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蒼い瞳の狐

 その日の前線飛行場は砂と油の匂いが混じっていた。前線飛行場といえば聞こえがいいが、古い高速道──計画は中途で放棄されたが──を手直しし、かりそめの駐機場と整備ハンガーをこしらえた粗末な物だった。隊員宿舎や指揮所、ブリーフィングルームですらテントやプレハブの寄せ集めに過ぎない。


 当然、到底まともな基地と呼べる代物ではないこの飛行場には常設の飛行隊は存在せず、戦闘で損傷したり不調で所属基地に帰投できない機体の待避所として機能していた。それ故か、帰りの為の燃料と整備部品と整備員は充実している方であった。


 この基地に着任して間もない若い整備士のレオは、空戦を終え損傷、または不調でこの基地に降りて来た機体の整備に追われていた。彼だけではない、他のベテランたちも一様に忙しなく機体の整備や機材のやり取りに追われている。


「おいレオ、そこはもういい。お前は13番と15番のハンガーを開けとけ」


「了解しました。まだ降りてくるんですか。随分と忙しいですね」


「いや、『宿泊客』じゃなくて『入居者』が来るんだ。ほら、さっさと動け!」


 整備班長のグレゴリー曹長は脚立の上のレオの尻をひっ叩いてどかし、位置を代わって慣れた手つきで機を整備する。それを横目にちらと見てレオは走り出した。


 走りながら視界の端に映る滑走路は埃が舞い、敷かれた舗装はひび割れ、お世辞にも良好な環境とは言えない。誘導灯もドラム缶に火を灯して代用していないというだけマシ、殆どありあわせの端材を流用したようなもので、いざ点灯すればその光量はまばらな粗末極まりない出来だった。


 とんでもない地の果てに来たものだ。レオは独り言ちながら、物置と化したハンガーから荷物をどかし、受け入れ準備を始めたのだった。


 一時しのぎの待避所に過ぎないこの飛行場に入居者、つまり常設の飛行隊が来るとは。戦況が余程ひっ迫しつつあるのか。口には出さないが、飛行場に屯する兵員や整備員たちはそんな空気を感じつつあった。


 あまりの粗末さに上空を飛び抜ける敵機すら手を出す事が無かったこの基地だが、今後は空爆を受けるかもしれない。戦争の影が自分達を覆い始めた事に、楽観的だった者達は深いため息を漏らした。


 一機、二機と損傷が軽微だった正規軍機が整備と修復を終えて飛び立っていく。後から来る傭兵に気を使っての事ではない。こんな粗末な場所で一夜を越すなど御免被りたいのだろう。


 陽が傾き、空と大地が橙色に染まる頃には殆どの正規軍機は飛び立ち、昼過ぎの空戦で殿を務めたという四機だけがこの飛行場に残っていた。彼らは随分と無理をしたらしく、ベテラン整備員のグレゴリーも損傷度合いに手を焼いていた。彼らは他のパイロットたちと違い、残念ながらここで一泊を覚悟しなければならない。


 去り行く多数の正規軍機と入れ替わりに、基地のレーダーが接近する複数の機体を捉える。


「司令、客人が来ました」


「うん、傭兵どもだな。受け入れ準備は」


「完了しています」


「よろしい、では着陸したらブリーフィングルームに出頭するよう伝えろ」


 基地司令はデスクの書類をファイルに納め、帽子を拾い上げて埃を掃う。一番環境の整った指令室だが、所詮はボロのプレハブに過ぎず、昼過ぎから離発着が複数回繰り返されれば、舞った埃が何処からともなく流れ込んでうっすらと堆積してしまう。


 傭兵とは言え部隊を置く基地として機能するのだ、設備改善の具申をしても罰は当たらんだろう。基地司令は上層部へと送る改善案の草案を頭の中で組み上げつつ部屋を出る。


 北の空から俄かにジェットエンジンの轟音が聞こえ、目を凝らせば幾つかの黒い点が見える。それはやがて大きさを増し、数が数えられるようになる。機数十三、飛行隊としては十分な数ではないか。


 いや、おかしい。数が足りない。基地司令は顎を擦りファイルから書類を一枚取り出して着任予定の数を数え直す。確かに十四機と記されているが、一機足りない。事故か、それとも逃げ出したのか。後者だとすれば明確な契約違反だが、傭兵にはままよくある事だ。


 基地司令はブリーフィングルームとして使用しているプレハブの戸を開ける。ここも指令室よろしく埃が積もりがちな場所だが、今日はやけに少ない。そう思った矢先、ふと先客の姿がある事に気付いた。


「何をしている」


「ああ、えと、整備が一段落したので、掃除を。ほら、新しい人たちが来るから」


 レオだった。整備が一段落し、グレゴリーにでも掃除してこいとでも指図されたのだろう。が、もうすぐ傭兵達が居りてくる。そうなれば優先すべきはそちらの方だ。


「いい、いい。後は私がしておく。君は、自分の仕事をしてきたまえ。客人が降りて来るぞ」


 基地司令は掃除用具を寄こせと身振りで示し、レオから一式を受け取ると彼の背を叩いて外へと急かす。この基地は本当に間に合わせの様なものであり、清掃要員などという物は存在しない。なので持ち回りで掃除をするのであるが、すぐに汚れてしまうため誰もやりたがらず、いつしか掃除当番という物は有名無実化していた。


 だが、人手がこれから増える。掃除は地上で暇している際に傭兵どもにでもやらせればよいだろう。接近するジェットの轟音に、司令は鼻を鳴らした。



 降りてくる機影をレオは横目に眺める。機種はてんでバラバラ、各機の技量も塗装も同様。最初に降り立ったSu-22(フィッター)は滑走路の幅や夕方の暗さで距離を見誤ったか、路面に強く機体を降ろして数度跳ねさせた。次に降りて来たMiG-23(フロッガー)はセンターを外し、滑走路の右側ギリギリで着地した。そのまた次のA-7E(コルセアⅡ)は着陸速度が速すぎ強く踏んだブレーキでタイヤが白煙を撒き立てた。その後も降りてくる連中といえば、数機は着陸を上手くやってのけたが他は最初の連中同様、酷いと言うほどではないが上手な着陸ではなかった。


「よくもまあ、随分古い機体ばかりだぜ」

「どっかの企業がスクラップヤードから引っ張り出した機体を安く修理して売ってんだとよ。貧乏傭兵どもにゃ人気の品さ」

「お古の東側部品には事欠かないからな、此処は。西側のはどうか知らねえが」


 整備兵たちの視線を受けながら、傭兵どもはぞろぞろとタクシーウェイを並んで走り各々先着順に駐機スペースに機を滑り込ませ、それらが一段落着くとエンジンが停止、駐機場に鳴り響くジェットのエンジンサウンドは消え、かき消されていた整備兵達のがなり声が聞こえるようになった。


「あぁ、ひっでェ基地だぜ。なんて滑走路してやがんだ、アウトバーンに降りる方が上等だ」


 Su-22のパイロットはタラップで機体から降りるなり開口一番この基地への不満を漏らした。無理も無いが、やってくるなり文句を言うのは心象が悪い。整備兵たちは自身に言われたものではないし、事実ではあると認めつつも眉間に皺を寄せ、彼の方をじろりと睨む。


 そんな視線を知ってか知らずか、そのパイロットは機体の周囲をぐるりと一周しチェックを済ませると、整備兵に手渡されたチェックリストにサインをしてからぶっきらぼうに自機の状況、不調部位や調整項目、点検項目などを伝える。その態度はまるでパイロットこそが空軍のヒエラルキーに於いて頂点であるとでも言うかの様に尊大で、たった数分で彼は整備兵たちの好感度を地の底まで落とす事に成功していた。


 が、彼に限らず、彼ほどではないにせよ他の傭兵達も荒くれ者、ならず者、古強者という雰囲気に違わぬ態度を取っていた。その態度がレオは気に入らなかったが、ベテランのグレゴリーは慣れた者であるらしく、一々喧嘩などして仕事の手を止めるのもバカらしいといった風に黙って機体のパネルを開き、各部の点検整備に移っていた。


 しかし整備兵と折り合いが悪いパイロットが操縦する機はどのような扱いを受けるのか、それは火を見るより明らかである。自身が整備した機が整備不良で墜ちるという事をプライドが許さぬグレゴリーがその手の事に手を染める事は無いが、彼以外の誰かはやるかもしれないだろう。


「パイロットはブリーフィングルームに出頭しろ」


「ブリーフィングルームって何処だよ、こちとらたった今降りて来たばっかで案内もねーんだぞ」


「アンテナが立ってるプレハブの横だ、見ればわかる。そう書いてあるからな」


 基地の事務方が声を張り上げてパイロットたちを呼ぶ。長旅で疲れ切った傭兵達は着いて早々の集合命令に、文句を垂れつつも重い足取りで集合場所へと向かい始める。


 その時、日が傾き夕暮れの垢が強くなった空にジェットの轟音が響いてくる。すでに全機降りて来たと油断していた対空要員が慌てて腰を上げ、駐機場の脇に据えられた対空銃座に駆けだそうとしたのを傭兵パイロットが制した。


「ありゃ俺達のツレだよ。やっとで登場だ」

「律儀な奴でな、着陸する時に撃たれるのがヤダってんで一機警戒してから降りてくんだ」


 遅れて基地に現れたその機を、整備兵も傭兵達も見上げる。機種はミラージュF1、機体を夕陽の赤に染め、脚を出して緩やかに降りてくる。


 その機は他とは違った。機体それその物に何がどうという違いは機種以外に無く、塗装もありふれた物で、外板に損傷を修理して継ぎ接ぎされた跡があるのも他の傭兵達と同様であった。その違いは、着陸によって見せられた。


 その機はまるで滑走路のコンディションを完璧に把握していたかのように降りて来た。路面の凹凸や幅、夕暮れ時の光量による見当識の乱れなど意に介することなく、水鳥が湖面に降りて来るかの如く静かに降り立って見せたのだ。


 そのミラージュは空きスペースに駐機し、しばしの後エンジンが停止する。整備兵たちが機体に駆け寄り、タラップを用意したり輪留めを掛ける中、ふと、バイザーを上げたパイロットの目とレオの目が合った。


 青い瞳。鋭く、地上に降り立ってなお機を降りるまで警戒を緩めない瞳に、一瞬レオは気圧される。その眼光は荒くれ者共の傭兵とは違い、背筋がひやりとするものの、彼は不思議と不快感はを感じる事は無かった。


 キャノピーが開き、立て掛けられたタラップからミラージュのパイロットは地面に降り立つ。その姿を見ていた整備兵の数人がヒュウと口笛を鳴らし、近くの仲間と何事かをボソボソと噂する。そのパイロットは女だった。女日照りの男共がやや下卑た反応を示すのも無理はない。まだヘルメットも脱いでいないが、耐Gスーツに包まれた彼女のボディラインがそれを物語っていたのだ。


 彼女はこの基地まで自身を運んできた鉄の鳥の周囲を一周、ポスト・フライト・チェックを済ませ一息ついてからやっとヘルメットを脱ぐ。


 美しいブロンドが砂塵混じりの風に靡き、流れる長髪の隙間から夕陽が乱反射し光を散らす。それをかき上げ露わになった表情は穏やかで、コクピットからレオを見据えた瞳の鋭さは失せており、その青い眼は波一つない水面を思わせた。


「あなた」


 その女パイロットは静かな、しかしよく通る声でレオを呼びつけた。あなた、という呼びかけにほかの整備兵かとレオは周囲を見回すが、対面している相手は明確に自分だけで他の整備員たちは忙しそうに動き回っており、声を掛けられる対象は自分しかいない事を察した。


「そう、あなた。私の機、着地した時に右の脚が少し沈むのが早かったの。油圧か、何処か確認してほしいわ。それと格納扉も。出るのが少し遅かった」


「ええ、はい。承知しました」


「ありがとうね。出来る範囲で構わないわ。多分すぐ飛ぶから」


 ありがとう と来たものだ。レオは少し面を喰らったように各種チェック項目が記されたファイルを抱える。他の傭兵達ときたら整備員が機体を整備するのは当然、礼の一つ、ねぎらいの言葉すらも言わないというのに、このパイロットは態度すら何もかもが違っていた。


「ミラージュF1、ヨーコ・アバークロンビーか?」


 駆け足でやって来た基地司令の副官が女パイロットに話しかける。機体とパイロットを交互に見、ファイルのリストを指でなぞって確認、顔写真とも照合して本人かを確認する。が、副官は怪訝な顔をしてファイルとヨーコの顔を何度も見比べる。


「この写真は、なんだ、どういう事なんだ」


 ヨーコが副官の脇からファイルを覗き込み、ああ、と何かを思い出したように頷くと、彼女のボリュームのある長いブロンドの髪の頂点に、ぴん と狐の耳が立ち上がった。


「なっ」


「ごめんなさいね、ヘルメットをしてると畳んでいるから、戻すのをつい忘れちゃうの」


「その耳、冗談か何かじゃなかったのか……」


「失礼ね。ブリーフィングルームはあっち?」


 もう十分だろう、確認は取れただろうとヨーコは足早に歩きだす。自分自身遅れて到着しているのは理解しているし、あまり待たせるのも悪いだろうと思ってはいた。副官は半ば呆気に取られながらも、間の抜けた返事を返してヨーコを見送った。


「……君、見たかね」


「えぇ、見ました」


「本物だと思うか」


「まぁ……聞いたことはありますけど、見るのは初めてです」


「私もだよ」


 レオと副官は狐につままれたように立ち尽くしていた。

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