まᑐჳゎぬぉ団子 二
「おそれいります。わたくし、株式会社わたのはらの鏡谷と申します。──夏目さまには専門書の注文をうけたまわっておりまして」
涼一は切りだした。
「専門書──ですか?」
おどおどとかわいい声が答える。
「ええ──発行部数も少なく、少々手に入りにくい御本でしたので、夏目さまにはだいぶお時間をいただいてしまいまして。さきほどようやく納品されたもので」
ここでわざと声のトーンを落とす。
「──申し訳ありません。わたくしも夏目さまに一刻もはやくお知らせしようと思うあまり……授業中だったんですね。ご迷惑をおかけしました」
運転席で、土屋が音を立てずに控えめな拍手をしている。
茶化すなという目線を送った。
「──ええええええと、授業中は、こここういったことは、ひか、ひかえてくださいっ!」
佐藤先生ことむつみっち先生が、懸命に強がった言いかたをする。
「もちろんでございます。たいへんご迷惑をおかけしました。──あの、ちなみにお聞きしてもよろしいでしょうか。先生の教科のご担当のほうは」
「──わわわたしの担当の教科が、かか関係あるんですかっ?!」
むつみっち先生が、せいいっぱい虚勢を張った声を出す。
涼一は、ハリネズミの子供を連想した。
「いえ、失礼いたしました。じつは夏目さまが注文されていた専門書というのが、ABC予想と宇宙際タイヒミュラー理論に関してのものでして。高校生のお嬢さまが、ずいぶんとむずかしい本を注文されるんだなと思いお聞きしましたら、数学の先生がすてきな先生でその影響なのだとうかがいまして」
「──わ、わたし数学ですけど」
むつみっち先生が、少しだけ気勢をそがれたような声を出す。
「なるほど。いや、いまなんとなくそうではないかと思いまして。夏目さまがとても緊張されて授業を受けていらした様子でしたから。──あこがれの先生の授業ならそうもなりますよね……いや、そんなところをお邪魔してしまって、先生にも夏目さまにもほんとうにご迷惑をおかけしました」
「──い、いえ」
むつみっち先生が、どう返していいか分からないというふうにおろおろする。
「夏目さまの言うとおり、ほんとうにすてきないい先生ですね。──では。ほんとうに申し訳ありませんでした。おそれいりますが、もういちどだけ夏目さまに代わっていただけますか?」
「──あ、はい……」
むつみっち先生が、とまどったように返す。
言っている内容がどうかよりも、こういうおろおろしたタイプは有無を言わさずたたみかけるに限るなと涼一は思った。
「──はい」
もういちど爽花が通話口に出る。
「おまえがむつみっちセンセにあこがれてて大好きって設定にしてやったからな。つじつま合わせるためにABC予想か宇宙際タイヒミュラー理論の本読んどけ」
「──なにそれ、どっかの魔導書?」
「ABC予想はこのまえ証明されたってやつ。宇宙際タイヒミュラー理論は、ABC予想解くのにつかったやつ」
「──分かんない」
「分かれ」
涼一はそう返した。
「──なんかの魔法の呪文?」
「数学」
涼一は答えた。あとなんかあるか、というふうに土屋のほうを見る。
「授業中なら本題はあとでいいよ。さやりんに、悪いけど昼休みにかけ直してって伝えて」
土屋が手をふる。
「──だとよ。昼休みにかけ直せ」
涼一はそう告げて通話を切った。
「声のトーンがぜんっぜん違うのな。さすが鏡谷くん、こっわ」
土屋がゲラゲラと笑いだす。
「おまえもこんな感じだろ、営業んとき」
涼一はそう返した。
「何でむつみっち先生が数学だって分かったの」
「分かんね。ほかの教科言われても、ともかくセンセの影響にこじつける気だった」
助手席のドアを開ける。
「つぎの営業まで二時間だっけ。昼めしはそのあとって感じ?」
「そう思ってたんだけど、そっちは?」
土屋が尋ねる。
「同じ。昼ちょっとすぎくらいになるかなって」
「んじゃいっしょに食わね? 昼ごろスマホにかけるから」
「おう」と返事をしようとして、涼一は助手席のドアを開けたまま動作を固まらせた。
「どしたの」
「いや……外食してて見えなくなったら、そこの店内で “あーん” されんのかって一瞬よぎって」
「ああ……」
土屋が運転席から降りて宙をながめる。
「しゃあない」
「……しゃあなくねえよ。そんときはさっさと会計すませて車に乗せてくんね?」
「とりあえず解除できるっぽいキーワード見つけたんだから、まずそれをさ」
土屋がそう返してくる。
涼一は、アスファルトの地面をなにげなく見つめてそのまま動作を止めた。
「あ」
「なに。来た?」
土屋が問う。
「見えね……」




