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小石川から離れた場所にある藍風堂では、お琴が帳簿を前に眉をひそめていた。三十五歳になった彼女の表情には、かつてないほどの疲労と焦りが刻まれていた。
「売上がまた下がっている……」
お琴の言葉に、年老いた清兵衛は頭を下げた。
「申し訳ございません。昔からのお得意様も、最近は『藍の風』へ流れるようで……」
お琴は不快そうに唇を噛んだ。「藍の風」――その名前は最近、江戸中で評判になっていた。特に大奥の女中たちの間で人気を博していると聞く。
「清兵衛、あの『藍の風』とやらの染め物を見てきたか?」
清兵衛はゆっくりと頷いた。
「はい。例の通り、毎月拝見しております」
お琴の命令で、清兵衛は三年前から鈴の元を訪れ、その仕事ぶりを密かに見守り、報告を続けていた。
「どうだ?」
「年々上達されております。特に最近は、模様の中に風だけでなく、水や光まで表現されるようになりました。見る者の心を捉えて離さない魅力があります」
お琴はため息をついた。
「最近、大奥からの注文が減っているのは、そのためか」
「恐れながら……そうかと存じます」
お琴は立ち上がり、窓の外を見た。かつて父が営んだ藍風堂は、江戸随一の染物屋だった。その名声がいまや「藍の風」に奪われつつある現実に、彼女の心は複雑な感情で揺れていた。
「『藍の風』……なぜその名前を」
お琴のつぶやきに、清兵衛は答えなかった。彼は主の複雑な思いを理解していた。




