2話 護衛騎士
外に出ると、春先の少しひんやりした風が頬を撫でていった。周りは静まっていて、私を見る人は誰もいない。
「ふふ、今まで何故我慢していたんでしょう」
自分を飾らないことが、私にはとても遠いものだった。常時気を抜いてはいけなかった。
そんな生活とはもうおさらばだ。
私は夜の澄んだ空気に鼻歌を混ぜながら、当てもなく歩き続けた。やがて、庭園の一角にあるベンチにたどり着く。
腰を下ろしてから夜空を見上げた。星々が祝福するようにまたたいている。檻のような世界が、今はとても広く見えて——
「ここにおられましたか」
「ぎゃあ!」
すぐ後ろから低い声がして、素っ頓狂な声を上げながら立ち上がる。振り向くと、大柄で無表情の男性が一人だけ。
「ちゃんと前から来てくださいませ! 心臓が飛び出そうですわ!」
私の喚きを聞いているのかいないのか、眉一つ動かさずに彼は言う。
「殿下より命令です。貴女を連れ戻せと」
(あの目ん玉節穴王子……)
どうせ責められるだけ。行くだけ面倒だ。
「嫌ですわ」
私は心の中で悪態をつきながらそっぽを向いた。すると、
「……そうですか」
と言ってあっさり引き下がった。予測していた展開と違うことに固まっていると、彼はそのまま続ける。
「では、気が変わるまで傍にいます」
「はい?」
私は目を剥いて彼を凝視した。宵闇の中に見える顔は相変わらず無のままで。
「聞いていましたの? 私は"嫌"だと言いましたわ」
「ええ。戻るのが嫌なのでしょう」
どこか浮いているような……そんな掴みどころのない手応えに、私はだんだんと苛々し始める。
「チューリップで飾ってさしあげましょうか? 花瓶みたいに」
「……俺に花は似合わないと思いますが」
不思議そうな顔をしながら、ここ動く気配は微塵もない。私はベンチに深く座り直して、前だけを見つめることにした。
「冗談が通じないんですね、あなた」
「まあ……頭が固いとはよく言われます」
そんな中身のない会話をポツポツと続けていると——
「ペリュン嬢」
向こうの方から誰かが歩いてきて、私に声をかけてきた。若い男性貴族……先ほどの私を見ていた一人だろうか。
「いやあ、婚約破棄を宣言されてお可哀想にと思いまして」
「……何が言いたいのですか」
私が睨みながらそう言うと、男性貴族は下卑た笑みを浮かべて手を伸ばしてくる。
「どうです? 私が慰めてさしあげましょうか?」
「気持ち悪いです」
私はその手を払ってから、軽蔑の眼差しを向けた。
「なんだと! この——」
男性貴族は怒りを抑えられず、手を上に振り上げた。そして勢いよく下ろされて——
「そこまでです」
気づけば、大柄な彼が私の前に立っていた。壁のような背中が私を覆い隠し、男性貴族の手を捻り上げている。
「な、何だ貴様は……!」
「彼女が嫌がっています」
男性貴族は顔を歪めながら、罵詈雑言を吐いている。大柄な彼は手をそのままに、私の方へ振り返る。
「排除しますか?」
「……別に。構うだけ無駄ですもの」
私の言葉に小さく頷いて、彼は手の力を緩めたようだった。男性貴族はネズミのように逃げていく。
「……強いのですね」
「騎士ですから」
確かに、彼は腰に剣を携えている。服装は緩いものの、剣は手離せないらしい。
「……感情はありますの? ずっと真顔ですけれど」
「あります。出し方が分からないだけで」
ふぅん。と鼻を鳴らしてから、私はベンチから立ち上がって伸びをする。
「あなた、つまらない方ですわね」
「よく言われます」
少しだけ間が空いた。夜風だけが鼓膜を震わせていく。
「……では、ついてきなさいな」
なんとなく、私は彼にそう言っていた。
「戻るのですか」
「ええ」
私の肯定に、初めて眉をほんの僅か上げていた。やっと表情が動いたのだ。でも、彼はそれに気づいた様子がない。
一人だったらそのまま帰っていた。しかし、この男はきっと、私が会場に戻らなければずっとついてくるから。
「了解しました」
まるで、ついていくのが当たり前のように彼は頷く。その様子が少しだけ可笑しくて。
「……変な人」
「それもよく言われます」
チューリップの甘い香りが鼻腔をくすぐっていく。
最高で最悪の夜だったけれど——
隣にいるのがこの男なら、少しだけ面白くなりそうだと思ってしまった。




