神剣は売らずに、帰りの食卓を豪華にします
【前回までの人物】
・アルト:神剣ルクシアを前受けし、白鐘の迷宮を踏破した探索者。精算しても神剣は残り、入口へ帰還した。
・リゼ:鑑定と地図を得意とする同行者。自分の踏破報酬に、見える二点の距離を三十メートルまで測れる鏡を得た。
六つの魔石を並べると、最後の一つだけ、台の上で深い青を返した。
十二階の重騎兵から回収した物だ。白鐘の入口へ戻ったばかりの俺には、まだ、青い核へ剣を通した感触が指に残っている。
受付係は石へ飛びつかず、先に二人分の帰還の印を確かめた。
「踏破の登録は、こちらにも出ています。帰ってきた方は、二人で間違いありませんね」
「はい。途中で、ほかの方と一緒にはなっていません」
「報告は、通った道と、壊した格子の場所を分けてあります。控えを残して、お渡ししたいです」
リゼさんが、回収袋とは別の筒を出す。
栗色の髪の細い編み込みが、顔の横で揺れた。左の掌はまだ包帯の中だ。紙を引き出すのも、右手で筒の口を押さえてからにしていた。
受付係は、文字を見て、通路の図を横へ並べた。
「ここから、既存の図と違うんですね。私がそのまま通行案内へ足すのではなく、調査の担当へ回します。帰還門は、十二階の奥で?」
「はい。踏破を登録してから、入口へ戻りました」
口にすると、もう一度、嬉しくなった。
俺は柄へ手を置く。神剣ルクシアは、そこにある。
前受けの精算を終えたからといって、受付の台へ置いて帰る物ではなかった。
「……入口でその剣を出された時は、奥で何が起こるか、こちらも分かりませんでした」
受付係の目が、俺の腰へ一度戻る。
「俺もです。でも、ちゃんと使えました。奥まで」
「報告を聞けてよかったです。帰着の控え、受け取ってください。今日は、足を休めてくださいね」
渡された紙を、俺は両手で受け取った。
剣の強さを驚かれるより、その「今日は」が、妙に効いた。今日、実際に下りて戻った人として、言われている。
俺は控えをしまい、袋の口を結び直した。
戦いが終わるだけでは、持ち帰った一日にはならなかった。
*
ラウルさんの台は、まだ開いていた。
灰の混じる顎髭と、厚い前掛け。爪に結晶の粉を付けた買取商が、俺たちの袋を見て、空いた盆を手前へ引いた。
「今日は、ずいぶん遅い帰りだな」
「底まで、行ってきました」
自分で言うと、頬が緩んだ。
ラウルさんは眉を上げたが、そこで値段を言いはしなかった。
「なら、そこから来た物を見よう。剣で斬った話と、売る石の傷は、別に聞く」
リゼさんが、六つを一つずつ盆へ載せる。
通常の魔石が五個。奥の重騎兵から得た一個。殻片も別の布へ広げた。
小さな刻印板は、袋に残す。
「これは、まだ図と照らしたいので、今日は売りません」
「分かった。売らない物まで、こっちの盆へ出さなくていい」
ラウルさんは石を灯りへかざし、側面へ細い棒を当てた。色だけで値が同じになるのではない。中の濁りや欠けを順に見ている。
俺は待ちながら、自分の手の爪を見た。白い石の粉が、まだ細い線で残っていた。
「こっちの五つで二十銀。大きい方は、十二。殻は、まとめて二銀。合わせて三十四銀、実際に払う額だ」
三十四。
俺はもう一度、六つの石を見た。
宝箱の銀貨を数えたばかりなのに、まだ今日の稼ぎが増える。
「半分ずつなので、十七枚ずつ、お願いできますか」
「出来る。今度は、耳より先に数える目が動いたな」
言われて、俺は笑った。
ラウルさんが銀貨を二組に分ける。俺もリゼさんも、自分の前の枚数を読み、受取りへ印を付けた。
六つの魔石と殻片が、俺たちの物から、商人の品へ変わる。
刻印板の包みは、俺たちの袋に残った。
持っていた五十五銀九十八銅へ、十七銀。
七十二銀九十八銅。
昨日の素材や、さっきの宝箱を、もう一度数えた額ではない。それでも、重い。
「その顔なら、腰の剣は売らねえな」
「はい。これは、次にも持っていきます」
「だろうな。飯屋で袋ごと置いて帰るなよ。腹の方へ全部移した気になる新人が、たまにいる」
「アルトさん、今日のは、少し分かります」
リゼさんが、自分の袋を結びながら言った。
俺は、もう肉の匂いを探しかけていた顔を、彼女へ戻す。
「まだ、何皿にするかは決めてません」
「一皿で済ませる返事では、ないですね」
ラウルさんまで笑い、俺も、否定するのをやめた。
*
フェルドへ戻る道は、地下より明るく、思っていたより長かった。
入口から町まで、一時間ほど。
帰還門で十二階分を戻れたからといって、町の宿の戸まで出られるわけではない。
風が上着の裾を押し、靴の中では、歩き通した足が熱を持っている。
俺は回収袋を持ち替えた。売った物の分は軽くなったが、財布の重さは、ちゃんと増えていた。
リゼさんは、ときどき腰の道具入れへ目を落とした。
測距鏡の入っている所だ。
「なくなってませんか」
「あります。……確認しすぎでしょうか」
「俺も、剣の柄を何回か触りました」
彼女は顔を上げ、少し笑った。
琥珀色の目が、傾いた日の中で明るくなる。
「まだ、実感が追いつかないんです。長さを測れる物が欲しいと思っていた時と、本当に持って帰る時は、違いますね」
「剣もです。斬れるって聞いた時より、盾が割れた時の方が、ずっと」
言いかけて、二人で少し黙った。
盾の落ちる音も、帰還門を抜けた風も、歩いている間に思い出せる。
荷運びの仕事を終えて帰った時とは違う疲れだった。
明日も同じ道へ出るかどうかまで、もう自分で選べる。
「次の迷宮の報酬、見に行きたくなりますか」
「なります。でも、今日は宿が先です。いま入口まで行ったら、剣を抜く前に、俺の足が座ります」
「それは、正しい順番です。私も、鏡を出すより先に、手を洗いたい」
彼女の包帯へ、俺は目を向けた。
血が滲んだ所はない。それでも、傷が消えた掌には戻っていなかった。
明日の予定を決めるなら、その手も、ちゃんと一緒に聞くつもりだった。
*
宿の女主人は、俺たちの顔を見てから、鍵の掛かった板へ手を伸ばした。
白髪の混じる黒髪を布でまとめ、前掛けの紐を腰で結んでいる。昨日、二銀の部屋と、湯の使える時間を教えてくれた人だ。
「戻ったね。今夜も泊まる?」
「はい。昨日と同じ、夕飯と朝ご飯と、風呂のある方を」
「二銀。部屋は空いてる。ご飯までに、泥の方は裏で落としておいで」
俺は二枚を払い、鍵を受け取った。
七十銀九十八銅。まだ、ずいぶん残っている。
リゼさんも自分の分を払い、別の部屋の鍵を受け取った。俺が二人分の札を買ったわけではなかった。
水場で手を洗うと、爪の脇から白い粉が流れた。
剣を拭き、鞘の口も確かめる。今日は、ただの借り物の点検ではない。明日も自分で使う物を、自分の部屋へ置く手入れだった。
靴を脱いだ瞬間、足の裏が、床の平らさを喜んだ。
共同の湯から上がった頃には、廊下まで肉の匂いが来ていた。
俺は、下りる足が早くなりすぎないよう、一段ずつ階段を踏んだ。
*
夕食の皿には、玉ねぎと鶏の煮込み、それから厚く切ったパンが載っていた。
それだけでも、今日の足には十分嬉しい。
だが、俺は台の横の小さな札を見てしまった。焼き肉の追加と、焼き菓子。一緒で四十銅。
昨日なら、買ったあと何食分残るかを先に数えていた。
今日は、最深部で、戻ったら食べようと思った方を思い出す。
「追加の肉と、お菓子もお願いします」
女主人は札を見て、それから俺を見た。
「今日、いい物が出た?」
「はい。剣を、自分の物にして帰ってきました」
「じゃあ、今日は熱いうちに食べていきな。四十銅。焼くのは、今から」
払うと、財布は七十銀五十八銅になった。
ちゃんと使っても、なくならない。
小さい頃に勝手に想像した、稼いだ冒険者の夕飯へ、いま、自分で一品足していた。
リゼさんが来た時、俺は追加の皿を待ちながら、煮込みのパンを崩していた。
彼女は椅子を引き、俺の横の空いた皿を見る。
「もう、来たんですか」
「皿だけです。肉は、いま焼いてます」
「では、私も。お菓子は、今日、食べたいです」
彼女は女主人へ自分の注文を伝え、自分の袋から代金を出した。
全部を半分にして、相手の欲しい物まで同じにする晩ではなかった。
肉が来た。
縁の焦げた所へ刃を入れると、温かい汁が皿へ落ちる。煮込みより強い香りが、顔の近くへ上がった。
俺は一口食べて、思わず背を椅子へ預けた。
「……これ、帰ってからでよかったです」
「入口で食べていたら?」
「今日の探索、そこで終わりにしたかもしれません」
彼女が笑う。
俺も笑って、次を切る。昼の保存食とは違い、噛むと中が柔らかい。全部を急いで飲み込むのが、もったいなかった。
*
リゼさんの焼き菓子には、小さな丸い穴があった。
匙を入れる場所かと思ったら、焼く時の型の跡だという。彼女が端を割ると、薄い層が、細かい音を立てた。
俺は自分の分を持ち上げ、割らずに一口食べる。甘さのあとに、焼けた穀物の匂いが残った。
「アルトさん、今日は、迷わず追加しましたね」
「地下で決めてました。肉を食べる、までは」
「お菓子は?」
「ここで、増えました」
そう答えると、彼女は自分の欠片を見て、私もです、と笑った。
知らなかった物を見てから、欲しいと言っていい。
前世で、いつかの休みに回していたことを、十八年育ったこの町で、今日、選んでいた。
食べ終わっても、すぐ席を立たなかった。
リゼさんが窓の外へ目を向ける。宿の中庭には、柱と、その向こうの石鉢が見える。
道具入れへ触れた手を見て、俺は先に笑った。
「試したいんですよね」
「はい。一つだけ。食べながらは、出さないようにしていたんです」
彼女は机のパン屑を払い、乾いた布を敷いた。
真鍮枠の鏡が、夕食の灯りを返す。
右手で持ち上げ、窓を開けて、見える二点へ縁の印を合わせた。硝子越しに、向こうの壁の中まで分かる道具ではない。
細い数字が浮くまで、彼女の口が少し開いていた。
「出ました。あの柱から、石鉢の手前まで」
「地下以外でも、同じなんですね」
「はい。見えている二点を、三十メートル以内で。今度は、普通に歩いて測った分とも比べたいです」
すぐ立とうとした彼女が、左手を見て止まった。
巻尺を両手で扱うのは、今日はまだ避けたいらしい。
「明日、俺も端を持っていいですか」
「お願いします。……手伝いだけじゃなくて、一緒に見てもらえるなら、その方が嬉しいです」
俺は鏡より先に、彼女の顔を見た。
リゼさんも、言ったあとで、縁の目盛へ目を戻す。
剣を振る方が、たぶん返事は簡単だった。
「俺も、見たいです。リゼさんが、これで何を測りたかったのか」
彼女が顔を上げた。
すぐ答えず、鏡を布へ戻してから、頷く。
「帰ってこられる幅とか、向こう岸までの距離とか。いつか、行った所を全部、一冊にしたいので」
「じゃあ、俺の剣が通った道も、入りますか」
「はい。ただし、斬らずに歩いた帰り道も、入れます」
そこで俺たちは、同じように笑った。
*
明日は、朝から次の迷宮へ飛び出さないことにした。
リゼさんは掌を確かめ、俺は靴と道具を見直す。午前の休む時間を取ってから、中庭の長さを一緒に測る。
そのあとで、次にどこへ行きたいかを相談する。
前受けの枠が空いたのは、もう確かめてある。次の入口で選べる物を知る楽しみは、そのまま残してよかった。
「神剣、今日は、部屋に置いて眠るんですね」
席を立つ時に言われ、俺は腰の柄へ触れた。
「はい。返さなくていいので」
「その返事、さっきも嬉しそうでした」
「明日の朝も、多分、同じ顔です」
リゼさんが声を立てて笑った。
その笑いを、地下の壁ではなく、宿の食堂で聞いている。
俺は銀貨の袋と、自分の剣を持って、部屋へ上がった。
鍵を回すと、昼の熱が少し残った部屋の空気が、頬へ触れた。
俺は窓を細く開け、外套を椅子へ掛けた。母が縫った裾は、石へ擦れた所が少し白い。破れてはいない。袖を畳むと、布の間から、外の草と、さっきの湯の匂いがした。
父に、持ち帰る物は最後まで自分で数えろと教わった。銀貨を数えたあとで、俺は、帰着の控えも机へ出す。
家へ、無事に戻ったと知らせたかった。
でも、明日、いきなり剣だけ見せに行ったら、母は先に袖を見て、父は歩き方を見る気がする。
顔を合わせる前から、そんな場面が思い浮かぶのがおかしかった。
紙の余りへ、短く書く。
「白鐘を踏破しました。無事に、町へ帰っています」
書いてから、少し考えた。
ただ無事と知らせるだけでなく、楽しかったことも、言いたかった。
剣が自分の物になった。宝を見つけた。一緒に歩いて、地図を描く人がいる。
全部を詰め込むと、最初の一行より長くなる。
俺は、明日、自分で話せる分を残して、続きを一つだけ足した。
「今日は、自分で稼いだ金で、夕飯の肉を増やしました」
これなら、俺がどんな顔で帰ったかも、少し伝わる。
まだ誰にも渡していない紙を、控えとは別に畳んだ。
神剣を寝台の横へ置く。明日の道具を確かめる時、いちばん先に目に入る所だった。
七十銀五十八銅。
神剣ルクシア。
地図へ残したい道と、明日また会う約束。
初めて踏破した迷宮から、俺は、その全部を持って帰ってきた。




