月夜の蜃気楼
夜の空と言うものは想像よりも存外明るい。月の光、星の光、それらが大地を薄く照らし、加えて自分達の上から影を作り出し覆ってしまう物も無いからだ。唯一あるとすれば、それは雲だけだ。
ヨーコ達は雲が影を作り出す高度を飛んでいた。雲の中は当然、雲の下は月光が遮られ視界はほぼ真闇に近い。降り悪く作戦空域は低空に雲が多く低空侵入するには最適で、それを探す者には辛い状況だった。
《なんか見えたか》
《見えねえよ、こうも暗くちゃあな。暗視装置でも暗いぜ。レーダーはどうだ》
《レーダーはクリアだ、地上管制からも何も上がっちゃ来ねえ。ホントに空域と会敵予想時刻は合ってんのか?》
傭兵達の中には多少小金持ちも混ざっており、暗視装置などという個人所有するには大層な代物を持ち込んでいる者も居る。大きな買い物ではあるが、夜間戦闘するにあたって大きなアドバンテージを得られる道具であるから、その分稼げばよいだけの話である。
その者らをして視界内に敵は確認できず、レーダーにも反応がないとあってはお手上げだ。残る頼みの綱と言えば、味方地上部隊の対空レーダーであるが、それからの情報も何もナシである。残念な事に、今の彼らには空中管制機の支援も無い。
《なぁ、なぁ、もう奴らに爆撃やらせて、それを頼りに探しゃあ良いんじゃねえか》
《バカヤロ、集積所吹っ飛ばされて、カラの敵機叩いて金が出ると思ってんのか》
ブリーフィングで共有された作戦空域は敵の標的と思しき物資集積場とは目と鼻の先であり、ここを抜かれれば敵はすぐにでも爆撃を敢行、山と積まれた物資は瞬時に燃えカスとなる。逃がすわけにはいかないが、まずは敵を発見しない事には手出しのしようがない。
敵基地を監視していた斥候から得られた情報から、敵の機種、針路、爆装量などから算出された会敵地点と時刻は間違いなく合っている筈なのだが、敵を見つけられずに傭兵達は焦れていた。それどころか作戦の成否が自らの財布の中身に直結するため、焦りすら感じ始めていた。
唯一、焦りを感じさせず黙って索敵をしているのはヨーコただ一人であった。ヘルメットバイザーを上げ、その青い眼で暗闇の地上を見下ろし、その中に浮かび上がる何かを探すように。
《よぉ姉ちゃん、なんか見えるかい》
クフィル乗りの一人がヨーコに話しかける。どうせ何も見えやしないだろうと半ば茶化すような口ぶりだったが、ヨーコは一切気に留めずに「まだ、なにも」とだけ返す。そっけないでもなく、本当に「まだ」見えないといった、他の傭兵達と違い大真面目に裸眼で索敵をしている様子に、そのクフィル乗りは自身の不真面目さにばつが悪そうにした。
やがて雲が途切れ月が顔を出し、月光が地表を照らし出す。しかし満月と言えど照らされる地上の殆どは黒く塗りつぶされた様なもので、漆黒の野山から敵を見つけるのはやはり至難だ。唯一、眼下に広がる湖面だけはその穏やかな水面に月の光を反射し輝いて見えていた。
その湖面に浮かび上がる影をヨーコの瞳は捉えた。ひとつ、ふたつ、いや、それ以上。形状で言うならば漢字の「士」の字に似た影は、典型的な航空機の形状を示している。
「見付けた。敵機、10時低高度」
《嘘だろおい》
ヨーコはレーダーをオフにしながら安全装置を解除し、操縦桿を倒して引き、斜め左下方へと機体を降下させた。
「目標まであと5分。各機安全装置解除。爆撃行程に入る」
低空を地形追従飛行するJH-7Aのパイロットは僚機に合図を送り、後席の兵装士官にも機器類のチェックを行わせる。現在のところ敵機の反応はなし、地上からのレーダー照射も観測していない。工程は順調、あとは湖の向こう側にある丘陵を越えたら爆撃目標の物資集積場だ。上手くすれば投弾後は敵の対空砲火を受ける前に離脱できるかもしれない。
チョロい仕事だ。昼間の空戦で敵の航空戦力には打撃を与えたと制空隊が言っていた。敵機の心配も無し。付いてくる護衛機も敵レーダーを避けるために遠ざける指示を出しており、これはちょっとしたリスクだったが、杞憂で済みそうだ。攻撃隊の編隊長を務めるこのパイロットは酸素マスクの下で笑みを浮かべる。
《ウワッ!!》
瞬間、機内のミラーから閃光が走り、続けて僚機の叫びと爆発の振動が届く。高度十数メートルの超低空飛行、一瞬の上下のズレが墜落に繋がる。パイロットは操縦桿をしっかり握りなおし、機を安定させつつ事態を確認した。
操縦ミスでの墜落か、いや、そんなはずはない。この機は全天候作戦能力があり、地形追従能力も備えている。仮にミスからの墜落だとして、爆発の光が大きすぎる。
「まさか、敵か…ワッ!!」
思考に割いた僅かコンマ数秒、それが空戦では生死を分ける。操縦桿を倒して回避機動を取ろうとした瞬間、キャノピーの外を曳光弾が掠め、それと同時に鈍い衝撃が機体を激しく揺らした。
警告灯が瞬きアラームがけたたましく鳴り響く。操縦桿が暴れ、機体の制御が効かない。脱出──その考えが過るより早く射出レバーに手を伸ばすがしかし、キャノピーのすぐ外に水面が迫っていた。
《一番機が落ちた!!》
《くそ、散開、散開して逃げろ》
六機の──既に四機に減っていた──JH-7Aが統制を失って散り散りに回避行動をとる。下は水面、となれば残るは横か上方のみ。
ヨーコは無防備な姿を晒す敵機に機関砲の照準を合わせトリガーを引く。短いバースト射撃で放たれたDEFA機関砲の30㎜砲弾が敵機のエンジンと尾翼を食い破り、機体を横に傾けたままエンジン出力を失った敵機が湖面に叩きつけられ、数度バウンドしたのちに大きな水飛沫を立てて水中に没していった。
レーダーを切って敵のレーダー警報受信機に探知されることを避け、攻撃編隊の背後に忍び寄ったヨーコの奇襲は見事に決まった。わずか数秒の内に攻撃編隊の半数、三機を一度に撃墜して見せたのだ。
《くそ、護衛機を呼び戻せ》
《た、助けてくれ、こいつら──》
《見えたぜ、もらった!》
高度を上げたJH-7Aの背面に、さらに上方より飛来した空対空ミサイルが突き刺さり炸裂、爆炎で夜空を照らしながら胴体中央部から四散した。パラシュートは一つ、操縦手のみだった。
《畜生! 此奴ら何処から湧いて出やがった!》
《制空隊の奴ら、昼寝でもしてやがったのか!?》
残る二機のJH-7Aはフレアを撒きつつ編隊を組み直し、接近し機関砲での撃墜を狙うSu-22を回避した。背後から覆い被さられる形ではあったが、双発機でありエンジン出力や機体形状による空力性能から機動性ではSu-22に勝り、オニールの機体に後れを取る事はなく難を逃れる事が出来た。
それでもなお獲物に群がるサメの如く、上からF-5Eが襲い掛かる。が、暗闇と接近しすぎている味方機とで、敵味方の識別に手間取り、加えて赤外線探知ミサイルのシーカーが味方機をロックする恐れから攻撃機会を失って離脱、高度を取り直す。
残る二機のクフィルは夜間かつ低高度での格闘戦に怖気付き、周辺警戒という理由をつけて中高度に留まっていた。が、結果的にはそれが功を奏した。クフィルのレーダーが接近する敵機を捉えたのだ。
《お客さんだぞ。方位275、機数四。俺達二機だけにやらせるつもりか?》
二機のクフィルは接近する敵機に対し正対する形で針路を取り、迎撃態勢に入る。敵の機種は不明、しかし速度は速い。会敵まで二分とないだろう。
「FOX2」
低空ではヨーコが軽量軽快な機体性能を活かして逃げるJH-7Aをロック、ミサイルを発射して撃墜。残る一機をオニールに任せて接近する護衛機の方向へと変針した。
「残り、任せたわよ。出来る?」
《なに! 舐めた事言ってんじゃねえ、当たり前だ!!》
可変翼を大きく開き、必死に低速域で敵機に喰らい付くオニールをよそにミラージュはアフターバーナーを吹かして離脱していく。ヨーコが離脱したことで状況の整理がついたF-5Eは撃墜数を欲してか、接近する護衛機ではなくオニールが追うJH-7Aを仕留めに掛かった。
クフィルのパイロットは味方からの返答がない事、味方の機影を確認できない事で覚悟を決めた。機上妨害装置の発展で大戦以前の様に視界外からの一方的なミサイル攻撃が有効でなくなったとはいえ、それでもこの相対距離は既に敵の長・中距離ミサイルの射程内だ。牽制、または気付いてない敵に撃つという選択肢はいまだ健在で、それがないという事は敵は近距離装備しか持っていない可能性があるという事だ。
《畜生、誰も来やしねえ》
《俺達だけでやるぞダイヤ2、バンザイ!!》
《ええくそ、やったろうじゃねえか。FOX3!!》
二機のクフィルはARHミサイルを一発ずつ発射、スロットルを押し込みアフターバーナー全開で敵機との距離を詰める。
ミサイル発射に気付いた先頭の敵機二機はカウンターメジャーを放出しながら右直角方向に旋回、ビーム機動で回避機動を行いミサイルを避ける。後続の二機はそのままクフィルとヘッドオンの姿勢を取り続けた。
後続の二機はなおも突進してくるクフィルに対しミサイルを発射。暗闇の空にパッと光るミサイルのロケットモーターの閃光を視認したクフィルはそれぞれチャフを放出しながらバレルロールを行い回避、直後、超音速で互いの顔が拝める距離で敵機と交錯する。
《見たか!?》
《奴らの機体、グリペンだぜ。良いモン乗ってやがる》
超高速ですれ違ったグリペンは直ちに旋回し、ドッグファイトの構えを取る。が、次の瞬間RWRがけたたましい警告音を鳴らし、幾許もせずにミサイル接近警報が鳴り響く。敵はすれ違ったばかり、クフィルがそんなすぐに旋回し後方を取れるわけがない。一瞬の混乱があったが、戦闘機パイロットたるもの思考と同時に本能が肉体を動かし、機体は回避機動を取り始めていた。が、遅かった。
低空より飛来したSARHミサイルが胴体後部に着弾炸裂し、爆発閃光と共に機首を残して夜空に残骸を散らした。
《ラウズ4がやられた!!》
たった今撃墜された機とエレメントを組んでいたグリペンはカウンターメジャーを放出しつつ急旋回、回避機動を取るが、RWRが警報音を鳴らすと同時にその背後にヨーコのミラージュがぴたりと張り付くようにして滑り込む。
ヨーコはクフィルが放ったミサイルを回避した敵機が放出するフレアの光を目視し、低空から一気に機体を上昇させると同時にレーダーを起動、味方二機と交錯したのち無防備となった敵の背後にロックオン、ミサイルの射撃を行ったのだ。
《こ、コイツいつの間に!!》
「良い的よ、貴方」
《ラウズ1、2! 援護を──》
援護要請を切り裂くようにヨーコ機の30㎜が吼え、グリペンの右主翼と垂直尾翼をもぎ取った。炎を曳きながらきりもみして落ちていく敵機に目もくれず、ヨーコは接近する残るグリペンに意識を移した。
《ラウズ2、奴は俺がやる。時間稼ぎでいい、そっちの二機は頼んだぞ》
《お任せあれ!》
敵の一番機と二番機は散開し、一番機はヨーコに、二番機は一機で二機のクフィルを相手するつもりであった。敵一番機とヨーコはヘッドオン、ガンレティクルが重なる前にグリペンが発砲。ヨーコは機体をロールさせ軸をずらして回避、直後に機体が交錯する。
《あのグリペン一機で突っ込んで来やがる》
《ナメんなよ!!》
二機のクフィルとグリペンも交戦を開始する。二対一の構図だが、クフィルを相手にするグリペンはやり手らしく、二機を相手に上手く躱しては牽制のレーダー照射を行うが決して深追いはせず、片方のクフィルが背後につこうとするや機を捻ってひらりと回避する。
ヨーコと敵一番機は絡み合う様に旋回しつつ、時折機首方向に機影を捉えるが機銃の軸線とずれており機銃で仕留める事はかなわない。数度の交差を経て互いのエネルギーが苦しくなって来たところで、ヨーコは兵装を機銃から短距離ミサイルに切り替える。
ヨーコはキャノピーの外で繰り広げられる味方の戦闘位置を確認すると、交戦中の敵機が最大限に離れた位置に居るのを見計らい、操縦桿を倒してクフィルが戦闘している方向に旋回、緩降下しつつ短距離ミサイルのシーカーを作動させた。
「ダイヤ2。四秒後に左旋回」
《ああっ!?》
唐突にヨーコからの通信を受けたダイヤ2だったが、考えている暇はなかった。きっかり四秒後、ダイヤ2は左に操縦桿を切り旋回、同時にヨーコがミサイルを発射した。
《なにっ、ミサイル!?》
先程までダイヤ2のクフィルがいた空間をミサイルが通過し、ダイヤ2の背後につけていたグリペンに直撃、虚を突かれ回避する暇もなかったグリペンは空中で爆発四散、バラバラになって炎と共に地上へ落下していった。
《ラウズ2!! よくも!!》
一番機は無防備に背後を晒すヨーコのミラージュに向けてミサイルを発射、しかしヨーコは急降下して燃え落ちる残骸の近くを飛び抜ける。熱線をかく乱されたミサイルが残骸の至近で炸裂、ヨーコはまんまと回避してのけた。
なおもヨーコのミラージュに喰らい付こうとするラウズ1だったが、一瞬頭に血が上ったが故に斜め上方から迫る機体に反応が遅れた。
《ガラ空きだぜベイビー》
クフィルの機関砲が火を噴き、胴体中央から後部までを30㎜砲弾が撃ち貫く。爆発こそしなかったが、破壊されたエンジンは推力を喪失する代わりに炎上し、グリペンは力なく炎を吐きながら墜ちていった。
《くそ、被弾した。脱出する!》
墜ちるグリペンから射出座席の光が一瞬瞬き、直後地面に激突した機体が地表に炎をぶちまけ周囲を照らす。パイロットは脱出したが、その姿は暗闇に溶けて確認できない。
《やったぜ撃墜ひとつだ》
《ち、スコアなしかよ》
エレメントを組み直したクフィルはヨーコのミラージュと合流し、低空で空戦が行われていた湖の上へと進路を取る。すると、レーダーに機影を認める。IFFに反応あり、味方機だ。
「ソッチも終わった様ね」
《けったくそ悪い、コノヤロー俺の獲物を盗りやがった》
《もたもたしている君が悪いのさ》
悪態をつくオニールに対し、獲物を横取りしたF-5Eのパイロットは悪びれもせずに言い放つ。少なくとも、残った一機は撃墜できたようだ。これでこの空域の敵機は全て撃墜した事になる。物資集積場への爆撃はなし、損害も無し、完全勝利だ。
《あーあー、聞こえるか基地管制。こちら雇われ飛行隊。敵機は全て撃墜、お仕事終了。帰投する》
ダイヤ1がふざけた調子で基地へと連絡を入れ、戦闘空域からの離脱と撤退の許可を求める。しばしの後、基地からの通信がノイズ交じりに届いた。
《こちら基地司令部、周辺のレーダー部隊に確認を取った。周辺空域に敵影無し。作戦終了、全機帰投せよ。よくやった》
《了解、報酬は期待してるぜ》
《それぞれの報酬に関しては戦果確認を済ませてからだ。とにかく帰ってこい》
五機の機影は揃って闇夜に溶けるように基地の方角へと飛び去って行く。月は再び雲に覆われ、空は闇に包まれようとしていた。




