眼で敵機を見つけた」


 シンスケは続ける。レーダーを切り、攻撃隊の背後にピッタリとくっついてから、ミサイルではなく機関砲の射撃で奇襲をかけた事、逃げる敵機の背後に食い付いて離れない事、まるでレシプロ時代のパイロットの飛び方だと評した。と同時に、暗く、少し遠巻きに見た程度の感想だとも付け加えた。


「なにせ、まだ一回だけだからね。飛んだのは」


「それで、ヴィクセンと呼んでいたな。雌狐、どういう意味だ」


「そのままの意味だよ。見たらわかるだろう? 他意はない。やたら気に掛けるじゃないか。因縁でも?」


 グレゴリーは視線を下げ、安物の紙巻を持ったまま紫煙を燻らせる。思考を整理するように少し黙った後、言葉を紡ぐ。


「いや、あくまで噂だ。俺は大戦に従軍したが、『蒼眼の狐』の噂を戦中にも聞いたんでな。しかもその時に聞いた内容が問題だ。まさか奴じゃないよな、と」


 ほう、とシンスケは興味を示す。あまり他人の事を詮索するのは褒められた事ではないが、こういった事柄に興味がない訳でもないのはある種の性である。


 グレゴリーが言うには12年前、大戦が始まり数か月が経った頃、あるパイロットが話していた事だった。そのパイロットは予備役から引っ張り出されてきた高齢のパイロットで、ベテラン中のベテランだった。


 敵のパイロットの中にやたら古い、それこそ視界外戦闘が一般的になる以前の飛び方をする者が居たというのだ。ドッグファイトに固執し、ミサイルを射耗し尽くしても機関砲(ガン)の弾が切れるまで戦闘空域に留まり続ける機体が。


 その機体のパイロットがどんな人間かは知られていない。しかし、いつの時代の空にもそれが居たというのだ。しかし戦闘機パイロットの現役でいられる期間はさほど長くはなく、常に第一線で飛ぶというのはあり得ない話だ。だが、その飛び方は他人と断ずるにはあまりにも特徴的すぎた。


 生き残った者はキャノピー越しにその青い瞳を見たと口をそろえて証言し、蒼眼の狐の異名が噂されるようになったという。狐、というのが何処で付いたものなのかは定かではないというが、もしそれが容姿の話だとするならば、それは出来過ぎた話である。


「ふぅん、はは、もしかしたら、本人かも知れないね。アレが」


 くっくっ、と含み笑いを漏らしながらシンスケはいう。本心から信じた訳ではない、半ば冗談めかして言うその態度に、グレゴリーは眉間に皺を寄せた。


「いや失礼。でもね、東洋には狐に関する妖怪の話が沢山あるんだよ。ああ、こっち(欧州)で言う所のフェアリーとかモンスターの話さ」


「おい、話がいきなり変な方に行ってないか」


「ヴィクセン、性悪女とかってのは間違いじゃないのかもなあ。経国の美女とか何とか言って、その美貌で男を誑かしたり…」


「何が関係あるんだ」


 シンスケは短くなった煙草を吸い切り、灰皿代わりのドラム缶に投げ入れる。


「例えばの話だ、そんな妖怪狐の女が、男誑かすのに飽きて飛行機に乗って男を『墜とす』方にハマってたりしたら、いつの時代にいても不思議じゃないだろう?」


「聞いたぞお前、コールサインが酒の名前だってな。その通りじゃないか。素面でそんな話が出来るものか、飲んでるんじゃないだろうな」


「そのパイロットもどうせ噂で聞いたんだろう? なら、尾ひれがつきまくりの信用できない話だ、戦場のおとぎ話って奴さ。じゃあ、これぐらいの冗談で笑ってやるしかないだろう」


 手をひらと振ってシンスケも寝床へ向かう。グレゴリーもしょうもない話をしたものだと、舌打ち一つして吸殻を灰皿に放り込み、寝床のテントへと向かうのだった。


 煌々と照っていた作業灯が消え始め、間に合わせの基地を闇が包み始める。こうして傭兵達を迎えた一日が終わりを告げようとしていた。だが、彼らの戦争はまだ始まったばかりだった───






 

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