4話 変わる日常
「——嫌ですわッ!!」
私の絶叫が会場に響いた。周りの貴族は大半が肩をびくっと揺らしている。腕を組むのをやめ、殿下の方へ向き直る。
「なぜ、何故彼なんですの……!?」
「彼が適任だろう。君みたいな人間を止められるから」
オルヴィエ殿下を思いっきり睨むと、彼はばつが悪そうに顔をそらした。
——と思えば、私が“嫌がらせをした女”だと思い出したのか、すぐに居直る。
「とにかく、これは決定だ」
私が言い返そうとする前に、殿下はリリアーナの元へ戻ってしまった。その背中に怒りを込めて視線を送る。
「よろしくお願いします」
(まあ、どこの馬の骨ともわからない人よりはマシね)
私はルシオンに向き直る。彼は相変わらず無表情のまま。この状況でそれは逆にすごいと思う。
「……わかりましたわ。邪魔にならないようにしてくださいね」
「了解です」
彼からの「了解」を聞いて、私は一つ息をついた。
こうして、私の誰からも邪魔されない自由な暮らしが——始まるわけがなかった。
*
翌日。伯爵家の別荘で目覚めた私は、それはそれは優雅な朝を迎えていた。
昨日、城にあった荷物を運んできたのだ。驚くほどに少なかったそれは、私の城での生活を物語っている。
ベッドの上で伸びをして、洗面器で顔を洗う。それから散歩をしようと自室の扉を開け——
「おはようございます」
「ぎゃあ!!」
目の前に、ルシオンが立っていた。
「何故いるのですか!!」
「監視役ですので」
朝だというのに隙が見当たらない。無表情で部屋の前に突っ立っている。異様な光景すぎて、まだ寝起きの頭ではうまく処理できない。
「部屋の前に立つ必要がありまして!?」
「あります」
「ありませんわよ!」
ルシオンは一拍だけ間を置いて、
「あります」
と同じことを言った。
「話になりませんわ」
私は彼の横をすり抜けて廊下へ出た。背後から一定の距離を保ち、足音が一つついてくる。
「……ついてこないでくださる?」
「監視役ですので」
「あらまあ、便利な言葉ですこと……!」
早足で廊下を歩いていき、食堂の扉を開けた。
机には食事が並んでいて、使用人が隅に控えている。私は椅子に座り、料理を食べ始めた。
ふと、隣の椅子が動く音がした。見ると、ルシオンが座っている。
「何故隣に?」
「監視です」
監視としか言わず、常に見張られている。心地のいいものではなかったが……この無表情には何を言っても無駄だろう。
食事が終わると、使用人たちによって着替えが始まる。
別荘の使用人には最低限のことしか頼んでいない。それに、パーティーのこともあってか、事務的にしか話しかけてこない。
それは楽でいいのだが——
「まだいたの」
「はい」
部屋の外にはルシオンがいて、壁にもたれていた。着替え中もずっとここにいたらしい。
(これなら、庭園にでも出た方がまだ居心地がよさそうだわ……)
私は彼を置いて廊下を進み出す。後ろから足音が聞こえるけれど、聞こえないふりをした。
玄関の扉を開けて、庭園のある方角に向かう。ポピーの咲き乱れる区画で立ち止まり、後ろを振り向いた。
目の前に壁——ではなく、ルシオンの胸板があった。
「もう! ついてこないでちょうだい!」
ずっと後をつけられるものだから、私はとうとう怒りをあらわにしてしまう。
「……わかりました」
と、あっさり承諾された私は、一度だけ目を見開いた。その後、鼻を鳴らしてまた歩き出す。
足音はついてこない。
(本当にやめたのかしら)
気になってしまった私は、後ろを向いて確認した。彼は——少し遠くからこちらを見ている。
気分がよくなった私は、さらなる静寂を求めた。ポピーの花畑を抜けて、隅にある木へと向かう。そして——幹に足をかけた。
木の皮を掴み、猫のように登っていく。横に突き出た枝に座り、ポピーの花畑を見下ろした。
「高い方が静かでいいですわね」
すると、ルシオンがこちらに近づいてくるのが見えてしまった。
「降りてください。危険です」
「ふんっ。これくらい大丈夫で——」
ミシッ、と枝が小さく軋んだ。その次の瞬間、足場が消える。
(あ、落ちる)
——衝撃は来なかった。代わりに、しっかりとした腕に支えられている。見上げると、そこには無表情があった。
「……だから言いました」
「は、離しなさい」
「まだです。枝が転がっていて危ない」
私を横抱きにしたまま、ルシオンは木から離れていく。ポピーの花畑にたどり着くと、私をそっと地面に下ろした。
「怪我はありませんか」
色とりどりのポピーに囲まれ、身を屈めているルシオン。銀髪が陽光で透け、その黒い瞳が私を見ている。
「……怪我はありませんわ」
可愛らしい花の中に、筋肉質な長身の男が立っている。しかも中腰で。
それがなんだかおかしくて、私は一つ息を吐く。
「……便利ね、あなた」
「便利、とは」
「何でもないですわ」
彼の横を通り抜けて、屋敷までの道を歩いていく。後ろから足音が聞こえるけれど、今度は何も言わないでおいた。




