15話 任せる
「狂人令嬢が"便利"……?」
「ええ、そうですわ」
この話は終わりにして、適当にあしらって殿下を帰そう。そう思い口を開いた矢先——
「具体的には、どのように便利なんですか」
ルシオンが口を開いてしまった。
私も殿下も「は?」としか言えなかった。今まで黙っていた男が急に話した。しかも、それが便利への具体的な追及。
(そこ!? そこなの!?)
「……今から考えて言いますわ」
私は咳払いをしてから、思いつく限りの"便利"を言ってみる。どこまでなら狂人だからで済むのだろう。
「……人を殴るのは?」
「だめです」
速攻否定された私は、ルシオンを睨んだ。けれど、彼には全然効いていないみたい。
「では、机をひっくり返すのは?」
「だめです」
また否定。
「じゃあ、椅子は? 椅子はどう?」
「家具をいじめないでください」
全否定された私が唸っていると、痺れを切らしたのか殿下が「おい」とこの空気を止める。
「先ほどからなんなんだい? 以前のペリュンならこんな……」
「ですから、これが本当の私です」
そう言った瞬間、殿下の顔が強張った。怒りをこらえようとして、こらえきれていない。
「君は、いつからそんな人間になった?」
「いつから、と申されましても」
低い声だった。でも、威嚇するレッサーパンダのように、私から見れば覇気が全くない。
「僕の知っている君は、こんなくだらないことを言う人じゃなかった」
私は一瞬だけ、言葉を失った。
くだらない。その言葉が胸に刺さって、しばらく抜けなかった。
昔はこの言葉が一番怖かった。だってそれは、私の人生の完全な否定だから。
でも、今はもう昔の私じゃない。
「殿下の知っている私は、殿下が望んだものです」
「違う!!」
(レッサーパンダだわ……)
声を荒げ、顔を真っ赤にしている。次期国王の器はこんなものなのか。なんとまあ、可愛らしいこと。
「君は僕の婚約者だったんだ! もっと自覚を持ってくれ!」
「……婚約破棄なさったのは、どなたでしたっけ?」
「それは……! 僕。僕だが!」
言葉に詰まった殿下へ、完璧に微笑んだ。
「私ではありませんわよね。でしたら、もう私に何を求めても無駄ですわ」
「ッ無駄じゃない!」
声が部屋にビリビリと響いている。こんなの、泣きわめく赤子と変わらないではないか。
「僕が何とかする!」
「何を?」
「社交界の噂をだ! 君が余計なことをしなければ、僕が上手く収める!」
私は瞬きをしてから、首を少しだけ傾けた。
「……あら。それなら、最初からそうなさればよかったのでは?」
「君が原因なんだろう!」
肩をすくめて手のひらを天井に向けた。やれやれ、とでも言うように。
「私は何もしていませんわ」
「だから——!」
拳を強く握り、空気を裂くように腕を横に振った。
「もういい! 君は黙っていろ!」
客間が再び静まり返った。
——ああ。この人は、昔からこうだった。自分の思い通りにならなくなると、最後には命令する。
「……承知いたしました」
静かに頭を下げた。
「では、すべて殿下にお任せいたしますわ」
「え?」
「社交界のことも。噂のことも。私のことも」
顔を上げ、寸分の狂いもない笑顔を向ける。
「殿下が何とかしてくださるのでしょう?」
「……あ、ああ。もちろんだ!」
殿下はそう言い切った。私はその顔を見ながら、心の中で小さく呟いた。
(——さて、どうなることやら)
殿下は顔を真っ赤にしたまま、客間の扉を乱暴に開けて行ってしまった。廊下を歩く音が遠ざかっていく。
「……面倒な人」
小さな声でそう言うと、ルシオンもまた小さな声で話し始める。
「……大丈夫でしょうか」
「何が」
「殿下です」
その問いかけに、私は笑顔を見せた。今度は、作り上げたものではない、残酷な笑みを。
「ええ、大丈夫よ」
「……国は? 国と社交界は大丈夫でしょうか」
私はゆっくりとルシオンを振り返った。
「それを私に聞かないでちょうだい」




