ハッピーハザード! 03
「あ!」
「……」
第二応接室の前で立ち止まる。
同時に呼び出されたのだから、どこかで鉢合わせすることは分かりきっていたのだが、それでも、なぜかこちらを見て嬉しそうな顔をしているレティシエルを見ると、昨日の騒動を思い出して気力がげっそりと削がれる。
結局なにも言わずにクリスリデルは応接室の扉に向かった。
「こんにちわきくちばさんっ!」
「ぇいっ!」
ところがいきなり片腕に抱きつかれてクリスリデルは面食らって素っ頓狂な声をあげた。
あり得ないことだった。クリスリデルが他人からの望まぬ接触を躱し損ねるなど。
「こんな所で会うなんて奇遇ですねっ! 応接室にご用事ですか? 実はわたしもなんですよう!」
「ああそうだねついさっき放送があったもんね!」
気を取り直して腕の拘束を解く。
クリスリデルが抱える障害ゆえに、それは造作もないことだった。
ところが、手の中から相手の腕の感触が消失しただろうにも関わらず、宙を掻いたレティシエルの両手が瞬時に再びクリスリデルの腕を絡め取った。
「えいい!」
あり得ない事態の連続に泡を食う。
避けるつもりで躱すクリスリデルを捉えることができたのは、これまでは幼馴染みのミーアメリィただ一人だけだったのに。
それがなぜこうもあっさりと捕まるのか。
「せっかくですから、せっかくなので、そこまでご一緒しましょう? 」
「もう目の前だし、まっぴら御免だ!」
喚くように吐き捨て、クリスリデルは片腕を掴まれたまま応接室の扉をく ぐ り 抜 け た。
「ぶきゃ!」
レティシエルの顔面が扉に激突する音と苦鳴が同時に響いた。
先に入室したクリスリデルの背後で、レティシエルがその重厚な黒いドアを開いて入ってきた。
「痛いじゃないですかー!」
「知らないよ! 勝手にドアにぶつかったんじゃないか」
涙目で赤くなった鼻を押さえて突進してくるレティシエルに、クリスリデルは素っ気なく返す。
苛立ちを抑えきれず意地悪をするつもりで腕を取られたまま扉をくぐり抜けたのだ。
「ううん、このくらいへっちゃらです! わたしたちは、どこまでも一緒ですよっ!」
「いや、ここが目的地で、もうおしまいだから結構だよ!」
「……おまえら、せめて入る時はノックしろ」
言い合う二人に、陰鬱な溜め息がまるで工場の廃煙のように取り巻いた。
そのあまりのネガティブなオーラに、思わず二人そろって煙を払う動作をしたほどだ。
室内を振り向いたそこ、応接用のソファに沈没するかのように座り込んだ男の、まるで仕事に疲れた疫病神のような落ち窪んだ暗い眼差しが、見返す二人に絡みついてくる。
「……いい歳こいて礼儀がどうだとか下らんことを言わせるなよ面倒くさい。 領域を仕切るドアをくぐる時はな黄朽葉。そのドアを殴打しておくと良い事がある。不幸な事故の防止と、運命の出会いと、それから老朽化したドアを交換する口実だ。 覚えておけ」
「すみません」
咎めた担任──構内放送の声の主である教師に素っ気なく応えてクリスリデルはすたすたと応接ソファに挟まれたテーブルの方へ進んだ。
深刻に陰気な態度と、裏腹な頓珍漢な物言いもいつものこと。このキシリナム・アセト・バクトール教師においては。
まともに取り合うととてつもなく疲労することになるので、アセト教師に対する返事は最低限にまとめることが肝要だ。
「それからペリエ。ノックは顔じゃなくて、手でやれ。あと、割るならお前の頭じゃなくてドアにしろ。交換させる口実になる」
「わたしの頭も大事にしてくださいよう」
クリスリデルがテーブルの横に立ち止まったところで、レティシエルが遅れてばたばたとクリスリデルの隣に並び立った。
それも、腕が触れる至近距離。いや、もうぐっと密着してきた。
「って、だからなんでくっつくの!」
「そりゃ、わたしも恥ずかしいですけどお」
慌ててクリスリデルが一歩離れるが、その度にレティシエルも、もじもじしながらずいずいと間合いを詰めてくる。
「でもでも、やっぱりこうぴったりと寄り添うものじゃないですか?」
「さっきから、てか昨日からなに言ってるのかさっぱり分からないよ!」
「……おまえらいちゃいちゃと鬱陶しいわ。 いいからそこに座れ」
「いちゃいちゃじゃないですよ!? 」
アセト教師にきっぱりと訂正してからクリスリデルは示された対面のソファに転がり込んだ。
そして、やっぱりレティシエルがクリスリデルの隣に腰掛けた。
それもクリスリデルの脇腹が肘掛けにめり込む勢いで身を寄せてくるのだ。
「押 さ な い で く れ る か な!」
「なに言ってるんですか! 二人のココロの距離は、こんなもんじゃないですよ?」
「おかしいな! 僕は心も掠る事すら認めたこともないんだけどな!」
ぎゅうぎゅう圧迫されるのに耐えかねたクリスリデルはソファの反対端に移った。
突然押し寄せていた姿が消失してつんのめったレティシエルは、肘掛けにしがみついて辺りを見回すと、目敏く反対端のクリスリデルに気付くと再びよちよちと尻を突いて距離を詰めてくる。
「ああもう!」
「……若いって、いいよなあ黄朽葉?」
はああと吐き出された黒煙のごとき溜め息に、二人が身動きを止めた。
「あのう。だから、人聞きの悪いことを言わないでくれますか?」
仰け反った姿勢でレティシエルの横面を片手で押し退けながらクリスリデルが半眼で応える。
「どうも何か忌まわしい誤解が僕の知らないところで発生しているようですけど……」
と、そこまで言ってクリスリデルは、レティシエルとそろって呼び出しを受けた現状をようやく思い出した。
同時に血の気がさっと引き、寒気に身を震わせた。
「……あれ? もしかして、僕らが呼び出された理由って……」
呆然と呟いたところで、向かいのアセト教師の顔面が陰惨な笑みの形に変形した。
──知られている。昨日の緊急隔離の件が知られている。
それも、年頃のクリスリデルにとっては魔王災害よりもある意味深刻な「女子生徒との外泊(緊急措置)」問題が。
「いや、ちょっと、まさか先生までそんなこと真に受けてませんよね!」
昨日からの急展開に、最悪の続きの気配を感じて青ざめる。
そんなクリスリデルの様子を見てアセト教師がさらににやりと凶悪な笑みを浮かべた。
「くはは。小僧どもの不純異性交遊なんぞにいちいちツッコミ入れてなんかいられるか面倒くさい。そういう時は生活指導室に呼ぶわ」
「いやだからそれは……!」
血相を変えたクリスリデルの反応に、アセト教師がなんとも邪悪な笑い声をあげた。
「く、は、は、は。 心配するな。お前には、俺なりに信頼を置いている。面白かったから、ここはこのくらいにしておいてやろう」
「……は?」
アセト教師の言う事は真に受けてはいけない、という教訓をすっかり忘れたクリスリデルはうっかりイラッとしてしまった。
だがしかし、横からの圧力は止まらない。ふと見ると、押し退けるクリスリデルの手にめり込んでいるレティシエルの顔面の、唇がタコのように突き出ている。あろうことかキスを迫っているつもりらしいが、もはや女の子のしていい顔ではない。
「んー! んー!」
「……ちょっと。そろそろ人類に戻ってくれないかな」
「どういう意味ですかー!」
クリスリデルに顔面を握り締められたままレティシエルが両腕をぐるぐると回した。
「いやほら、呼び出しの要件。なんてゆうか、さっきから自分を見失い過ぎ」
「え?」
言われ、クリスリデルの指の先を振り向いたレティシエルは、不思議そうな顔でアセト教師を見つめた。
「あれ? なんで先生がこんな所にいるんですか?」
「……なんだ。俺は席を外したほうがいいか」
しばし呆然とすると、レティシエルはクリスリデルから飛び退き大慌てでソファの反対端に座ると顔を真赤にして縮こまった。
「まままままだ早いですようっ! きくちばさんたらっ!」
「だああ正気かあんたら! そもそもなんのハナシだよ! 先生も意味の分からない気遣いはやめてくださいッ!」
向かいに隣にとツッコミに苦心しているクリスリデルに、アセト教師がハエでも追い払うように片手を振った。
「く は は。冗談だ。事情は理解しているし、問題にもならん。じきに来客が戻ってくるから、そろそろおとなしくしていろ」
「来客?」
クリスリデルが怪訝に聞き返した。
「僕らが呼び出された用件て、昨日の事じゃないんですか?」
「まあ、それもあるな」
「それ"も"?」
クリスリデルは呼び出された理由の見当が付かず、眉をしかめて首を傾げた。
ちょうど昨日魔王災害に巻き込まれかけた当事者二人。けれど男女外泊の件についてはお咎め無しと言う。
それに加えて来客とやらが参加する話など、なおさら意味が分からない。
「聞けば分かる。 それに、今回の話は恐らく、お前の人生にも関わる」
言葉の途中で、突如応接室のドアが開かれた。
「ご~めんなさあい? もう来ちゃってたかしら」
投げ掛けられた艶やかな声が、応接室に充満していた陰鬱で奇妙な空気を一息に払拭した。




