10話 繰り返される
朝霧めぐみは、イーゼルに乗ったキャンバスの縁に手をかけて、辺りを見回した。
「1989年から始まった絵は、今年で38枚になる。だが、乃愛ちゃんの絵が完成すると、39枚。数が合わないね」
やはり知らないようだ。
「そう。去年僕が旧校舎に入った時、すでに37枚から38枚に増えていた。そのときは色々あって調べられなかったが、気づいたんだ。なぜ、突然絵が増えたのか」
「へー、理由を知っているんだ」
「なんだ、知らないのか?」
彼はわずかに口の端を上げた。
表情には出さない代わりに、彼の仕草が少しだけ分かった気がする。
「勿体ぶらずに教えてくれよ? どうして一枚多いんだ?」
「ああ、わかっている」
僕ははじまりの絵を指さした。
「1989年。これは笠井淳子がはじめに描いた絵だ。そして僕は2025年大晦日、爪を切り、世界を巻き戻した」
「そして、イレギュラーが起きた」
僕は、彼の声に頷いてから続けた。
「その結果、彼女は淳子ではなく、琴音——朽木琴音として認識されるようになった。2026年になり、旧校舎へ行くと絵が増えていた」
もうわかるだろう、という顔で、僕は朝霧めぐみを見た。
「うーん、予想はつくけど」
と悩みつつも、「そうだ!」と大声でひらめいたようなことを言う。
「こうしよう。太郎ちゃんが答えを言う。俺が、補足を補うってのは?」
「負けず嫌いか」
僕は、近くにあった丸椅子を引き寄せた。
彼は、キャンバスの前の椅子を持ち出し、腰掛けた。
「ワクワクするね」
ほんと、子どもかよ。
深呼吸のあと、話し始めた。
「シュレディンガーの猫は知っているよね?」
「おお、いいね。もちろんだよ」
「茶化さないで、止めるよ」
「わかったわかった。ほら続けて」
咳払いのあと、ため息混じりに進めた。
「シュレディンガーの猫の実験を知っているなら、内容は説明しないよ。僕が言いたいのはそこじゃないからね」
「おう。わかった」
「観測するまで状態が決まらない。これが僕の出した答えなんだ」
彼の顔つきが一瞬で変わる。
全て言わなくても、想像できるはずだ。
彼は僕で、僕は彼なのだから。
しばらく一点を見つめたままだったが、すっと顔を上げて絵に視線を移した。
「なるほど。太郎ちゃんはいい着眼点を持っているね。まさしくシュレディンガーの猫ってことか」
「うん。僕たちは、今この部屋で絵を見ている。でも、僕と君の認識が違えば、絵の枚数も違って見える。僕には38枚でも、君には37枚かもしれない。」
彼は僕を見てから人差し指を立てた。
「一つ良いかい。シュレディンガー先生は、量子力学を説明するために猫を使った。箱を開けるまで、猫は「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なり合っている、というやつだ。つまり、僕たちは今、観測者になったいうことかい?」
僕は首を横に振る。
「それだと、少し違う」
「だろうな。観測するまで、絵は重なり合っている状態なんて」
「だから、こう思う」
僕は、彼に指さした。
「観測者が二人。僕と君だよ」
それを言った途端、彼の顔から血の気が引いていくのが分かった。
自分の根底が崩れる感覚。
以前、僕も似たような感覚を味わったのだから。
「じゃあ、最後の説明をするね」
僕は出来るだけ穏やかな声で説明した。




