休んだ翌日は、神剣で小遣い稼ぎです
【前回までの人物】
・アルト:白鐘の迷宮を踏破し、神剣ルクシアを持ち帰った探索者。素材を換金し、翌朝は休んでから測量を手伝うと決めた。
・リゼ:鑑定と地図を得意とする同行者。報酬の測距鏡は、見える二点の距離を三十メートルまで測れる。左の掌は療養中。
目を覚まして、最初に見たのは、寝台の横の神剣だった。
ある。
昨日の夜、自分で置いた所に、ちゃんとある。
俺は、まだ布団の中で笑ってしまった。白鐘の迷宮を踏破したら返す借り物ではない。今日も、明日も、俺の剣だ。
窓の下から、パンを焼く匂いが上がっていた。
王国暦六百二十四年、四月十日。
足を床へ下ろすと、昨日ほどではないが、ふくらはぎの奥へ重さが残っている。
今日は、朝から地下へ走らない。
そう決めた約束も、剣と同じくらい、ちゃんと残っていた。
顔を洗い、外套の裾を確かめる。
母の縫った所は、破れていなかった。昨日書いた便りは、まだ机にある。渡したつもりにはせず、鞄の内側へ入れた。
帰る時、肉の一行だけ見られたら、と思うと少しおかしい。
剣を持ち、食堂へ下りた。
*
リゼさんは、朝食の皿より先に、巻尺を机へ置いていた。
栗色の編み込みの横で、琥珀色の目が、俺を見つけて明るくなる。左の掌は、今朝も包帯の中だった。
「おはようございます。もう、測る顔ですね」
「おはようございます。朝ご飯は、ちゃんと食べる顔でもあります」
彼女が皿の方へ手を戻した。
焼いたパンと、温かい豆の汁。昨日払った二銀には、今日の朝食まで入っている。
女主人が、俺の前にも皿を置いた。
「中庭は、洗濯の桶より奥を使って。紐を張ったまま、朝の荷を引っ掛けないでね」
「はい。使う分だけ伸ばして、戻します」
「それならいい。剣で庭を広くするのは、なしだよ」
俺はパンを持ったまま、腰の剣を見た。
リゼさんが笑い、俺も、そこまでは考えていません、と返す。
奥まで届く神剣があっても、宿の石鉢を真っ二つにして喜ばれる理由はなかった。
食べ終え、ゆっくり足を動かしてから、中庭へ出る。
陽の当たる石には、まだ朝の涼しさが残っていた。
俺が巻尺の端を柱へ合わせ、リゼさんは鏡を右手で支える。
窓辺から見た時と同じ、柱と石鉢の間。
見えている二点の印を合わせると、真鍮枠の中へ細い数字が浮いた。
「八メートル、四十二センチ」
「こっちも、ほとんど同じです。あ、端、そこへ当てるんでした」
俺が石鉢の張り出した所へ当てていた分を直す。
数字が揃った。
リゼさんは、すぐ次の場所へ鏡を向けず、いまの二点をもう一度見た。
「……これなら、崖の向こうへ、端を持って行かなくても」
「届く距離なら、測れるんですね」
「はい。三十メートルまで。向こうの点が、見えていれば」
彼女は、石鉢の陰へ隠れた小さな桶へ向けてみた。
こちらからは、縁が見えない。
鏡は、桶の底まで勝手に透かして教えてはくれなかった。
彼女はそれも手帳へ残し、見える方へ戻す。
出来ないことを知っても、嬉しさが減った顔ではなかった。
使う場所を、もっと具体的に思い浮かべている顔だった。
「今日の地図、一枚目は宿の庭ですか」
「ええ。神剣の人が、巻尺を持った場所も入ります」
「そこ、名前の方でお願いしたいです」
「アルトさんが、石鉢の端を間違えた場所」
「急に、詳しくなりましたね」
彼女が声を立てて笑った。
昨日、奥の重騎兵を倒した時とは違う、朝の喜びがあった。
俺は巻尺を戻し、彼女へ渡した。
左の掌を使わず道具をしまうまで、端を支えて待った。
*
町の組合へ向かったのは、午前を休んでからだった。
次の迷宮の報酬は気になる。
だが、リゼさんの掌も、俺の脚も、踏破した瞬間に新品へ戻ったわけではない。今日は、長く奥へ潜る依頼より、地上で終わる仕事を見たかった。
掲示板の前で、濃紫の髪が揺れた。
「それ、二人で見てる?」
声を掛けてきた女性は、藍色の短い魔術外套を着ていた。高く結んだ髪の下に、緑の目。指先の薄い手袋で、一枚の札を押さえている。
俺が頷くと、彼女は札の下半分を見せた。
「採石場の資材庫。鎧蟹が四匹。中を片づけて、管理人に確認してもらって十二銀。私は足を鈍らせる術が使えるけど、殻を割る方は得意じゃない。そこを頼める人を探してた」
「剣で斬る方なら、出来ます。アルト・レインです」
「ミーナ・クラウゼ。……腰の、それが、白鐘で見つかったっていう剣?」
目が、鞘へ一度落ちた。
驚いたあとも、彼女は札から手を離さなかった。
「はい。神剣ルクシアです」
「それなら話が早い。けど、切れる向こうに人がいたら止めてね。私、細切れの資材まで片づける依頼は受けてないから」
あっさり返され、俺は少し笑った。
剣を見て、全部任せたと帰ってしまう人ではないらしい。
リゼさんが、札の図へ目を近づけた。
「入口の、こちら側なら見通しを取れそうです。私、地図と距離を見る仕事が出来ます。ただ、左手に傷があるので、荷物や綱の作業は引き受けられません」
「了解。無理に持ってもらって、途中で落ちる方が困る。入口から、私の足場まで見てもらえる?」
「はい。見えている範囲でなら」
ミーナさんが、こちらを見た。
「三人なら、斬る人が六、術を張る私が四、距離と入口を見る人が二。十二銀を、それで分けるのはどう?」
俺はリゼさんを見た。
彼女は、自分の役目の範囲をもう一度読んでから、頷く。
俺も、お願いします、と答えた。
同行者の報酬を、俺が代わりに決める必要はなかった。
*
窓口の係は、札と登録を並べた。
灰色の上衣の袖口を留め、資材庫の図へ印を付ける。
「作業員は、外へ出ています。今は、この柵から中へ入らないようにしてあります。四匹は、閉じる前に管理人が見た数です。増えていないかも、入る前に確かめてください」
「終わった確認は、管理人の方へ?」
「はい。確認欄を返してください。資材の持ち出しと、庫の修理は、この依頼には入っていません」
必要な分を聞き、札を受け取った。
迷宮の前受けとは違う、地元の仕事だ。
神剣を手に入れたからといって、入口の核碑以外でも、別の報酬が先に出るわけではなかった。
出る前に、三人で昼の包みを買った。
俺は肉と豆を挟んだパンへ三十五銅。リゼさんとミーナさんも、自分の選んだ物へ、自分の財布を開く。
俺の残りは七十銀二十三銅。
朝の膳の分を、もう一度払った額ではない。
町の外れから採石場までは、歩いて二十分ほどだった。
ミーナさんは、地方で魔術を教える家に育ったという。大きい炎を競うより、味方が踏み込める所を作るのが好きらしい。
「派手に燃やしたら、そのあと入れなくなる物もあるでしょ。今日は、あの資材がまさにそれ」
「俺も、庫の柱は残します」
「よし。初仕事の目標が合った」
軽い声だった。
でも、坂道に入ると、彼女は話を止め、風と足元を見た。
休む時に休み、仕事の場所では、先に歩ける所を選ぶ人だった。
*
資材庫は、白い岩壁の下に建っていた。
戸は半分だけ開いている。
中には、積んだ板と、縄の巻かれた滑車。床の乾いた砂へ、何本も深い筋が走っていた。
柵の外で待っていた管理人が、札を見て、入口の方を示す。
日に焼けた首と、石粉の付いた前掛け。手には、作業員の戻る時に使う鍵の輪があった。
ミーナさんが図の位置を確かめる間に、俺は中の音を聞いた。
かり、かり、と硬い物が木を擦る。
板の陰から、平たい殻が見えた。
腰ほどの高さに、大きな鋏が二つ。
鎧蟹は名前どおり、黒い鉄板を重ねたような背をしていた。
「見えてるの、奥に二匹。右の台の下、一匹」
「入口から台まで、十四メートル少し。左側の通路は、板で隠れています。鏡でも、その奥は見えません」
リゼさんは外の低い石台へ手帳を置いていた。
鏡を右手で持ち、見える角だけを拾っていく。包帯の掌で道具を握り直すことはしていない。
俺は、左の通路へ近寄りすぎない所へ立った。
神剣を、抜く。
白い刃が、戸口の陽を返した。
「一度、音で出します。人は、全員、柵の向こうでいいですね」
管理人が、鍵を持つ手を上げた。
ミーナさんも振り返って確かめ、入口から少し脇へ立つ。
「私は、戸口の内側へ一か所。足を取るだけだから、振り上げた鋏までは止まらない。後ろへ逃げる道は、開けておいて」
「はい。俺は、前を斬ります」
俺は砂に落ちていた短い木を拾い、剣を持つ手とは反対の手で、戸の枠を叩いた。
乾いた音が、庫の奥へ届く。
木を足の外へ置き、空いた手も剣へ添えた。
左の板の陰から、もう一つ、殻が動いた。
四匹目だった。
*
最初の一匹は、思ったより速かった。
横へ広げた脚が、砂を跳ね飛ばす。
ミーナさんの手袋の指が床へ向き、淡い輪を一つ描いた。入口の内側、二畳ほどの砂が、濡れた泥に似た重さを持つ。
鎧蟹の前脚が沈んだ。
それでも、大きな鋏は、止まらなかった。
「上、来る!」
俺は、正面から剣を下ろした。
鋏が白い刃へ当たり、硬い音を立てる。
次の瞬間、その音が、途中で切れた。
黒い鋏の先が落ちる。
神剣は、そこで止まらず、前へ出た殻まで、斜めに割った。
手に返ってきたのは、重い石を砕く衝撃ではなかった。
厚い布を、よく研いだ刃で引き切った時に似た、短い抵抗。
腰ほどある鎧の背が、俺の剣の通った所から開いている。
「……本当に、斬れる」
「感想、あと! 右!」
俺は、すぐ顔を上げた。
二匹目が、倒れた殻の脇を抜けている。
刃を横へ大きく振れば、戸の柱まで届く位置だった。
俺は一歩、庫の中へ踏み込み、体ごと向きを変える。
神剣の補助に任せきりで、足を砂へ滑らせない。
前に差し出された鋏の付け根へ、短く斬り下ろした。
もう一度。
胸の殻が割れ、二匹目が、横へ沈んだ。
俺の背後で、砂の輪がほどける音がした。
ミーナさんが、短く息を吐いた。
「いったん切る。次、真ん中へ張る!」
「台の左、今、空いています。奥の二匹は、まだ見えます」
俺は、斬った方へ足を置かず、空いた床へ移った。
鋏の届く幅を、鏡が勝手に教えてくれるわけではない。リゼさんは見えた位置を、ミーナさんは自分が使う場所を、それぞれ声にしている。
その二つが分かれば、俺は、切る方へ体を向けられる。
*
三匹目が、砂の輪へ入った。
脚が沈み、殻の向きが変わらなくなる。
俺は、鋏の届く正面へ、わざわざ立たなかった。横へ回り、背の継ぎ目を狙おうとして、途中でやめる。
継ぎ目でなければ、斬れない剣ではない。
いま、向こうへ誰もいない。
台の脚にも、柱にも、刃が抜ける向きではなかった。
俺は、殻の真上から斬り下ろした。
黒い背が割れ、脚の動きが止まる。
四匹目が、その後ろで、鋏を持ち上げた。
「最後、俺の方へ!」
声と一緒に、半歩だけ前へ出る。
鎧蟹が俺を向く。
ミーナさんは追い掛ける輪を増やさず、今張っている所をほどいてから、横へ下がった。
最後の一匹との間に、ほかの人はいない。
白い刃を、斜めに走らせた。
鋏と殻が、一度に開いた。
砂へ落ちる音が、庫の中で何度か跳ね返る。
俺は剣を戻さず、少し待った。
四つの背が、動かなくなっている。
明るい戸口の向こうで、リゼさんの顔が見えた。
「入口は、空いたままです」
その声を聞いて、ようやく息を吐いた。
俺は刃を確かめ、周囲へ振り向けない位置で布を当てた。手入れをして鞘へ戻す間も、ミーナさんが庫の奥を見ている。
光刃は、一度も出していない。
刃の切れ味だけで、町の依頼を、ちゃんと終わらせた。
*
ミーナさんは、庫の外で、手袋の指を広げた。
「いやあ。殻、割れればいいとは思ったけど、割り方が気前いいね」
「柱は、残しました」
「そこは、非常に助かった。十二銀より高い物を、増やしたくないから」
彼女が笑った。
額には、細かな汗が浮いている。軽口の間に、しっかり息を整えていた。
俺も石へ腰を下ろし、腿へ手を置く。地下を歩き通した昨日と違い、短い戦いの熱が、今から脚へ戻ってきた。
神剣が強くても、俺まで疲れを失ったわけではなかった。
管理人が、四匹を数え、戸と柱を見た。
資材の陰も、三人で見える所から順に確かめる。
すぐ作業員を中へ呼ばず、死骸を寄せる場所と、戻る時の通路を管理人へ渡した。取り残された五匹目は、見つからなかった。
確認欄へ印が入った。
リゼさんが、鏡を布へ戻す。
「手、痛みませんか」
「持つ方は右で出来ました。左は、まだ、握らないでいます。……でも、入口だけだから役に立たない、とは思わなくて済みました」
「俺、中へ一歩入ってから、どっちが空いてるか、声で分かったので」
「私も。見えてない左へ、輪を張らずに済んだ」
ミーナさんが、手袋を外して風へ向けた。
リゼさんは、二人を見てから、少しだけ頬を緩める。
俺が強いから、誰もほかに要らない仕事ではなかった。
それでも、俺の剣があるから、今日、三人で終えられた仕事だった。
その両方を、素直に喜べるのが嬉しかった。
*
町の窓口へ戻ると、係は確認欄を見て、十二銀を三組へ分けた。
「六、四、二で、届け出どおりですね。受け取った方から、こちらへ印をお願いします」
俺は、自分の六枚を数えた。
七十銀二十三銅へ、六銀。
七十六銀二十三銅。
昨日の魔石を、もう一度売った金ではない。今日、神剣を使って、自分の仕事で得た分だ。
リゼさんの二銀と、ミーナさんの四銀も、それぞれの袋へ収まった。
「これで、今日は、ちゃんとおいしい物を食べられる」
「俺、昨日も、肉を追加したんです」
「いいね。じゃあ、今日も食べられる仕事をしたってことで」
言われて、俺は笑った。
一度贅沢したら、そのあとずっと我慢するために稼いだのではない。
欲しい物を選べる日を、続けてよかった。
ミーナさんは、長期の契約は今の所持っていないと言った。
俺たちも、今日の約束が、そのまま次の迷宮へ一緒に入る約束だとは思っていない。
でも、また役目が合えば頼みたい、と俺が言うと、彼女は、いいよ、と返した。
「次も、切る物と、残す物が分かる仕事でね。あと、二人とも、名前、そのまま呼んでいい?」
「はい。俺は、しばらく、さんが抜けないかもしれません」
「私もです。でも、呼んでもらう方は、どうぞ」
「了解。じゃあ、アルト、リゼ。また、食べたい物の分、稼ごう」
濃紫の髪が、通りの方へ揺れた。
俺たちは彼女を見送り、宿の方へ歩き出す。
リゼさんは、道具入れへ触れ、俺の腰の剣を一度見た。
「神剣、今日も返さないんですね」
「はい。今日の六銀も、返しません」
「それは、私も、二銀を返す予定はありません」
二人で笑った。
昨日の報酬を、今日、使えた。
今日の稼ぎで、今夜、欲しい物を一つ増やせる。
次の前受けは、まだ選んでいない。それでも、神剣を持った暮らしは、もう、昨日の続きとして動き始めていた。
認証メールが届くのが遅く、中々ログインできず更新が遅れてしまいました。
大変申し訳ございません。




