21
藍風堂に一人の若者が訪れたのは、その日の夕刻だった。
「お琴様、大変でございます!」
店の若い職人が慌てた様子で報告した。
「何事だ?」
「大奥からの注文が、すべて『藍の風』に回されたそうです!」
お琴の顔が青ざめた。大奥からの注文は藍風堂の看板だった。それが他の染物師に奪われるなど、考えられないことだった。
「誰から聞いた?」
「大奥の用人・玉川様から直接、断りのご挨拶がありました」
お琴は言葉を失った。彼女は昔から関係を築いてきた大奥への信頼を失ったのだ。
「すぐに『藍の風』を探し出せ!その正体を知りたい」
お琴の命令で、藍風堂の者たちは「藍の風」の正体を探し始めた。しかし、それは形だけのことだった。お琴は既に、その正体を知っていたから。
その夜、お琴は父の位牌の前で独り、酒を飲んでいた。
「父上、私は間違っているのでしょうか。鈴を追い出したあの日から、藍風堂の魂も失われてしまったように思います」
位牌からの返事はなかったが、お琴の心の中で、父の声が響いたような気がした。
「お前たち姉妹が合わさって、初めて真の『藍の風』になる」
お琴はハッとして顔を上げた。そうだ、父の言葉を思い出した。彼が姉妹に託した夢を。
「清兵衛」
お琴の声に、隣の部屋で休んでいた清兵衛が駆けつけた。
「はい、お呼びでしょうか」
「あの日から、ずっと鈴を見守ってくれてありがとう」
清兵衛は驚いた表情を浮かべた。
「若様……」
「知っているのよ。あなたが『藍の風』という侠客を装って、鈴を助けていたことを」
清兵衛は頭を下げた。
「お見通しでございましたか」
「あなたの粋な計らいがなければ、鈴はあの火事で命を落としていたかもしれない」
お琴は窓の外を見た。空には満月が輝いていた。
「清兵衛、明日、私を鈴のところへ連れて行ってくれないか」
清兵衛は静かに頷いた。
「かしこまりました。若様のお気持ちが、鈴様に届きますよう」
その夜、お琴は久しぶりに安らかな眠りについた。




