最深部の報酬で、最深部を斬る
【前回までの人物】
・アルト:白鐘の迷宮で受け取る神剣ルクシアを、踏破前に借りている。
・リゼ:迷宮の道を調べ、記録する探索者。アルトと十二階の手前まで進んだ。左の手のひらには包帯がある。
階段を下りる間に、床を打つ音がもう一度した。
上から聞いた時より、近い。
俺は最後の段へ足を下ろす前に、灯りの届く先を見た。白い柱が左右に四本ずつ並び、その向こうへ、丸い広間が続いている。
天井の中央には、鐘があった。
鳴っているのは、それではない。
「正面。立っているの、一体です」
リゼさんが、俺の肩越しに言った。
砂色の上着の袖から、右手の灯りが前へ出る。包帯を巻いた左手は、胸の前へ寄せたままだった。
「手前の柱まで、床は繋がっています。右側のは、下に亀裂があります」
「じゃあ、左へ。俺の後ろから、柱の外には出ないでください」
「はい。奥の扉も、ここから見ます」
彼女はすぐ剣へ目を奪われず、退く場所を確かめた。
俺も、その灯りが止まる所までを見て、広間へ入る。
正面の物が、顔を上げた。
いや、兜のような頭を動かしただけだ。目のある場所には、細い青い光が一本入っている。
高さは、俺二人分近い。黒い金属を帯のように巻いた石の体。左腕には、床へ届きそうな盾が付いていた。
右手に握るのは、柄の長い槌。
床を打っていたのは、こいつが槌を立て直す音だった。
後ろの壁には、同じ姿の浅い彫り物がある。鐘の下に立つ、重い鎧の兵。
この階を守っている。
長い説明はなくても、それだけは分かった。
俺がルクシアを抜くと、左腕の盾が、ゆっくり上がった。
八階の石人形より、厚い。
盾の縁が床を離れる時、削れた白い石が、粉になって散った。
「正面からだと、盾と腕が、重なっています」
リゼさんの声が、左の柱の後ろから届く。
俺は、剣を握り直した。
「なら、ちょうどいいです」
守るために重ねた物を、まとめて斬れる。
胸の奥で、少しだけ、笑いたくなるほど分かりやすい答えだった。
*
重騎兵が、一歩出た。
床の薄い埃が、足の周りから跳ねた。俺も止まって受けるつもりはない。柱から離れ、広間の中央寄りへ進む。
リゼさんのいる左側へ、槌を振らせたくなかった。
盾が、顔の前へ立つ。
その後ろで、右の肩が上がった。
大きな槌が、天井の鐘より低い所で止まる。一瞬、広間の空気ごと、上へ引かれた気がした。
槌が落ちた。
俺は、振り上げられた時から見ていた右側へ走った。頭のあった場所を、鉄と石の塊が通る。
床が鳴り、靴の裏へ響きが突き抜けた。
避けたからといって、まだ懐へは入らない。盾は、こちらを追っている。
「アルトさん、左は空いています。私は柱の後ろです!」
確かめる声だった。
俺は左へ剣を流さず、正面の盾へ向けた。
十二歩ほど先。向こうに、人はいない。
射程の中だ。
「まず、その盾から」
ルクシアへ、光が走った。
刃を斜めに振り抜く。
飛んだ光は、盾の表面で止まらなかった。
白い線が、黒い帯を横切る。
盾を支える左腕まで、同じ線が通った。
石の手首が、盾を握った形のまま、体から離れる。
重騎兵の体が、僅かに傾いた。
盾の上半分が、空中でずれた。
それが床へ落ちるより先に、俺は踏み込んでいた。
右腕が、槌を引こうとする。
だが、頭の上まで持ち上げた物を、床から戻すには、それだけの道がいる。
俺は、その道の手前へ入った。
胸の中央にある青い光が、初めて、盾なしで見えた。
「これで、終わり!」
神剣を、横へ振る。
硬い手応えを待っていた指が、そのまま向こうへ抜けた。
巻かれた金属も、白い石も、核の青い光も。
刃を通した高さで、全部が切れた。
俺は振り切った足を戻し、左後ろへ下がる。
石の胸が滑った。
上半身が、置き場所を失った大きな荷物のように崩れ、槌の柄が床を叩いた。
その音に遅れて、最初の盾が、二つに割れて落ちた。
広間じゅうへ、白い埃が広がる。
俺は剣を下ろさず、崩れた胸と、動かない足を見た。
青い光は、もう点いていなかった。
「……二回」
柱の向こうで、リゼさんが呟いた。
入口の方も確かめてから、彼女がゆっくり顔を出す。
「光で盾と腕を。近くで、胸を。一番奥の守り手も、本当に……」
「斬れました。最初に聞いた通りの、剣だったみたいです」
言ってから、俺は、切り口を見た。
最深部で受け取るはずだった剣が、その最深部の敵を斬った。
借りた物は、最後の一歩でも、ちゃんと強かった。
嬉しさが、腹の底から遅れて上がってくる。
「これ、先に貰ってきて、正解でしたね」
自分で言うと、リゼさんが、口元を押さえた。
「今、それを聞くと……ずるいくらい、正解です」
彼女の肩が揺れた。
俺も、剣を持ったまま笑った。声が広間へ返ってきて、ようやく、終わったのだと思えた。
*
すぐ奥へ走らず、二人で、動く物が残っていないかを確かめた。
重騎兵の胸から回収出来た魔石は、一個。布の包みを分け、今日の五個に加えた。これで六個だ。
盾の欠片まで全部持つのはやめた。大きさに見合う値段になるかも、そもそも持ち出してよい材質かも、俺には分からない。
リゼさんは壁の彫り物へ目を戻し、輪郭を紙へ写した。
「名前の読める所、ありますか」
「少し欠けていますね。鐘を守る者、という印は、上の階の案内にもありました。報告には、見えた所だけ書いておきます」
鐘守りの重騎兵。
俺の中では、その姿に、名前が一つ付いた。
ただの大きな石、には、もう戻らない。
奥の扉は、二つに割れて開いていた。
その先は小さな部屋で、壁に白い輪が埋め込まれている。輪の手前へ、掌を当てるための台。横の石板には、入口で聞いた、帰還門の印があった。
宝箱も、一つ。
「……ありましたね」
リゼさんの声が、さっきより小さくなった。
俺は箱を見たあと、彼女の顔を見てしまった。
「やっぱり、好きなんですね」
「好きです。ですが、いきなり蓋へ手を掛けるのは、別です」
彼女は少し早口になった。
右手の灯りで、箱の足と、床の間を照らす。俺も彼女が示す所を確かめた。細い線が繋がっていないか。蓋の下に、横へ動く板がないか。
全部を知っているわけではないから、分からない場所を先に言い合った。
彼女がいつもの道具で見える継ぎ目を調べ、俺は下がれる幅を空けた。
蓋は、ゆっくり上がった。
中で、銀が光った。
数枚ではない。
同じ大きさの硬貨が、小さな束に分けて並んでいる。
俺は、一瞬、数える手を忘れた。
「リゼさん」
「はい」
「宝箱、俺も、好きになりました」
今度は、彼女が我慢せず笑った。
箱の蓋を固定し、一束ずつ、広げた布の上へ移す。十枚ずつ六つ。二人で別々に数え、同じ数になった。
銀貨六十枚。
個人の踏破報酬とは別の、探索で手に入れた宝だ。
「約束通り、半分ずつでいいですね」
俺が聞くと、リゼさんは、はい、と頷いた。
戦った数だけで、さっきから歩いてきた道の値段を付け直す気はなかった。
俺が三十枚を自分の袋へ入れ、残りを彼女の方へ寄せる。
銀の擦れる音が、やけに気持ちよかった。
持っていた銀貨二十五枚と、銅貨九十八枚。
いま、銀貨五十五枚と、銅貨九十八枚になった。
魔石も、別に六個ある。昨日売った分を、もう一度財布へ足したわけではない。
入口で、食事の値段を気にしていた。
いまは、町へ戻ったら何を食べたいかを、先に考えそうになる。
袋を結ぶ時、頬が緩んだのは、リゼさんにも見られていたらしい。
彼女が、結びかけた袋を見て訊いた。
「お肉ですか」
「まだ、何も言ってないです」
「昼、保存食を噛んでいた時の顔と、違いますから」
図星だった。
*
帰還門へ触れる前に、十分間、座って休むことにした。
銀貨の袋を置いてから、俺は壁の手前へ腰を下ろした。座面の冷たさに気づくと、歩いてきた足の熱も、急に戻ってくる。
リゼさんが砂時計を置き、二人で入口の見える方へ向いた。
光刃を一回使った分、魔力は八十から七十へ減っていた。戦った後に立って箱を調べていた時間を、休んだ時間には数えない。
砂が最後まで落ちるまで、水を飲み、肩と足を休めた。
「左手、どうですか」
聞くと、リゼさんは包帯を見た。
「新しく擦れてはいません。強く握るのは、まだ、やめておきます。門の台も、右手で触りますね」
「荷物、入口までなら持ちます」
「銀貨は、持ちます」
返事が、速かった。
俺が笑うと、彼女も、持てない物だけお願いします、と言い直した。
彼女自身の図録と財布を、俺が全部取り上げることにはならない。
俺は重い方の回収袋を、自分の膝へ寄せた。
砂が落ち切った。
表示を確かめると、魔力は八十へ戻っていた。
ルクシアは、膝の横にある。
帰還門に印を登録すれば、この迷宮を踏破したことになる。それを前にして、初めて、少しだけ指が止まった。
「これ、返却、じゃないんですよね」
俺は剣を見ていた。
入口の説明は覚えている。報酬を先に受け取った分を、踏破で精算する。
それでも、ここまで借りた物という気持ちで持っていると、終わったら手を離すような気がした。
「アルトさんの選んだ報酬です。私も、ここで受け取った物を、門へ返して帰るわけではありませんから」
リゼさんは、台を見上げた。
彼女には、これから受け取る物がある。
入口で先に手にした俺だけが、少し変な順番で、同じ場所へ来たのだ。
「じゃあ、確認してきます。手に持ったまま」
「はい。私は、次に」
俺は立って、神剣を鞘へ戻した。
*
掌を台へ置くと、白い輪の内側へ、細い光が巡った。
目の前の表示が変わる。
白鐘の迷宮、踏破確認。
個人報酬、神剣ルクシア。
前受け分、精算済み。
借りている間、ずっと残っていた一つの欄が、空いた。
けれど剣は、消えなかった。
俺は柄に触れた。
さっきより軽くなったわけでも、刃の長さが変わったわけでもない。
それでも、自分の剣になったと分かるだけで、手を離すのが、少し惜しくなった。
「残ってます」
振り返ると、リゼさんが頷いた。
分かっていたはずなのに、彼女まで、ほっとしたように笑っていた。
次に、彼女が右の掌を台へ置いた。
白い光が、もう一度巡る。
台の横の窪みへ、小さな物が現れた。
真鍮の枠に、丸い硝子が一枚。片手に収まる大きさで、縁には細い目盛が入っている。
リゼさんの息が、短く止まった。
「……測距鏡」
右手でそっと持ち上げ、刻まれた文字へ目を寄せる。
「遠見の測距鏡。選んだ時、測量用の遺物とは出ていたんです。これ、二つの見える点の間を、測れる物で」
まだ、こっちを見ない。
俺が神剣を最初に受け取った時も、こんな顔をしていたのかもしれない。
「壁の向こうも?」
「いえ。見えている所だけです。……三十メートルまで、って。奥の柱、試してもいいですか」
俺は道を空けた。
彼女は縁の印を二つの柱へ順に合わせ、右手だけで鏡を傾ける。
硝子の上へ、細い数字が浮いた。
「出た……」
小さな声だった。
次の瞬間、彼女がこちらを向いた。笑った顔が、灯りの陰から、ぱっと出た。
「アルトさん、線を引く前に、長さを残せます。通れる幅も、向こうの足場までの距離も。あ、これだけで、見えない所の地図は作れませんけど」
「そこ、言い直さなくても。すごく、いい物ですね」
リゼさんは、もう一度鏡を見て、はい、と答えた。
銀貨を数えていた時とは違う笑い方だった。
俺は、自分の剣へ触れていた手を、ようやく離した。
*
帰還門の行先は、白鐘の入口だった。
光の輪へ入る前に、リゼさんが手にした物をしまい、灯りを確かめる。俺も回収袋を持ち直した。
底へ降りた印を登録した人が、入口へ戻るための門。
これでどこの町へでも飛べるわけではないが、今日歩いた十二階分を、帰りにもう一度登らずに済む。
「行きます」
声を掛けて、輪の中へ足を出した。
床の硬さが、一瞬だけ消えた。
足の裏へ、乾いた土の感触が戻る。
風だった。
地下の通気孔を通った細い物ではない。頬を撫で、上着の裾を動かし、喉へ、外の草の匂いを運んでくる風。
眩しくて、俺は目を細めた。
白鐘の入口が、すぐ横にあった。
空は、まだ明るい。
「本当に、戻った」
隣へ出てきたリゼさんが、長く息を吐いた。
俺も頷く。入口の方から、受付の人がこちらを見た。
俺たちの顔より先に、門の光と、登録を終えた印を確かめている。
「踏破の帰還ですね。二人分、こちらへ」
慌てて皆を呼び集めたりはしなかった。
けれど、俺の持つ剣を見てから、紙へ落とす目が、一度止まった。
「前受けの方……今日、最深部まで?」
「はい。精算も、終わりました」
俺が答えると、隣でリゼさんが、回収物とは別に記録の紙を取り出した。
「途中の扉の破損と、通れた道の報告もあります。今、受け取れる分だけ、分けてお渡ししたいです」
受付の人は、空いている台を示した。
驚いたままで仕事を忘れず、俺たちが戻ってきた場所を、ちゃんと帰還の場所にしてくれる。
俺は回収袋を下ろした。
足には疲れが残っている。昼に食べた保存食だけでは、腹も、そろそろ足りない。
でも、腰の神剣は、もう借り物ではなかった。
報告が終わったら、町へ帰ろう。
肉を食べて、リゼさんの鏡で何が見えるか、もう少し聞きたい。
それから、明日の道を選びたい。
前払いの欄が空いたからといって、その場で次の報酬を借りる必要はない。
最深部の剣を持って、次の一階へ行ける。
俺は、台へ置いた袋の口を開けた。
銀貨とは別に持ち帰った六つの魔石が、外の光の中で、小さく輝いた。




