09話 ズレている
朝霧めぐみは図書室に入ると、迷いなく準備室を目指す。
「君は、中で待っていてくれ」
「どこいくんだ?」
彼は笑顔でカバンを叩くと、ドアを閉めた。
さっきまで朽木先輩がいた部屋にひとり。
あの日から、彼女と面と向かって話したのは久しぶりだった。
懐かしさより、寂しさの方が強い。
ため息をついたタイミングでドアが開く。
「おまたせ」
笑顔で入ってくる。
「一つ、聞いてもいいか」
「遠慮するなよ。一つと言わず、百個くらい聞いてくれてもいいぞ」
舌打ちが出そうになるのを堪える。
いつも一言多い。
「君が、朽木先輩の上だということは分かる。だから、みんな従った。だとしたら、どうして僕と君の顔を見て、何も言わないんだ?」
部屋の真ん中まで歩き、歴代の絵を見ている。
「なんだ、そんなことか。答えは簡単だよ。ズレてるから。太郎ちゃんも経験しただろう。琴音と淳子で」
「……た、太郎ちゃん?」
「別にいいだろう。俺、年上だし。笠井ばあちゃんも『太郎ちゃん』って呼んでんじゃん」
「あのな。笠井ばあちゃんは……好きにしろ」
腕組みして睨みつけても、やつには暖簾に腕押しだ。
こっちが疲れる。
「この世界も、前と同じでズレてるってことか?」
「そうだよ。太郎ちゃんが、言いつけを守らず爪切りを使うから、ズレた。それで、俺と太郎ちゃんの存在する時間がズレた。お陰で、一緒に居られるけどね」
大晦日、僕は爪を切った。
リスポーン。
本来なら、2026年になってから切るはずだった。
そうすることで、四周期目の僕が世界を戻す鍵になる。
僕は急いで頭を振り、追い払う。
決めたことだ。
今更考えるな。
「じゃあ、君はやっぱり、過去の僕なのか?」
「その言い方好きじゃないな。まるで俺が、お古みたいじゃないか。未来の太郎ちゃん」
クスクスと笑う。
やっぱりこいつは嫌いだ。
「まあ、そういうわけで、時間はズレた。ズレたらどういうわけか、違う人間として認識される。その仕組みは……まあいい。それより、大事なことがあるんじゃないのか?」
彼の声を無視して、見上げる。
年代順に並べられた絵。
入り口から始まり、奥まで並び、そして窓側へ戻る。
部屋の窓側中程にあるのが、去年の絵だ。
僕が2026年の文化祭で披露した、
『羽を休める薄紅色の蛾』
古びた漆喰の壁に、本物の標本のように静止した、繊細な鱗粉を持つ蛾。
継承通りなら、この絵は爪で作られていたはずだ。
だが、僕は。
「どうして、俺に聞いた?」
「なにが?」
「惚けるのが上手くなったね。太郎ちゃんもあれから成長したってことか」
「はっきり言えよ」
朝霧めぐみは絵を眺めたまま、「色彩を失っている」と言い、腕を伸ばし指さした。
「君が描いたこの絵。モノクロで描かれている。絵の題名からしておかしいからね」
見抜かれている。
隠し事は通じない。
「ズレると色々と弊害が起きるからね。色彩だけで済んでいるだけで良かったよ」
「ふん。根拠はなんだ」
彼は、にやりと笑い、イーゼルに乗ったキャンバスの縁を叩いた。
「この構図。君のデッサンじゃないが、発想そのものがモノクロだ。海底都市に光の柱か。神秘的だね。乃愛ちゃんは元気かい?」
言い返さず、ただ彼を見返した。
大須賀乃愛まで知っているのか。
食えないやつだ。
でも、今度は僕の番だ。




