22
翌日、朝から鈴は将軍家の御用品の準備に取り掛かっていた。特別に選んだ最高級の絹布に、独自に調合した藍染料で丁寧に模様を染め上げていく。
「お母様、この模様は何ですか?」
茜が興味深そうに尋ねた。
「これは『風神』よ。風の神様が描かれた古い絵をもとにしたの」
「すごい!生きているみたい」
鈴は満足そうに微笑んだ。彼女の描く風神は、まるで布の上で舞い踊るように見えた。
そのとき、店の入り口で人の気配がした。
「いらっしゃいませ」
茜が出迎えに行った。しばらくして、彼女は驚いた表情で戻ってきた。
「お母様、叔母様がいらっしゃいました」
鈴は手を止め、驚きの表情を浮かべた。
「お琴が?」
鈴が仕事場から出ると、そこには十二年ぶりに再会した姉の姿があった。
「久しぶりね、鈴」
お琴の声は、以前のような冷たさはなく、少し疲れたような、しかし穏やかな響きだった。
「お琴……どうしてここに?」
お琴は鈴の仕事場を見渡した。質素ながらも、整然と並べられた染料や道具。そして、壁に掛けられた美しい布。
「あなたが『藍の風』なのね」
鈴は静かに頷いた。今さら隠すつもりはなかった。
「お琴、何の用かしら?」
お琴は深呼吸をした。この瞬間のために、彼女は長い間、心の準備をしてきた。
「藍風堂で働かないか?あなたの技術があれば、店は立ち直る」
鈴の表情が固まった。これは予想外の申し出だった。かつて追い出した妹に、今さら頭を下げるのは苦しかったが、お琴には選択肢がなかった。
「条件は何でも飲む。店の半分をあなたに譲ってもいい」
鈴はゆっくりと立ち上がり、静かに首を横に振った。
「お断りします」
「なぜ?復讐のチャンスじゃないの?」
鈴の唇に小さな笑みが浮かんだ。
「復讐なんて考えたことないわ。私は自分の道を歩むだけ」
お琴は驚いた表情を浮かべた。彼女は鈴が憎しみを抱いていると思っていた。しかし、妹の目には怒りではなく、静かな強さだけが宿っていた。
「あなたは変わらないわね。いつも……風のように自由」
お琴のその言葉に、鈴は少し驚いた表情を見せた。
「お母様、茶をお持ちしました」
茜が二人のために茶を運んできた。お琴は茜の姿をじっと見つめた。
「あなたが茜ね。立派に育ったわ」
茜は丁寧にお辞儀をした。
「初めまして、叔母様。お母様からよくお話を伺っております」
お琴は眉を上げた。
「私のことを?」
茜は頷いた。
「はい。お母様は『お姉さまは強い人。時々間違った強さを見せるけれど、心は優しい人』とおっしゃっていました」
お琴の目に涙が浮かんだ。彼女は自分の感情を抑えられなくなり、立ち上がった。
「帰るわ。時間を取らせてごめんなさい」
お琴が店を出ようとしたとき、鈴の声が彼女を引き留めた。
「お琴、あなたは『藍の風』を差し向けたの?」
お琴は立ち止まったが、振り向かなかった。
「何のことかしら」
「あの火事の夜、私と茜を助けてくれた人。老婆からも聞いたわ。あなたが命じたんでしょう?」
お琴はわずかに肩を震わせた。
「勘違いよ。私はただ……」
「ありがとう」
鈴の言葉に、お琴はようやく振り向いた。そこには、妹の優しい微笑みがあった。
「何も……していないわ」
そう言って、お琴は店を後にした。




