8話 期待
だらしない昼寝から覚めたとき、部屋は静まり返っていた。カーテンの隙間から差し込む光がやけに眩しい。
どうやら私は、随分と長く眠っていたみたいだ。
「……あら」
目をこすりながら身体を起こすと、すぐそばに気配を感じた。視線を向ければ、椅子に腰掛けたままのルシオンがこちらを見ている。
「まだいたのね」
「監視ですので」
「……やっぱり便利ですわね、それ」
そう言いながら、ベッドの縁に足を下ろす。床に触れた瞬間、妙に現実に引き戻される感覚がした。
「——ねえ、ルシオン」
「はい」
「人って、どこまで期待されると思いまして?」
彼は即答しなかった。ほんの少し、考えるような間があってから口を開く。
「立場によりけりかと」
「でしょうね」
私は立ち上がって、窓の方へ歩いていく。外では何事もないように、小鳥がのんきに歌っていた。
「期待されるって、面倒ですのよ」
ひんやりしたガラスに触れながら、ぽつりと呟いた。
「できて当たり前。できなければ失望。少しでも外れれば、すぐに評価は落ちてしまう」
指先で、遠くに見える木の枝をなぞる。
「だったら、最初から底にいればいい」
そう言いながら振り返ると、ルシオンは無表情のままこちらを見ていた。
「最初から"できない人間"、"おかしな人間"でいれば——何をしても驚かれないし、がっかりもされないでしょう?」
「……なるほど」
「それにね」
私は肩をすくめてから、呆れたように小さく笑う。
「どうせ人は、見たいものしか見ませんもの。だったら好きに見せてあげればいいのよ」
狂人だと思いたいなら、そう思わせておけばいい。その方がずっと楽だから。
「楽、ですか」
「ええ、とっても」
彼に即答してから、ほんの一瞬だけ言葉が詰まる。胸が少しだけちりちりする。けれど、それを誤魔化すようにまた窓の方を向く。
「……まあ、退屈しのぎにもなりますし?」
私はあっけらかんと言い放つ。すると、ルシオンはゆっくりと立ち上がった。
「では、その“退屈しのぎ”とやらに付き合いましょう」
「……でも、あなたの役割は監視でしょう?」
「どちらでも」
相変わらずのズレた調子に、思わず吹き出しそうになった。一人のレディとして耐えたけど。
私は扉へ向かいながら、ちらりとだけ振り返る。
「いいこと? 今日は少しだけ"普通"に振る舞いますわ」
「……なぜですか?」
「決まっているでしょう」
いつもの笑みを浮かべてから、私は答える。
「たまにまともなことをすると、評価が跳ね上がるんですもの」
——ほらね、と言わんばかりに。
そうして私は、何事もない顔で部屋を出た。
久々に絵でも描こうと思い、使用人に画材を持ってこさせる。庭園に向かうと、春のあたたかい風が私の髪を揺らした。
誰にも評価されないものを描くのは、気が楽でいいから。




